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僕の好きなアジア映画96: よりそう花ゝ

『よりそう花ゝ』
2019年/韓国/原題:종이꽃/103分
監督:コ・フン(고훈)
出演:アン・ソンギ(안성기)、ユジン(유진)、キム・ヘソン(김혜선)、チャン・ジェヒ(장재희)

原題は『紙の花』である。ご遺体を棺桶に入れる時に、貧しいものでも富めるものでも同じように花に包まれて逝くことができるように、葬儀師が手作りして棺桶に入れる。葬儀ですら持てる者と持たざる者との格差がある中、せめて紙の花だけは(死したものが猫であっても)平等であるべきと葬儀師は思っているようだ。だから『よりそう花ゝ』という邦題は、ドラマのコンセプトを表現する上では間違いではないのだが、『紙の花』に込められたメッセージとはどこかに消え去ってしまう。

紙の花をつくる葬儀師。

葬儀師自身も半地下に住む持たざる者であり、さらには息子は医学部に入学したにも関わらず事故で半身付随になってしまい、生きる気力を無くして、しばしば自殺企図を繰り返す。

そこに引っ越して来たシングルマザーの隣人が、息子の介護をすることになる。彼女のバイタリティーが息子の意識を変え、生きていく希望を取り戻す。また彼女の娘は葬儀師によって優しさの何たるかを知る。いかにも生命力に溢れている彼女も実は厳しい過去を背負っていた。その後の展開はネタバレなので控えるが、とても静かでいて感動的な美しいドラマである。

おお、なんと、ドラマ『ペントハウス』のユジンではないか。

でも今回は、映画の終わり方に視点を置きたい。この映画について、「ラストがあっさりしすぎ」とか、「このあとどうなったのかを描いて欲しい」などと言う感想を書いている人を散見する。僕の想像に過ぎないかもしれないが、おそらくドラマ民の方々ではないだろうか。「物語」が最も重要な「ドラマ」において、彼らは登場人物の幸福な行く末までが描かれることで満足感を覚える。それゆえ映画にも明確にハッピーな結末を求め、「その先」がどうなるのかまで詳細に描かれることを求めすぎる傾向があるように感じる。ドラマによってはその「まとめすぎ感」が、どうにも居心地が悪いことがある。映画のみならずドラマも多く観る僕としては、映画を主に観る人たちとドラマが中心の人たちとの大きな意識の差異をそこに感じることがある。こういう物語はいかにも調子の良い、ハッピーなエンディングに帰結する必要はない。「その先」は見る者の想像力に託されているのであり、映画の主題はそこに至るまでにすでに充当されている。こういう終わり方(どんな終わり方かは実際に観てください)こそが映画としての余韻を残すのではないだろうか。エンディングに限ったことではないが、すべてを事細かに説明する映画は、観るものを受動的にしすぎてしまい、能動的な思考や想像力を奪ってしまう。記憶に長く残るのはむしろ、余韻のあるエンディングではないかと、僕は思うのです。

第53回ヒューストン国際映画祭最優秀外国語長編映画賞主演男優賞受賞


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