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僕の好きなアジア映画65: 郊遊 ピクニック

『郊遊 ピクニック』
2013年/台湾・フランス/原題:郊遊(英:Stray Dogs)/138分
監督:ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)
出演:リー・カンション(李康生)、ヤン・グイメイ(楊貴媚)、ルー・イーチン(陸奕静)、チェン・シャンチー(陳湘琪)

侯孝賢や楊徳昌など所謂台湾ニュー・シネマの、その後を担った世代のツァイ・ミンリャン監督。当時本人が「引退作」と言っていた作品が本作です。ちなみにその後もまた新たな映画を撮っているようですが。

ツァイ・ミンリャンが台湾ニュー・シネマの監督たちと大きく違うのが、そのシュールな作風です。僕は彼の1998年の映画『hole』が大好きで、それ以来彼の映画のファンなのですが、本作はそれ以上に難解で、場面の積み重ねがあってもドラマとして確固たるストーリーらしいものが捉えられないのです。日本公開時のWeb Diceのインタビューで彼は「いま映画館で上映され、たくさんの観客を集める映画は、多くが「物語」を語るだけの道具になっていると感じています。…中略…『郊遊〈ピクニック〉』での最も重要な仕事は、プロットと呼ばれるものを捨て、物語を削いでいくことでした。」と述べています。なるほど。であればこの映画からドラマを感じられないのは、単に僕が馬鹿なだけではないようです。

一つ一つの場面がアーティスティックなインパクトを持っていて、そしてそれらを繋げながらもなお、物語から離れようとする意図があるということです。それをどう感じるかは観る者の感受性に大きく委ねられていて、さまざまな解釈が許容されている作品です。

登場人物たちは本当に生きている存在なのでしょうか。父は街路でマンション販売の立て看板を掲げて最低限の生計を立て、子供達は学校にも行かず、森の中や海で遊び(まるでピクニックのように)、空家や廃墟に暮らし底辺の生活をする父子はまるで、そこに蔓延るゴーストのようにも見えます。彼らが見つめるのは自身の記憶の中の風景か。なぜ彼らはあれ程に悲しみを湛えているのか。3人の異なる女優が演じるひとりの女。彼女は母なのだろうか?そんなイメージの連続は極めて難解ではあるけれど、強い印象を観るものに与えます。


前述のインタビューの最後に「観客の皆さんには、私の映画を「物語」を追うのでなく、自由に感じ取って欲しいですね。」と言っています。基本的にこんな難解な映画、「なんかよくわからんけどすごいもん観た」でいいと思うんです。何らかのインパクトさえ感じられれば。

第70回ヴェネツィア国際映画祭審査員大賞、第50回金馬奨監督賞、第48回全米映画批評家協会賞最優秀未公開映画賞など

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