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赤い丸シール~西加奈子さんの「わたしに会いたい」読んで~

西加奈子さんの「私に会いたい」を読み終わった。私の頭の中は今、ことばが蠢いている。言いたいこと、感想、伝えたいこと、伝わらないこと、それらが頭の中を占拠する。
 
小説を読むといつもこうだ。しばらくは、というより、こうして文章を外に出す作業をしないうちは、私の脳内は独り言が多くなり、全てが小説口調になる。
村上春樹さんの小説は、大学のときに手に取ってみたけれど、あまりにも頭の中の独り言が難解になってしまい、苦しくなって読み進められなかった。

私が小説を書くとしたらどんなだろう。そんな風にも考えた。

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彼女は関西に生まれ育った。海の見える街だ。18のとき、二つとなりの県の大学に進学するために実家を出た。その後は都内の企業に就職した。はじめは人の多さに圧倒され、買い物をするのも一苦労だったし、満員電車に乗るのも辛かった。とはいえ、なんでもある、そしてどこへでも電車で行ける暮らしはとても楽しかった。

住んでいたのは、電車で会社まで乗り換えなくいけるギリギリ23区内のエリアだった。東京のことは右も左もわからなかった彼女は、とりあえず人事担当のおじさんにいわれるがままに物件を決めた。

引っ越しをした次の日、白昼にピンポンがなった。出ると(このときは、都会で白昼に配達の予定もなく鳴るピンポンがいかに怪しいものなのかまだ知らなかった)男性が立っている。モニターに身体を寄せすぎて、顔は見えない。男性は「回線関係の工事の必要があるから、家に入らせてくれないか」と言った。この部屋の大家さんは住んでいたアパートから徒歩30秒の場所に住んでいて、その大家さんから回線の工事は済んでいるよ、と昨日教えてもらったはずだった。
怪しい、と思った。と同時に、けれど聞き間違えていただけで、本当は工事の必要があるのかも?と一瞬自分を疑った。
それでもやっぱり怪しいが勝って、なんとか断りを入れた。インターホンのモニターを切った瞬間、心臓がバクバクして、怖くて、涙が出た。一応大家さんに確認の電話を入れたら、やっぱり回線の工事は済んでいた。あのときドアを開けたらどうなっていたか、彼女は今なら想像がつく。

後から気がついたが、その一件のあと外のドアノブのところに小さな赤い丸シールが張られていた。隣に住んでいたのは女性だったが、その家のドアノブに張られているのも、同じ赤い丸シールだった。「この家に住んでいるのは女だ」と、誰かが誰かに伝えている。そう思った。だけど、またインターホンを鳴らされて確認されるのも怖いので、彼女は結局そのシールを退去するまで剥がさなかった。

彼女が大学の頃一人暮らしをしていた街はいわゆる大学都市と言われるもので、学生向けのアパートやらマンションやらがたくさん建っていた。ベランダの塀の高さで隠れる場所に物干しがあったから、下着も外干ししていたし、何よりマンション全体に同じ大学の学生しか住んでおらず、自分の性が危険に晒されるなんてことは考えたこともなかった。

洗濯物は中干しするようになった。飲み会帰りの夜道は振り向きながら早足で歩いた。後ろに足音がすると怖かった。

そんな生活をしてずいぶん経った頃、夜に家に向かって歩いていると、彼女から数メートル離れた位置(とはいえ変な位置)にいた男性が近づいてきて、突然バッとズボンを下げた。
どうしよう。と思った。
性器を晒されたことに動揺したものの、そのわりに冷静だった。晒される以外の危害は加えられていない。問題はそこではなかった。彼女が家に帰りつくまでの道はそこから3分、このまま大人しく帰るとなんとなく着いてきているこの男に家を知られることになる。それはまずい、と思ったのだった。そして、家まで着いてこられたらいよいよ危険だ、と。
結局、電話をかけているふりをしながら家を通り越して、一番近いコンビニのほうまで歩き、しばらくコンビニで時間を潰して家に帰った。
 
 警察に申し出ようかとも思ったが、パトロールを強化されたところで、と思い結局やめた。

彼女は後に夫にこの話をしたら、(というかだいたいこの手の経験の話を誰かにすると、絶対そうなるが)「大きかった!?小さかった!?」と聞かれた。夫に特に悪気はないことはわかっているし、彼女も夫とよく下ネタを話すから、笑いながら「そんなに大きくはなかった」と答えた。街灯も少なく暗かったし、暗かったから都合がよかったのだろうけど、たしか大して大きくはなかった。そして、男性にとっては「路上で性器を晒しているヤツの性器が小さい」ことは、多かれ少なかれ満足材料になる、というのは彼女もなんとなく理解していた。
とはいえ、当時の衝撃は結構なものだった。だけどいちいち気に止めて、そこに気を揉み続けるような深刻さではない、そんな深刻さにしてはいけない、というのは当時の彼女にもなんとなくわかっていたことだった。

笑い話として流すべき下ネタと、流してはいけない性加害。その境目はどこにあるのだろう。問題として捉える境目も人それぞれで、だからこそ話題にのぼらせることにも敏感になる。「性」というトピックを誰もがあまり話したがらないのは、「性」に関して個々人がもっている認識だけでなく、生きてきたなかでーー笑い話にできるようなことも含めてーー実はそのことで傷ついたことを、誰にも表明できない経験が誰にだってあるからだ、と彼女は思う。私は大丈夫だけれど、誰かを傷つけてしまうかもしれない。私たちは軽々しく性を笑いながら、性に対してものすごく敏感に空気を読み周囲を観察し、警戒している。

いっそ何も考えが浮かばなければいいのにな、と彼女は思う。誰かと戦うことに大して楽しみを覚えない彼女にとって、ネットでしらない人とやりあったこともない彼女にとって、自分の考えを書くことも勇気がいる。
私はこう考える、と明確に書いてしまった途端、そうは考えない人たちがたくさんたくさん出てきたらどうしよう。そこまで強い想いじゃないのにな。そんな感覚になってしまうときもある。

それでも、彼女は経験したことを語らずにはいられない。だってそうしないと彼女の独り言は止まってくれないのだから。彼女はnoteを開いて書き始める。

「西加奈子さんの『私に会いたい』を読み終わった。私の頭の中は今、ことばが蠢いている。ーーー」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーFinーー

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