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ホームスクールの構造化

 「おうちで勉強する」

 と高らかに朗らかに宣言されて始まった、中1ムスメ氏のホームスクール。まず私とムスメ氏が相談しながらしたことは、ホームスクールの構造化である。・・・なんてカッコいいことを言っちゃってるようだけれども、これは私が登録している「あすはな先生」(発達障害の子どもたちに特化した家庭教師)が大切にしていることの受け売りです、すんません・・・というのはともかくとして、構造化っていうのはつまり「目標」を共有して、日々することの枠組みを決めること。我が家の場合は以前から何度もお伝えしているように、「もし高校へ進学したいのならば、中学卒業程度の学力を身につけること。何年かかっても構わない。」という揺るぎない約束があるので、長期的な目標は「中学で学ぶ内容を自分のペースで学んでいく」ということに(結果)なる。そしてムスメ氏と相談した結果、この「自分のペース」についても当面学校の進度に合わせてやっていきたいということだったので、2月にある学年末テストに向けて「何を、どれくらい」学習していくのか計画をたてることになった。

 そこで必要になってくるのは、日々のルーティーン決めである。「通学」というペースメーカーが何もないので、何時に起きて、何時から何時まで勉強して、それ以外の時間をどう過ごすのか、自分で全て決めなくてはならない。なので学習の計画に先立って、一日&週間ルーティーンを手書き手帳アプリ「Planner」に記入してもらった。お出かけや突発的な予定が入らなければ、これをもとに学習のプランを入れていこうというベースになるようなものである。そしてこれは家族の共有スケジュール「Time Tree」にもスクショをのせて、誰でもいつでも手元の端末から確認できるようにしている。

 この予定をたてるときに、これもまたムスメ氏と相談して、平日は一日にひとつ家の中の仕事(家事)をお手伝いしてもらうことを決めた。今までお手伝いはポイント制だったんだけれどもそれを廃止し、ルーティーンのお手伝いが滞りなくできたら月額のお小遣いにプラスαするということに。私が家庭教師で帰宅が遅くなる日には「夕食作り」という大きなお仕事を引き受けてもらって、それ以外はお風呂掃除だったり、掃除機がけだったり、曜日によってちょっとずつ割り振った。

 そうしてようやく学習プランへ。ムスメ氏が選んだ学習方法が「eboard」という動画授業の視聴だったので、学年末テストの予想範囲の単元の授業(数)を書き出し、ひとまず1週間ぶんの予定をたてていく。やってみなければ自分がどれだけできるか分からないので、やってみてペース配分を試行錯誤していく方式をとった。この計画をたてていくのにも、ムスメ氏は「Planner」を活用していて、一日のうちのどこかで一日の振り返り、翌日の計画の見直しの時間をとっている。

 ただ学習時間にしても、休憩時間にも、ムスメ氏はiPadやスマホを利用していることが多く、動画視聴も近いところで見続けているのでなんだか目の健康が心配になった。そこで、せめてネットの動画授業をテレビの大画面にキャストしたいと考えて「Chromecast」を導入した。Amazon primeで配信中の「鬼滅の刃」を私が大画面で観たかった、というのは大声では言わない。

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 いやぁこんなちっこいものをテレビにくっつけるだけで、パソコンの画面をテレビにキャストできちゃうなんてね。信じられんですよ。スマホ(やタブレット)にGoogleHomeってアプリを入れれば、(契約している人は)AmazonPrimeVideoやらNetflixも大画面で観れちゃうなんてこと、知らんかったわぁ~。

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 やっぱり大きい画面で観てもらうほうが安心。そんでもってeboard、なんとなくムスメ氏と一緒になって観てるけど、とても簡潔で分かりやすいですよ。先生の関西弁がほのぼのするし、しょうもない(すみません)冗談も好き。これ全部無料って、すごいことだと思う。本当にありがたい。別にホームスクーラーだけじゃなくて、単元ごとにちゃんと動画があるので、学校へ行っている子どもたちも苦手で分かりにくかった単元の復習に便利だと思う。何でも使えるもんは使ったらいいよね。

 こういうふうにネットやデジタルツールの紹介をしていると、めっちゃそれ推しのように映るかもしれないけれども、(何度もくどいけど)もはや「アナログかデジタルか」の選択を迫られている時代はとうに過ぎていて、デジタルが選択肢として「ある」という前提の中で、自分が今為すべきことに最適な手段を選ぶことができる力が必要なのだと思う。この冬休みにも学校の数学の宿題で、「データを整理して表やグラフにする」という課題が出ていたけれども、大量のデータを整理するのに「アナログ」しか選択肢がないのか、「デジタル」が選択肢としてあがってくるのか、というのはすごく重要なことだと思った。データ数10(n=10)くらいだったら、まぁアナログでやったとしてもミスは起こらないかもしれないけれど、数十さばかないといけないのだとしたら人為的ミスの確率はすごく上がるし、時間だってやたらとかかる。そこで「デジタル的に処理できるのでは」と方法自体を問うことができるかどうか、前提にできる選択肢を多く持つことができるかどうか。これからの教育というものを考えたときに、選択肢の提示というのは非常に大切なことなんじゃないかと思っている。

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 そんなわけで私がムスメ氏に提示したのは、まずアナログの紙(つまり教科書)に印字されているデータをOCR(文字認識機能)を使ってデジタルデータに変え、それをエクセルにコピペすること。これでエクセルを使って課題とされているデータを階級化(表に)することも、ヒストグラムにすることも、ほぼ一瞬でできてしまう(こちらはオット氏が得意とする領域のためバトンタッチ)。それでは学習したことにならない、と批判する人には、「手作業が目的なのか?していることの意味を理解して、表現することが目的なのか?」を問えばいい。「がんばって手書きで処理すること」が目的なんだったらデジタル処理は「ずるい(楽してる)」とか言われてしまうかもしれないけれども、データの意味やヒストグラムとは何かと答えられて、誰もが見やすいきれいな図表が完成していたら(手書きよりデジタルのほうが多くの人にとって見やすいと思う)それで学習の目的は果たしていると言えるのではないだろうか。そんでもってデータがデジタルだったら他の人ともシェアしやすいし、なんならさらに加工していくことも容易にできる。

 もしかしたらもっといい方法があるかもしれない。私も素人なので、選択肢を多く持ち合わせているわけではない。だから選択肢の提示も含めて、きちんと公教育で教えてもらえたらと願っている。

 でも、日本の現状はものすごくシビアだ。OECDの国際学力調査(pisa2018)の結果が発表されて、日本の子どもたちの読解力が8位から15位に下がったと大騒ぎになっていたけれども、それよりも私はそれと同時に実施されたICT関連の調査結果に大きな衝撃を受けた。Newsweekの記事に、こうあった。

日本の子どもはスマホは使うものの、パソコンの使用率は低い。上記調査によると、「自宅にノートパソコンがあり、自分もそれを使う」と答えた生徒の割合は35%でしかない。アメリカ(73%)、イギリス(78%)、果てはデンマーク(94%)とは大きな違いだ(デスクトップパソコンについても別途、調査していて同様の結果)。お隣の韓国(63%)とも差が開いている。学校での使用率も同じだ。~Newsweek日本版2020年1月8日(水)15時30分
舞田敏彦(教育社会学者)さんの記事より引用

 えっ!先進諸国の子どもたちの7割~9割が日常的にパソコンを使っているのに、日本ではそれがたった3割?これってつまり洗濯機というものがあるにもかかわらず、洗濯板でしか洗濯ができない子どもが全体の3割みたいなもんでしょ・・・自分のライフスタイルや目的に合わせて、洗濯機を使うか洗濯板を使うかさえも選べない状況にしていていいわけがない。だってもう、洗濯機があるんだよ?もちろん洗濯板がいいっていうなら、それは個人の選択だ。だけど「選べない」という状況や、他者が「こっちでいいでしょ」って決めつけて選択肢を提示しないのは問題だ。

 でも「シャープペンシルの持ち込み不可」とか言ってるレベルだもんなぁ・・・自分が使いやすい文房具すら選ばせてもらえないんだから、日本の小学校は。ここで「なぜシャープペンシルを持ち込んではいけないのか」について一見もっともそうな理由を提示して反論してくる人が列をなしてやってきそうだけど、その前にそもそも、「なぜ自分が使うものを自分で選ぶことができないのか?」という問いにきちんと答えてもらいたいものである。シャープペンシルだけの話じゃないんだから。

 こうした状況に対して、上記記事が懸念として挙げていたのが以下の点なのだけれども、「それな!」しかなかった。

SNSで仲間と交信し、イベント情報等をチェックするだけならスマホで事足りる。だが、情報を独自に加工し、創作物を生み出すとなるとパソコンが必須となる。これからの時代、情報の消費者に甘んじるのではなく、情報の生産者(創作者)になるべきだ。~Newsweek日本版2020年1月8日(水)15時30分 舞田敏彦(教育社会学者)さんの記事より引用

 生産者(創作者)という言葉に、私は「表現者」というありようも付け加えたい。別に「社会にとって」生産的であれってことだけじゃなくって、自分が、自分らしく生きていく、自分が思っていることや伝えたいことを表現しながら生きていく、そういう表現者としての自分にとって、今やデジタルツールは欠かせない存在になっている。それとどう付き合い、どう使っていくのか。そのことに向き合わない教育は、子どもたちからそっぽを向かれていくだろうと思う。

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