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まぶしがっている場合じゃない

 この間中間テストが終わったと思ったら,あっという間に期末テストウィークの中学校。・・・なんだけど,自由の民ムスメ氏は,期末テスト中日の昨日もテストが終わった午後にフリースクールのアクティビティへ。懲りずに「えっ!明日のテスト勉強はいいの?」と動揺するハハにはもう振り回されず,「行きたいし,せっかく行けるんだもーん。」と超絶さわやかなムスメ氏。まぶしい!まぶしいよ,君・・・一昨日も歌を歌いながら英語の勉強しててこっちがビックリしたし,デジタルノートで単語書き取りしながらちまちまイラスト描いて「たのしー♡」ってニコニコしてるもんで,なんかもう「楽しくてなによりです」としか言葉が見つかんなかったよね。楽しむ天才か。

 ところで話は全く変わって,少し前にニュースやTwittterで痴漢を追いかける女子学生たちの動画が話題になっていた。その動画の公開そのものについては色々な問題があって(とりわけ障害者差別的な表現がされていた点がつらかった)色んな論点があると思うんだけど,必死で逃げる痴漢加害者の男性を女の子たちが追いかける姿を見てものすごく・・・誤解を恐れずに言えば「まぶしい」と思ったのと同時に,「申し訳ない」なんていう懺悔の気持ちを抱かずにいられなかった。

 私は東京出身で,高校生の頃は大混雑の電車通学だった。通学時間帯はぎゅうぎゅうの満員電車っていうのは当たり前で,痴漢被害も日常的にあった。もしかしたら満員電車生活を経験していない家族や友人たちにこんなことを言ったら驚かれるかもしれないのだけど,本当にそれは私自身にも,周囲の友人たちにも「よくあること」だった。程度のいかんにかかわらずとても気持ちが悪かったし,意味が分からなかったし,怖かったし,ふざけんじゃねー!とも思っていたけれど,親を含めた大人に相談しようと思ったこともなければ,動画の女子学生たちのように痴漢を捕まえて「社会的制裁を受けてもらう!」と行動に移すこともできなかった。そういう発想すらなかった,というのが正直なところで,「我慢してやり過ごす」以外の術を想像さえできなかったと言っていい。そういう意味で,「絶対(性加害を)許すまじ」と団結して痴漢加害者を撃退しようとアクションを起こした彼女たちを「すごい!」とまぶしく感じたんだけど,感じた瞬間に「おい!ちゃうやろ!」というセルフつっこみが入った。すごい!時代は変わった!なんて他人事のふりしてるのズルいよなぁ。痴漢加害が横行している状況をなんとかできていないのは,我慢してやり過ごしてきた結果でもあるんだよ?彼女たちが今被害にあっているのは,それより前の世代の私がひどい状況をなんとかしてこようとしてこなかったからでしょ・・・という辛い指摘が,脳内をわんわんとこだまする。

 ・・・というふうに言うと,被害に声をあげていこうという主張のように受け取られかねないんだけれども,そういうことではない。私も今だからこそこうして痴漢被害は日常的だったなんて言えるけれども,当時は恥ずかしいことだと思っていたし,親を含めた大人になんて言われるか分からなくて怖くて言えなかったのだ。被害に対して声をあげること,何等かのアクションを起こしていけることは素晴らしいことだとは思うが,全ての人ができるわけではないし,すべき正解というわけでもない。反撃されたらどうしようと身がすくんでしまうことを責められるなんてことがあってはならないし,その時その場での状況や立場でできること・できないことがあるのは当然である。だけど性加害に対してアクションを起こしている若い女性たちを「すごいなぁ」って眺めているのは他人事感が半端ないし,痴漢を含めた性犯罪をめぐっては「かつての被害者」として私も当事者なのである。そしてもっと問題を拡張していけば,性犯罪の根っこにある「男尊女卑」「女性蔑視」の文化と向き合わざるを得ず,私もあなたもこの文化の問題の当事者という立場から逃れられない。だから「すごいなー」なんてのんきなことを言ってまぶしがっていられるはずはなく,性加害を生まない文化を創っていく担い手として出来ることをやっていかないといけないのだと改めて思う。

 そうしてまた1周ぐるりとして話が戻るのだけど,自由の民ムスメ氏が定期テスト期間にもかかわらず自分の気持ちの赴くままに生きていることをまぶしがっているのもね,結局痴漢問題と同じ問題を孕んでいるんだと思うのだ。あ,ムスメ氏の名誉のためにも言っておくと,彼女はテストのための勉強を彼女なりに頑張ってやっている。のんびりマイペースに,自分なりの楽しみを見つけて勉強していて,でもテスト期間だからって自分のやりたいことをやめたりしていないっていうだけだ。私にはそんなことができなかったから(テストなんだからしょうがない,とか。テストが終わるまで我慢しよう,とか),すごいなぁってまぶしくなっちゃうんだけど,テストは日頃の勉強の達成度を確認するためのものだっていう本来の教育的意味から考えたら「テストでいい点数を取るために前日頑張って勉強する」は必ずしも必要なことじゃないし,別にテスト前日にどう過ごそうと本人の自由である。逆に「テスト前なんだから普通勉強するでしょ・・(自由すぎやなぁ。眩しいなぁ。)」っていう(私の)態度は,テストのために頑張るっていう姿勢「だけ」を評価する文化を強化してしまうことになる。とにかく自分なりに勉強をして,テストで身についているかを確認しつつ学びを進めていければそれでいいんだよねっていう学習まわりの文化を再構築していきたいんだったら,まぶしがっているんじゃなくてむしろ「いいね!(フリースクールのアクティビティに)行ってこい!それは君にとってテストと同じくらい大事な学びの場だ!」って振る舞いが必要なんだと反省中である。まぁ,ナチュラルにそれできないよね。私も色んなもんにとらわれてしまっているんだから。それを自覚して,その都度踏みとどまるしかないんだと思う。

 男尊女卑にしても,テスト至上主義にしても,あからさまに極端なほうへ振り切れているガチ勢がそういう文化を作っているっていうよりも,それぞれの人のちょっとした,無自覚な振る舞いがそれを強化してしまっている,っていうことが多いんじゃないかなと時々思う。もちろん女性蔑視の著しい人,成果主義の権化みたいな人,そういうガチ勢がいることも否定しない。確実に,いる。でも「それは間違っている」と思っている人も,なんとなく我慢してしまったり,「いや,そうはいってもテスト前は勉強するもんやろ。」なんて言ってしまう。そうした振る舞いは能動的な加担ではないにしても,男尊女卑やテスト至上主義を少なくとも維持させるほうへと機能しちゃっているんじゃないだろうか。

 眩しいなぁ,いいなぁと思ったら,それが当たり前になる文化を作るほうへ自分の振る舞いを変えていかないといけないんだなと,改めて反省しきりである。自分のことなんやで,自分のこと。そう呟きながら,やっていくしかない。

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