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繰り出される,強くなれ攻撃

 行ってきまーす!と毎日同じ時間に出ていくムスメ氏を送り出す。当たり前のことなのに,なんだか新鮮。そして今日からお弁当が始まり,はりきって自分でお弁当こしらえてましたよ。おかずをお弁当箱につめながら,「楽し~♡これ毎日できるんだ~♪」なんて呟くもんだから,めっちゃ奇異な目で見ちゃったよね。まじか。これが苦行にならないクラスタがリアルに存在するなんて。多様性,ありがたい!お弁当作り,任せたぜ!!

 ところでつい先日実家の母が小学校卒業&中学入学のお祝いに京都まで来てくれたのだが,ムスメ氏の状況について説明すると,案の定とても心配してこんなことを言った。

「あの子は本当に優しいからねぇ。優しすぎるのが,裏目にでちゃったんだろうね・・・一人っ子で可愛がられて育てられたから,もうちょっと打たれ強くならないといけないねぇ。社会に出たときに,困らないようにねぇ。」

 おばあちゃんとしての心からの心配も分かるので,まぁ許す(どんだけ上からやねん!)。というか,それが世のスタンダードだということも理解しているので,「わぁ,キタキタ!!強くなれ攻撃!」くらいに思っているんだけれども。

 ひっかかる人には,ひっかかりどころ満載の発言だなぁと,やはり思いますがな。

 まぁまず「優しいだけでは生きていけないよ。世の中は厳しいんだから。」っていうメッセージは,現状この国の文化でごくごく当たり前に受け入れられていることなんだけれども,私は全く同意しない。「いやいや,優しい社会にしようさ?」って単純に思うだけなんだけれども,それがとってもマイノリティな思考ベースだということに最近までまるで自覚がなかった。でもどう考えたって優しさが通用しない社会より,人が優しくいられる社会のほうがよくね?現状そうも言ってられないんだよ!って言うんならさ,これからの社会を創って行く若い人々に「世の中は厳しい」って呪いの言葉を贈るんじゃなくて,「君たちが率先して優しい社会を創ってくれ!」って激励するべきでしょう?世の中はそういうもんだ,我慢しろ,じゃなくってね。

 もちろん私だっておばあちゃんと同様に,ムスメ氏の優しい在り方の裏側にある,色んな負の側面を心配している。魅力や良い面の裏側には常に(環境と齟齬を起こす)課題があるわけだから,そうした不安や心配は何もムスメ氏に限って起こることではなく,「人とはそういうもんだ」以上でも以下でもないと思っている。だから私はムスメ氏の素晴らしい魅力である「優しさ」そのものを心配してどうこうしよう(強くしよう)なんてこれっぽちも思っていない。優しさは,そのままに。でももちろん優しさと裏表になって環境と軋轢を起こしているものは,ありのままでいいってわけじゃない。成人するまでに,ゆっくりじっくり時間をかけて,向き合っていってね。そんなふうに思っている。

 だからムスメ氏最大の魅力である「優しさ」を削ったり手離したりしてでも強くなって環境に適応せよっていうのは,私としては信じがたいアドバイスなのだ。え~こんな素敵なものは彼女が持ち得た宝物なんだから,終生大事に持っていってよ,って思うのは親バカなのだろうか?でも「優しい」って,すんごいことなんだぜ?私なんかには真似できないくらいの,スケールのでかい優しさなんだよ?これをなくしてしまったら,まじで社会の損失よ?いいの?と全世界に問いたい。社会のほうこそ,彼女の優しさを大事にすべきでしょ。

 まぁそこまでいくと親バカかもしれんけど。
 でもきっと「厳しい社会をサバイブすべく適応せよ」の文化の中で,たくさんの宝物がその輝きを失ってきてしまったんじゃないかってことに思いを馳せると涙が出そうになる。そんな圧力だか脅迫だかには,愛想笑いを浮かべてそうっと後ずさり。くるりと背を向けたら,全力ダッシュで逃げきろう。

 おばあちゃん,悪いけど馬耳東風でスルーさせてもらうわよーん。

 ムスメちゃんは多少の悪意や意地悪にもめげない打たれ強さが必要なんじゃなくって,

 ムスメちゃんの優しさにつけこむ悪意や意地悪のほうが社会からなくなる必要があるんだと私は思っているからね。

 でももちろんそれらは社会の中にあるのは事実であるし,不運にも遭遇してしまうことだってあるだろう。そういう時のために,自衛の手段はたくさん知っておいたほうがいいとは思っている。そしてそれはおそらく痴漢だとかの性暴力からどう身を守るか,ということと同一線上にある,「防犯教育」なんだろうなぁとうっすら考えている。

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