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忘れもの、探しもの【ことばによる薫習】

​「薫習(くんじゅう)」
仏教用語。布に香りが移り沁むように、あるものが他のものに伝わり影響すること。

生まれたときから自宅には猫が居て、常に3〜4匹の猫と、他にも犬や鯉やうさぎや鳥など、人より動物が多い家庭で育ちました。

そんなわたしは猫が好きで、猫を飼っているとか、猫が好きという人には無条件で好意と信頼を寄せてしまいます。

猫と触れあうよろこびを共有する仲間として、勝手に他のことも分かり合えるような気がしてしまう。笑

そして猫に対しては、どこか憧れのようなものを抱いてもいて、あの自然体でしなやかで優雅なバイブレーションに常々チューニングしていたいとおもっています。


読書と猫好きなかたに推したい本があって、でも引越しのさいに置いてきてしまったから手元にはないのですが、「猫語の教科書」はゴリ押しします。

そして今日は、中公文庫さんから出ている「猫」という本から短い詩のようなものをご紹介したいと思いました。

なかなか沁み入りますなぁ。




忘れもの、探しもの
-クラフト・エヴィング商會

どういうわけか僕は、
いつもいつも何かを
忘れているような気がする。

何を忘れてしまったのか
分からないので、ずっと
それを探し歩いている。

ふと、何かを見つけても、
それが探していたものなのか
そうじゃないのか、
僕にはそれも分からない。

思い出せない。
でも、何か忘れてる。

そのうち思い出せるのか、
それともこのまま
思い出せないのか。

思い出したい。
見つけたい。
探し当てたい。

ああ、これだこれだ、
これだったんだと、
すっきりしたい。

これじゃないなぁ。
でも、これは何だろう?
これも素敵だ。

君は誰ですか?
君は僕のことを
知っていますか?
それとも、やっぱり
忘れてしまいましたか?

いつか、どこかで
会ったような
気もするけれど...
でも、やっぱり
覚えてない。

それとも、
本当は忘れものなんて
何もないのかなぁ。



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