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私が台所に惹かれる理由

「世界の台所を探検しています」と言うと、なぜいつ始めたのかと聞かれることがよくある。実は自分でもよくわからないから、考えてみた。

気がついたら、世界中の家庭の台所を点々と訪れていた。明確なきっかけやタイミングがあったというよりは、知らない国の暮らしに興味があって大学時代は途上国で働きたいと思っていたので、各地の家庭を訪れることはたぶん自然な流れでゆるやかに始まっていた。

家庭の中でも台所は特に、未知のわくわくがたくさん詰まっているから好きだ。この食材なんだろう、このかきまぜ棒はどうしてこんな形をしているんだろう、と疑問は尽きない。

わくわくだけでなく、台所はたくさんの笑顔が生まれる場所でもある。面白いから、楽しいから、なんだか吸い寄せられてしまう。

...という単純な好奇心が原点なのだが、あえて理屈っぽく言ってみるならば、人や社会の有り様が最もよく映された場所だからかなと思う。

台所にはリアルな人の生き様が表れている

先日、タイの山岳民族の台所を訪れた。

この村は、出稼ぎに出る人が増えたりしてモノや価値観が持ち込まれ、ライフスタイルが変化してきている。自給自足に近い暮らしをしていたのが、現金収入を得て豊かになる人たちが現れ、そのお金でいい車やいいスマホを買う。都市的なきらびやかな生活への憧れからだろうか、家々の前には日本でも高価なランドクルーザーが堂々と停まっていて、その横では子どもたちがスマホの動画に見入っている。日本と何ら変わらない、いや日本以上に「今っぽい」風景に驚く。

しかしそんな家庭でも、一歩台所に入ると、何十年前から変わらず囲炉裏の火で料理している。IH調理器もガスコンロも使わず、薪の量や置き方で火加減を調整する。

煙が昇る上方には肉が吊るされ燻されていて、肉の保存に冷蔵庫は使わない。

台所は変わりにくい。人の生活の中心にあり、日々繰り返しされる連続的な営みであるからこそ、手馴染みした道具や使い慣れたやり方がそのまま今日も明日も続いていくのかもしれない。

台所には、社会の歴史も現れている

しかし一方で一足飛びに変化するものもある。

アメリカの経済制裁を受けているキューバでは、慢性的に物が乏しい。街には60年前の車が走っていて、食卓の中心は豆と米といった配給食料が成す。


だがそんな物の乏しさと裏腹に、家庭の台所にはかなりの頻度、電気圧力鍋と炊飯器という家電コンビが鎮座している。電気圧力鍋なんて、日本でも中々見ない嗜好品的家電だと思っていたのに。

配給の米は砂利が入っていたりして取り除く作業がいる。豆を煮込む料理は時間がかかる。キューバの女性は1日に5時間も家事に費やしているという統計があるほどで、安い食材を扱うのは時間がかかる。

日々の繰り返し作業を楽にしたいという気持ちが、外貨を得て少し裕福になった家庭の「家電を買う」という選択には表れているような気がする。

台所は、人と社会が見える場所

世界中どこでも、食べない人はいない。台所は「食」という人間の根源的なものが生まれる場だからこそ人々の価値観や悩みが表れていて、ほんとうの暮らしの息遣いが感じられる。
またそのひと個人のことだけでなく、歴史や社会変化さえも、台所の事象の一つ一つから読み取れるのが面白い。

家庭の台所で一緒に料理をすることを通して、世界中の人たちと一歩深くつながれる。それが私は心から楽しい。
台所探検で見たり考えたりしたことを、時たま少しずつおすそわけしていけたらと思う。

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