病は気から病に取り憑かれる
小学生のちっちがインフルエンザの流行に乗ってしまった。
繁忙期に連休を取らなければならないのはちょっとつらい。
いや、そんなことは言っていられない。
目の前で高熱を出し、咳き込んでいる息子がいるのだ。
ちっちはもともと気管支が弱い。
だからみんながちょっとの咳ですむところを、ゲホゲホと咳き込んでしまう。
咳がひどくてかわいそうなのだが、
予防接種を受けていたおかげか高熱のわりには元気がある。
赤い顔をしながらも「ゲームする」とのたまう。
「ダメ」
母は即刻却下。
「いったい誰のためにこうして会社を休んでいると思っているの!」
と口に出そうになるがそこはぐっと押し止める。
ちっちだって罹患したくてしたわけではないのだ。
そこは分かってやらなければならない。
誰だって、悪い方向に自ら進もうなんて思わない。それは病気であれ、悪行であれ。
手洗いうがいはコロナ世代を過ごしているから習慣化している。
が、しかしだ。
一度外したマスクはもうしなかった。
それはちっちに限ったことではなく、クラスのみんなも学童で過ごす仲間もみんな同じだった。みんなしなくなった。
それは一人がかかれば野放しでかかり放題になるということを意味する。
小学生の青春だって密なのだ。精神的にというよりも物理的な距離において。
そんなちっちの看病のため、わたしは小さな部屋で息子とべったりになる。
ここぞとばかりに甘えん坊も進み、わたしはマスクをしながらギューをしたり、横で添い寝をする。
どこまでこのマスクが通用するのかと疑心暗鬼になりながら、こんなんで伝染らないわけがないじゃないかと半分諦めも入っている。
だが、こちらは予防接種などしていない。
子供には受けさせるが自分はしない。ここ数年我が家ではインフルエンザを発症した者はいなかった。手洗い、うがい、マスクさえ徹底していれば外部からもらうことはない。勝手な理屈で信じていたが、そいつは簡単に内部に侵入してきた。
予防接種をしていないわたしは、きっと高熱にうなされ悪寒にガタガタ震え、倒れたままきっと何も手につかないだろう。ちっちにご飯を作ることもできず、トイレに行くこともままならず、学校の準備もせぬままに「おかーさん、ゲームしていい?」という声にも抗議の声をあげられないだろう。
そんなことを考えていたら、本当に頭が痛くなってきた。
急に咳が出てきたりして、ああマズイと思う。
直前に食べたなにかの欠片が変なところに入っただけに違いない。
わたしは懸命に理由を探す。
病人とこんなに近くにいて、伝染らないわけがないのだ。
こういう時、わたしはメンタルが弱いと感じる。
ただの気分にすぎないのに、すごく大げさに考えてしまう。
誰かが骨折をした。それはもう自分の骨折でもある。
足を捻挫した。わたしの足首は突然熱を持つ。
さっき試食で食べた肉、生だったんじゃないだろうかとお腹を擦る同僚を見るとお腹の奥がズンと痛む。
そんなわけで、わたしのインフル騒動も咳き込んだりケロッとしてみたり、熱っぽくなってみたりすっかり忘れて夕飯の準備などしてみたり。
今のところ自分の体がどうなっているのか分からない。
たぶん、気分的なものだろうと思っている。
というか、そう信じなければ恐ろしい。インフルなんかに負けてはいられない。
母はやらなければならないことが実に多いのだ。
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