考えようとしないと感じられないなんて
たしか木曜日のこと。
幼稚園から帰ってきた娘の様子が異様だった。
聞かん坊なのはもとより、些細なことで機嫌を悪くして泣きわめいたり、爪を噛んだり、じぶんでじぶんを困らせてみたりと、情緒ガタガタ。
体調が悪いんだろうか、熱はないかな。
ひととおり様子を見たけれど、特に見当たらない。その日はもう、着替えにも、入浴にも、歯磨きにも、就寝にも、何から何まで手こずって、母子ともにヘトヘト。
さて翌朝も安定しない娘。登園担当の夫も、相当苦労したようで。夕方ドキドキしながら迎えに行くと、園舎から私を見つけた娘の目がほんのり切なく揺れて、小さい声で「まま」と言ってた。
その日の夕方、私がもっと娘を抱きしめてあげられればよかったのだけど、そんな日に限って仕事のトラブルが発生。常に携帯とPC睨みつけてて。
夕飯もあり合わせのものになってしまい、「ごめん」「ちょっと待ってね」しか言ってあげられなかった。その日の娘の表情は、覚えていない。
雪のちらつく土曜日。昨日のトラブル対応で私もどんよりしていたもので、娘を夫に託してゆっくりお風呂に浸からせてもらった。湯船の中、久しぶりに「何にも考えない」をできた気すらしていたのだけど、どうやら娘の情緒に対するモヤモヤについて、それこそ無意識に思い起こしていたようで。
「もしかして、幼稚園で何かしんどいことがあったのかな」
不意にこの視点に出くわす。
そもそも母親なら、そんくらいのことは思い付けよって感じなんだけど、昨日から頭の8割は仕事に占領されており、情けないことに、娘の内面を見つめる視点には掠りすらしなかったのである。
先日の「佐久ママスキルアップシェア会」で、ラベンダー師匠とふみちゃんから「無意識であるという状態は瞑想状態に近しいものだ。」と教わったことを思い出した。「運転中や歯磨き中など、無意識の状態はインプットや気づきに柔軟。」であるとも。
お風呂から出たあと、「娘ちゃん、幼稚園で、くるしいことがあった?」と目を見て尋ねてみた。
すると、木曜日以降見られなかった静けさみたいなものが、娘を包んだのが分かる。娘は、ほんのちょっと考えるようにしてから、2回うなづいて、幼稚園で起こったことを、娘の言葉で話してくれた。
夫も私もびっくり。
そうだったんだね、しんどかったんだ。
そんな時に、ママに目も見てもらえなくて、きっと寂しかったよね。
こどもの様子、感じようともせずにいたことを後悔。そして懺悔の気持ち。娘、めっちゃごめん。
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