雨あがりの夕暮れどき ~逃げることを赦す∼
Aちゃんは周りの人が、むすめたちがいろいろと代弁をしてくれるようだ。 Aちゃんも然るべきところでモノ申してきた。関わりを持ちながら”変えよう”を継続してきた。いつも気にかけていつもそばにいる献身的な仲間もいる。羨ましい。
Bちゃんは若い頃、遊んだそうだ。わたしたち世代でいうところの遊び人だったと自称。わたしはかつての遊び人が好きだ。彼女のむすこさんやむすめさんは親世代の力を借りながら自分たちの家族を造っている。Mちゃん曰く、「親世代が助けないとやっていけないのよ」。彼女はそこを背負って立つ。頼もしい。
Cさんは申し分ないプライベートを生きているように見える。長男さんは小学校の先生、双子の次男さんはオペラ歌手、双子の三男さんは彫刻家。投資会社にお勤めの夫さんも定年後も現役である。Cさんも子どもに関する活動で動いてらっしゃる。毎月のように息子たちのところへ出かけて、充実の人生を語る。その様子をどこか素直に聞けないわたしがある。
Ⅾちゃんは離婚歴があることを、再婚したことを後悔していない。日常的に子どもたちや孫たちやパートナーさんに深い愛情を注いていて、それが伝わってくる。それをわたしや友人たちに語る。よくお話をするのでからだを悪くしてしまった。そうした時も子どもたちやパートナーが気にかけてⅮちゃんを見守ってくれる。家族愛に溢れている。
Eちゃんは最近離婚した。次男さんがいじめにあった時に夫さんがまったく対応しなかったことに幻滅したようだ。子どものために動けない夫さんに嫌気がさしたようだ。そのことで実親さんとの関係も悪化したようだ。Eちゃんは今世帯主として働いているようだ。可愛い笑顔が絶えませんように。
Iは家族ファーストでやってきた。いろいろと学びながら非正規で働いてきた。夫は仕事の内容には理解を示しつつも、収入の額から”それは仕事ではない”という。Iは金額は度外視してきた。お金の使い方は生き方である。お金は人生や生活の全てではない。それを教えてくれたのは母だと思っている。それでも衣食住の衣の部分は自分でやってきた。夫に全てを求めてはいない。Iも十分な妻ではない。夫は定年後の再雇用を続けているが、疲れ切っている。Iはそこにアクセスしない。IはIで頑張っている。今も家族のことを一番に考えながら過ごしている。
そんなIはいまだに”NO”が言えない。ほぼ誰に対しても。である。今、追い込まれている。Iの準備不足を突かれている。Iにはそうなる理由があるがそれを説明する気になれない。また、彼女たちのやり方を一方的に押し付けられている。そのことが,わたしが彼女たちの言い分を素直に受け入れられないことにつながっている。この状態がわたしにとっては安心ではない。このことはそのまま彼女たちの安心を奪っているのだろう。
なのでIはここを離れようと思う。ここにある”NO”を発信しよう。 10年前にもこのようなことがあったような気がする。 10年に一回やってくるような波があり、今はその時期のような気がする。
確か。ダイアン・キートンの言葉に”わたしが60を過ぎてから学んだ最も大切なことは恐れないということ。わたしは全てを恐れて怯えていた。その恐怖こそが人生最大の後悔。”というのがある。Iは自分の意思表示をすること、その反応が返ってくる事、批判され受けとめられないことを恐れている。そこから逃げる。ごまかさないでその理由、自分の気もちを表明して。誰のせいでもない自分のために。Iは今60歳。これからの時間を後悔せずに過ごすために。
誰もが穏やかな気もちで過ごせますように。多謝。