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日本神話と比較神話学 第十八回 二重の王権と、暗黒の太陽 ツクヨミ、ヴァルナ、トート

はじめに

 日本神話の月の神とされるツクヨミは天上の主神である太陽神・天照大神、地上の王・スサノオとともに三貴子(みはしらのうずのみこ。国生み・神生み〔天地創造〕の最後に生まれた最も尊貴な三柱の神々)として出現しながらも、誕生の場面を除きごく限られた神話(日本書紀一書・第五段・第十一)にしか登場しない。
 世界の多くの神話では月は太陽とともにその誕生を語られ、また神格化された存在としての太陽神と月神のペアも、バビロニア神話のシャマシュとシン、ギリシア神話のヒューペリオンの子・ヘリオスとセレネ、中国神話の帝俊の妻・羲和と常羲、ゲルマン神話のソールとマーニなど多くの地域で確認できる。
 世界の神話では月神がパンテオン(万神殿。重要な神々の集団)の中で主要な役割を果たしていないことは必ずしも珍しくはないが、日本神話の中ではツクヨミの兄弟神である天照大神やスサノオの活躍が大きく取り上げられているため、それと対比したうえでツクヨミの存在感の小ささがしばしば疑問視されている。
 一部の論者はツクヨミの神話での役割の小ささについて以下のような説を提出している。

  • 別神格説。神話に現れるツクヨミは他の神格の月の神としての側面であり、本体は別の神格であるという説。スサノオは海の支配を任せられたり、死体から作物を生む女神を殺害するなどツクヨミと共通する神話があるため、特にスサノオ・ツクヨミ同神説は根強い。論者は国学者の平田篤胤など。

  • 中空構造説。日本神話では三柱で生まれた兄弟神的な神格のうち、二柱が対立的な役割を持つ一方、残された一柱が神話で表に出ないことで対立のバランスをとっているというパターンがみられるという説。タカミムスヒ・カミムスヒに対するアメノミナカヌシ、天照大神・スサノオに対するツクヨミ、ホデリ(海幸彦)・ホオリ(山幸彦)に対するホスセリなどが例として挙げられる。論者は深層心理学者の河合隼雄。

 小論では別神格説をとる。以下、月の神でもあるツクヨミの神格(夜の支配者たる知恵の神)を比較神話学的に考察を行う。

ヴァルナとツクヨミ

 フランスの神話学者デュメジルに師事した日本の神話学者の吉田敦彦は、師デュメジルの神々の世界の主権(支配権)に関する説を参照して、古代インド神話の二柱の最高神ミトラ・ヴァルナのうち、主権の法的な側面を司る神格・ミトラを日本神話の天照大神に対応する神格であると論じた。(吉田は日本・インド両神話のパンテオンの比較から日本への騎馬民族を介した印欧語族の神話の流入を推定しているが、本論ではそれには触れない)
 デュメジルの説によるとインド・ヨーロッパ語族の神々の世界では、主権は法的側面と呪術的側面という二つの相貌を有する。法的側面は明るく、人間に親しく、火や昼に関わり、人々の法=契約を守護する祭祀者=司法神ミトラに代表される。一方で呪術的側面は暗く、人間に対して趙然的であり、水や夜に関わり、人々を見張り法に反するものを拘束する呪術神ヴァルナが代表する。
 天照大神は高天原に侵入したスサノオとウケヒ(誓約)を交わし、その後のスサノオの暴虐も善意に解釈しようとするなど、誓約に忠実であり暴力を嫌うことなどから、吉田敦彦は天照大神をミトラ(主権の法的側面)に比定した。他方で吉田はアメノミナカヌシをヴァルナ(主権の呪術的側面)に充てている。しかし、アメノミナカヌシは古事記で最初に出現する神格であるが、ほとんど神話に現れず、ヴァルナの神格との同一視は困難に思える。
 吉田敦彦の議論を修正してインド神話のミトラ(昼)・ヴァルナ(夜)のペアに日本神話で対応するのは天照大神(昼)・ツクヨミ(夜)であるとする考察がある。(http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A4%E7%A5%9E%E7%BE%A4最終更新 2013年12月27日 (金) 02:03。を参照)
 ヴァルナは夜の太陽としての側面がある。

二 しかして彼(ヴァルナ)と出会いたるのち、われは思えり、ヴァルナの顔はアグニ(火神)のそれなりと。石の中に存する太陽(すなわち)暗黒の支配者に、彼はわれを導かんことを、驚くべき姿を見んがために

RG7.88『リグ・ヴェーダ讃歌』辻直四郎訳・岩波文庫。太字は引用者。

 そこで本論ではその議論を採用する。
 ヴァルナが夜と水(天上の水だと考えられる。ヴァルナは仏教では水天とされ、神仏分離令以前では水天宮はアメノミナカヌシと習合されていた)または海の支配者であるように、ツクヨミは神々の父・イザナギより「夜の食す国()」(古事記)または「日神とともに天(天上)」(日本書紀・第五段・本文、第十一)または「滄海原()」(日本書紀・第五段・第六)の支配を命じられている。ミトラとヴァルナがペアである一方ヴァルナは大蛇ヴリトラ殺しの神・インドラと対比される。(リグ・ヴェーダ4.42)日本神話では天照大神とツクヨミが対をなす一方、神話においては天照大神とヤマタノオロチ退治の神・スサノオが対立する。
  このようにヴァルナとツクヨミの類似は著しい。

ヴァルナとトート

 さらなるヴァルナの神格の考察に進もう。ヴァルナには他の神々同様、幻力(マーヤー)によって創造を行う、創造神的側面がある。マーヤーは「測定する」を語源とすると考えられている。ヴァルナの創造は測量に譬えられる。

五 ここに宣べよう、天空に立ち、測りを以てするかの如く太陽を以て大地を測りだした、栄光ある不死の君主ヴァルナのものたる、この力強い魔術の行使を。

RG5.85、Ralph T.H. Griffith.5訳英訳より重訳

 ヴァルナ以外にも「天地闊歩の神」たるヴィシュヌ神も天地を「測量」したとされる。(以上の議論は「沖田瑞穂の神話雑記」ブログ2015年10月10日記事「ヴァルナとヴィシュヌ3」およびMcdonell, Vedic Mythology,p.11〔未見〕を参照)しかし「空間の測量神」たるヴィシュヌに対してヴァルナには「時間」的側面がみられる。ヴァルナは年月の運行に結び付けられる。

七 彼(ヴァルナ)ぞ知る、空中を飛ぶ鳥の過ぎりし跡を。彼は海上の舟を知る。
八 固く掟を守る彼は、後裔に富む十二ヵ月(一年)を知る。彼は知る、それに添いて生まれくるもの(閏月)を。

RG1.25『リグ・ヴェーダ讃歌』辻直四郎訳・岩波文庫。太字は引用者。

(「謎の歌」RG1.164.11および1.164.15も参照。前者は「一年」、後者は「閏月」が答えとなる謎かけ詩。年月の運行は「天則の車輪」とされる。ヴァルナは「天則(リタ)」の守護者である)
 このヴァルナの創造神的神格はエジプト神話のトートに比せられる。
 トート(古代エジプトでの発音は不明)はエジプト神話で知恵と月の神、神々の書記であるとされている。エジプトのいくつかの創世神話のうち、ヘルモポリス(都市名。「ヘルメスの街」。トートはギリシア人によってギリシアの神ヘルメスと同一視された)の神話ではオグドアドと呼ばれる原初八柱の創造神の一角であった。また、神々や太陽神ラーの補佐神と考えられていた。
 おそらく最も有名なトートの神話はプルタルコスによって紹介されたオシリス神話の冒頭の説話である。

神々の王・太陽神ラーは天空の女神ヌトに呪いをかけて一年三百六十日の間に子どもを産めないようにした。そこで知恵の神トートは月とゲームで勝負をして勝ち、その輝きの七十分の一を奪い、(これによりトートは月の神となった)その七十分の一を用いて五日間の閏日を設けたので、女神ヌトはオシリス神、イシス女神、ホルス神、セト神、ネフティス女神を産むことができた。

プルタルコス「オシリスとイシスの神話」より

 この神話はエジプトにおける太陰暦から太陽暦への交替を反映しているともいう。
 ヴァルナが測量による創造神であり、その性質である天則(リタ)が時間を運行させるように、トートも創造神であり太陽暦を生み出した神格である。またヴァルナが夜の太陽神であるとすれば、トートは月(夜)の神である。ヴァルナはミトラ(のちに太陽神とされる)と並ぶ神々の王であり、トートは太陽神ラーの補佐神(相談役)である。ヴァルナもトートも魔術の神と見なされている。

ツクヨミとオモイカネ

 インド神話の主権神の一角・呪術神ヴァルナはエジプトの主権の補佐神・魔術神トートに近い性質を有している。知恵の神とは主権の補佐神の一側面であると考えられる。
 日本神話に現れる神格ではオモイカネが知恵の神であるとされる。天岩戸開き・国譲り・天孫降臨の段に現れ、それぞれの場面で神々より意見を求められ献策する(知恵を出す)神々の相談役であり、通説では多くの思慮を有することから「思い・兼ね」という神名であるとされている。
 小論ではオモイカネの名義について異なる議論を提出する。
 オモイカネ(思金神・オモヒカネ)とは「オモ・ヒカネ」ではないか。「オモ・ヒカネ」とは「オミ・ヒコネ」の転訛であると考えられる。「オミ」は「臣」であり、役職名である。「ヒコネ」は天照大神の子どもで長男オシホミミの弟神アマツヒコネ、イクツヒコネなどグループとなる神々の内、年少の男子に対する愛称であると思われる。天つ神(天上の神)アメノワカヒコの親友の国つ神(地上の神)アジスキタカヒコネは年少という記述はないが、アメノワカヒコは地上の王である大国主神の娘を得て「その国を獲むと慮ひて」いたように、相対的に格上だったと考えられる。
 オモイカネ(オミ・ヒコネ)は大国主神の補佐神であるスクナヒコナと対比されるだろう。スクナヒコナもまた「スクナ・ヒコネ」と解される。「スクナ」も臣同様、役職名(宿祢)である。

  • 思金神=オミ(臣)・ヒコネ(天照大神の補佐神)

  • 少彦名神=スクネ(スクネ)ヒコネ(大国主神の補佐神)

 世界の神話では地上の王である豊穣神と天空神のペアがみられる。ギリシア神話のクロノスとウラノス(「天空」。クロノスの父)、エジプト神話のオシリスとホルス(「天空」。オシリスの息子)などが挙げられる。地上の王である大国主神の対偶神・スクナヒコナも天の神タカミムスヒ・カミムスヒの子であるとされるなど天空神の性質を持つ。天つ神(天上の神々)と国つ神(地上の神々)の国譲り(地上の支配権をめぐる交渉)の際、天つ神の敵対者として、天空に居するアメノカカセオまたはアマツミカボシという星の神が現れるが、(日本書紀・大九段・本文、一書二)地上の王である大国主神に匹敵する神格であるかのような記述であり、おそらく大国主神の対偶・天空神スクナヒコナの別名ではないかと思われる。
 大国主神の補佐神(スクネヒコネ)の実体(現し身・荒魂)が星の神(アメノカカセオ)だとすれば、天照大神の補佐神(オミヒコネ)もまた、実体(現し身・荒魂)があったのではないだろうか。
 それは月の神(ツクヨミ)ではないだろうか。

  • 天照大神の補佐神(思金神・オミヒコネ)=月の神(ツクヨミ

  • 大国主神の補佐神(少彦名・スクネヒコネ)=星の神(アメノカカセオ

 もちろん、世界の神話では太陽神と月神のペアは普遍的である。

 オモイカネは天照大神の孫神・天孫(天の王族)ニニギが大国主神にかわる地上の統治のため地上に降臨する際、随伴した多くの神々の一柱である。
 以下の天孫降臨神話の、地上での祭祀に関する天照大神の神勅が語られる場面だが記述のあいまいさにより疑問が提出されている。

ここにその招ぎし八尺の勾たま、鏡、また草薙の劒、また常世の思金の神、手力男の神、天の石門別の神を副へ賜ひて(天照大神がニニギに)詔りたまはくは、「これの鏡は、もはら我が御魂として、吾が御前を拜くがごと、齋きまつれ。次に思金の神は、前の事を取り持ちて、政まをしたまへ」のりたまひき。この二柱の神は、拆く釧五十鈴の宮(伊勢神宮・内宮)に拜き祭る。

「古事記」天孫降臨の段。武田祐吉・校注・訓み下し。

 文脈からするとこの場面は、天照大神の詔勅によって伊勢神宮・内宮で天照大神とオモイカネを祭るようになったとしているように見える。しかし、古い時代には伊勢神宮・内宮ではオモイカネは祭られていない。そのため「この二柱の神」がいずれの神を指すのか、議論が噴出している。(ここでは触れないが、これとは別に直後に続く伊勢神宮・外宮に関する記述など、古事記のこの場面の前後は問題が多い。)
 小論ではオモイカネはツクヨミの別名であると考えている
 伊勢神宮・内宮では別宮として月讀宮(つきよみのみや。創建は九世紀以前にさかのぼるとされている。)でツクヨミが祀られている。

おわりに

 最後に議論をまとめる。
 世界の神話では、主権神は二重化されている。

  • 司法と王権の神格/呪術と知恵の神格

  • ミトラ/ヴァルナ(インド神話あるいは原インド=ヨーロッパ語族の神話)

  • 太陽神・ラー/月神・トート(エジプト神話)

  • 太陽神・天照大神/月神・ツクヨミ(オモイカネ)(日本神話)

  • 豊穣神・大国主神/星神・アメノカカセオ(スクナヒコナ)(日本神話)

 呪術神・魔術神としての創造は、実のところ自然神・月神としての測量(月の満ち欠けの周期によって一年を分節する。月を数える=月を読む=ツキヨミ。)と表裏の関係にある。
 誕生後姿を消した夜の世界の支配者・ツクヨミは地上が闇に包まれた(「常夜往く」)、天照大神の岩戸隠れの時にオモイカネとして現れたと小論では論じた。異伝ではツクヨミは女神を殺したために天照大神の怒りを買い夜の世界へ追いやられた(閉じ込められた)という。これは呪術的司法神としてのヴァルナが悪人を「拘束する」のに対応しているのかもしれない。

参考文献

工事中。

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