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日本神話と比較神話学 第十六回 海に沈むアポローン コトシロヌシ、アポローン、一本足の神・夔(き)

はじめに

 コトシロヌシは日本神話の神格である。国つ神(天上世界の神々と対立する地上世界の神々)の王・大国主神の息子の一柱で、託宣の神であると考えられている。コトシロヌシは天つ神と国つ神の国譲りの交渉の場面に現れる。

天つ神(天上世界の神々)は大国主神の地上の支配権を天孫(天上世界の神々の王族)に譲らせるため、使者を派遣した。出雲国イザサのオハマに来た使者タケミカヅチの「天の神々はあなたが支配する国は天孫が治めるべき国だと言っている。あなたの心はどうか」問いかけに対し、大国主神は「私では答えられないので息子・コトシロヌシが応えましょう。けれどもコトシロヌシは漁に出ており、帰ってきておりません」と答えた。そこで、コトシロヌシを召し出すと「恐れ多いことです。この国は天つ神の御子に献上しましょう」と答えて、『船を踏み傾け天の逆手を青柴垣に打ちなして』(意味は不明。海に潜ったとされている)隠れてしまった。その後、大国主神のもう一人の息子・タケミナカタが異論を唱えたが、タケミカヅチとの争いの結果、降伏した。大国主神は天孫に国を譲ることに同意した。タケミカヅチは報告のために天上に帰った。

古事記より

 コトシロヌシ(事代主・辞代主。代わりに言葉を下す神)という名と、国譲りにおいて大国主神の代わりに使者に回答したという神話から、コトシロヌシは大国主神の言葉を伝える託宣(預言)の神であると考えられている。大国主神はコトシロヌシについて「我が子どもの百八十の神々(大国主神の眷属)はコトシロヌシが御崎前(指導者)としてお仕えすれば従わないものはございません」としている。
 一方でコトシロヌシには海神という側面がある。
 日本書紀によると神武天皇の后ヒメタタライスズヒメはコトシロヌシの子どもである。コトシロヌシがワニとなって女のもとに通い、生まれたのがヒメタタライスズヒメ(ワニ=海神の娘)であるされる。
 このような、海神(または河の神・水神)の娘が神の子(子孫)に嫁ぎ、人間世界の王を生むという神話は日本神話以外にも、朝鮮半島〈朱蒙神話)や遊牧民族のスキタイ人の神話(タルギタオス神話)に見られる。
 以下、小論ではこのコトシロヌシの神格の二つの側面――地上の神々の王の眷属を従える託宣(預言)の神の神格と、天上の神々の王の子孫に娘を嫁がせる海の神としての神格――を比較神話学的に考察を行う。

射手と神託――アポローン、ルドラ

 ギリシア神話のアポローンは「デルポイの神託」で知られる神託の神である。主神ゼウスとティターン神族レトの間に生まれオリュンポス神族の代表的な十二神に属し、双子の妹は狩猟の女神アルテミスである。その若々しく開明的な性格から、もっともギリシア的な神であると考えられながら、他方ではギリシアとトロイアが争うトロイア戦争では、神々も人間も両勢力に分かれる中トロイア側に味方する神々の一柱だった。また竪琴をシンボルとする芸術の守護者でもあり、伝説的な詩人オルフェウスの父親とされる。
 このアポローンはまた、「遠矢射るアポローン」として知られている。この矢は疫病をもたらすとされ、転じてアポローンは医療の神ともされる。医術の神アスクレピオスは彼の息子である。
 このようにアポローンは多面的な神格を有するが、比較神話学的にはインド神話のルドラに相当する神格であるとされる。
 インド神話のルドラは、インドの民族宗教・ヒンドゥー教の主神の一角・破壊と修行と舞踊の神シヴァの前身とされ、その名「ルドラ」は「吠えるもの」を意味する、強力な荒ぶる神である。射手の神とされ、戦神インドラとその眷属マルト神群でも攻め落とせなかった悪魔の要塞(トリプースラ「三都・三つの町」)を一矢で滅ぼしたことから、シヴァ=ルドラはトリプランタカ(「三都破壊者」)と称される。
 このインドのルドラはギリシアのアポローンと同様、矢を射るものであり、疫病をもたらすと同時に病の癒し手であり、ルドラはモグラネズミ、アポロンはネズミと、いずれもげっ歯類に関連が深いなど、同一の神格と推定されている。(p434 Mallory, J. P.; Adams, D. Q. (2006-08-24). The Oxford Introduction to Proto-Indo-European and the Proto-Indo-European World.より)
 ただ、ルドラには予言の神としての神格は見受けられない。
 一方、日本神話の大国主神は根の国(冥界・地下世界)を支配するスサノオの試練に打ち克ち、スサノオの娘スセリビメと、スサノオの宝「生太刀(いくたち)・生弓(いくゆみ)・天沼琴(あめのぬごと)」を獲得しその太刀と弓で対立する神々を打ち破り(「古事記」)、他方では人民のために医術の道を定めた医療神であるとされる。(「日本書紀」一書・第八段・第六)また、大国主神の別名とされる大物主神は崇神天皇の時代に祟りによる疫病を引き起こしたとされる。(さらに大国主神はスサノオの試練でネズミに助けられたことから、ネズミは大国主神〔仏教と習合した場合は大黒天〕の神使であるとされる。アポローン、ルドラ同様げっ歯類と関連が強い)
 その大国主神の息子のコトシロヌシは、託宣・預言の神格である。コトシロヌシがアポローンに対応する神格であるとすると、射手の神(「生弓」)・医療の神・疫病の神・音楽の神(「天沼琴」)としての神格は父親の大国主神に吸収されたのか、あるいは大国主神の息子たちの指導者としての地位を引き継ぐ際に太刀・弓・琴の神宝(射手・医療・音楽の神格のシンボル)も継承したという神話が脱落したのかもしれない。
 アポローン・ルドラ・コトシロヌシに見られる一見多様な神格(射手・医療・音楽)であるが、本来はいずれも託宣の神(神々の王の代理)としての神格に付随するものであったかもしれない。医療は疫病に付随し、疫病は神意を示すための祟りと考えられる。音楽はのちに論ずるように、神々の王の名代として王に属する眷属を統率するためのものである。(アポローンの息子・オルフェウスの竪琴の音色には森の動物や木石までが集ったという。ルドラの名前「吠える」も眷属を従えるための吠え声かもしれない)

百獣の舞踊――夔(き)、(こく)、舜(しゅん)

 夔(き)とは中国古代の伝説的な聖帝・堯(ぎょう)と舜(しゅん)に仕えていた楽人であるとされる。この夔が石を打ち琴をかき鳴らすと百獣が舞い踊り人々の心が和んだという。その様はギリシア神話の楽人オルフェウスを思わせる。しかし「山海経」などによると夔は本来は一本足の獣のすがたをした怪神・山の神であった。

夔(き)さまは牛のごとく、身体は蒼(あおぐろ)いが、角は生えていないで、一本足であり、・・・・・・そのうなる声は雷のごとくとどろいた。・・・・・・黄帝のみかどがこれを生けどりにされ、皮をはいで鼓をつくり、杙(くい)のようなこの雷獣の骨をばらばらにしてうち鳴らされると、その声は五百里四方にひびきわたった。

大荒東経「山海経」貝塚茂樹・訳

 古代中国学者の貝塚茂樹は『中国の神話 神々の誕生』の中で、この夔が天帝に逆らったために疏属という山の頂上の木に右足に梏(あしかせ)をつけ吊るされた危(き)という神と同じ神格であったと推定し、夔の一本足の由来を説明している。

 あるいは一本足とは動物(山の神の眷属)を従える舞踊の姿を示しているのかもしれない。パシュパティ(獣の王)という異名を持つシヴァ(ルドラ)は舞踊の神でもあった。

ダンスするシヴァの像。Chola dynasty statue depicting Shiva dancing as Nataraja (Los Angeles County Museum of Art)

 貝塚茂樹は夔(き)は夒(どう)という一本足の猿の怪物と同じものであり(字も上に角があるだけ)、この夒(どう)は中国の古代王朝・殷代の甲骨文で「高祖なる夒(どう)のみまえに祭りせんとす」とされている、殷王朝の祖先神であり、つまり夔(き)は殷王朝の祖先神であったと推定する。
 中国古代の聖帝である五帝の一人・帝とは本来は天帝(天の神)であるが人間の王として伝説化されたものであるとされる。夋は殷墟(殷王朝の遺跡)から出土された甲骨文字に現れる夒(どう)(殷王朝の祖先神)の変形(誤写)であり、つまり舜=夋は殷王朝の祖先神である。夋は西晋時代より帝舜と同じく五帝の一人である帝(こく)と同一であると考えられており、これは音が似ている夒(どう)から派生したと考えられる。つまり天帝・夋、帝舜、帝は一本足の山の神・夔(き)=夒(どう)から派生したと貝塚茂樹は論じる。夔(き)が危(き)であるように、夒=(こく)も本来は梏(こく・あしかせ・一本足のシンボル)からきていると推定される。あるいは上記で推定したように、一本足が舞踊のシンボルであり、舞踊が眷属を従える託宣と関わるならば、(こく)は託宣を示す告(こく・つげる)かもしれない。
 とりあえず、推定される夔(き)の性質は下記のようなものである。

  • 一本足の山の神である。一本足は舞踊のシンボルであり、その舞踊・または打ち鳴らす音楽は山の神の眷属(百獣)を従える。

  • 王朝の祖先神である。

 これらはコトシロヌシについて指摘した二つの神格――地上の神々の王の眷属を従える託宣(預言)の神の神格と、天上の神々の子孫である王に娘を嫁がせる(女系での祖先)海の神としての神格――に対応する。(アポローンの聖所デルポイ〔イルカの意〕も海に関わる)
 それではなぜ、この二つの神格が関連するのであろうか。

洪水と王権――綿津見神、禹(う)

 夏王朝の初代・禹(う)王は父親・鯀が失敗した治水事業を帝舜の命令で引き継ぎ、大洪水を治め治水を成功させた功績から、舜の後を継ぎ王(夏王朝)となった。これを治水神話という。しかし、中国に残る五帝などの聖王の伝説は、本来は神々の物語を、人間の権力者の統治に置き換えて合理化したものであるため、治水神話の原型は本来、他の地域でほぼ普遍的にみられる、大洪水神話(人間の悪や争いが原因で大洪水が起き人類の大半は絶滅するが、少数の人間が助かり現在の人類の祖先となる)であったと思われる。
 研究者によると禹とは本来蛇や竜など爬虫類の象形文字であり、禹は父親の鯀とともに水を支配する水神の類であったという。
 また禹は「偏枯」であったと古代中国の哲学者・荘子はいう。「偏枯」とは「禹歩」(禹の歩き方)とよばれる片足で跳ぶように歩くさまを指すらしい。

  • 禹は片足(一本足)で跳ぶように歩く。

  • 禹は夏王朝の祖先神である。

 上記のようにまとめると、禹は、「一本足の山の神」であり「殷王朝の祖先神」である夔(き)と対応する神格であると推定される。しかし、さらに

  • 禹は洪水を治めた水神である。

 という神格でもある。
 以下は中国の少数民族の大洪水神話である。

 大昔、雷公が暴れ回るので、ある男が虎狩り用の刺股で捕らえ、鉄の檻の内に閉じ込めた。ある日、男が所用で留守をするとき、二人の男と女の子供に雷公の見張りを命じ、決して水を与えるなと言いつけて出かけた。兄と妹が見張りをしていると、雷公は苦しそうにうめき、子供らに水を求めた。最初は断ったが、同情した兄と妹は一滴の水を雷公の口に滴らせた。突然、雷公は檻を破って飛び出し、天空に昇って行った。立ち去るとき兄妹に歯を抜いて与え、植えるように言った。父親が戻り、驚いて舟を造る用意を始めた。二人の子供が雷公の歯を植えるとたちまち生長し。大きな瓠の実がなった。まもなく大洪水が起こり、船に乗った父もすべての人間も溺死したが、瓠のなかに入った二人は助かり、のち結婚して肉塊を産んだ。それを細かく切って撒くと人間に変わった。

中国の少数民族・ミャオ族の神話『世界神話事典』より。太字は引用者。

 雷公(雷神のこと)は夔(き)と近い性質を持つ。(夔の唸り声は雷のようにとどろく)そして雷公は大洪水を生き残るための予言・託宣をして立ち去る。そして大洪水を生き残った兄妹は人類の祖先となる。兄妹は雷公の歯から生じたヒョウタンで生き残った(再生した?)のだから、ある意味、雷公は祖先神ともいえる。禹(う)や夔(き)には本来、ミャオ族の神話の雷公のように託宣・預言によって人類を大洪水から救い出すという神話があったのではないだろうか。
 以下は日本神話の洪水神話である、海幸山幸の神話である。

天孫(天上の神々の属)の子で兄のホデリノミコトは海幸彦、弟のホオリノミコトは山幸彦と呼ばれた。あるとき山幸彦は海幸彦からしつこく頼んで借りた釣り針をなくしてしまった。山幸彦は代わりの釣り針をそろえて許しを請うたが、海幸彦は許さなかった。山幸彦が悩んでいるとシオツチノカミという神が現れ、海の神の娘に会って相談するように助言を与えた。
そこで山幸彦は助言に従い海の神の宮殿に向かい海の神の娘トヨタマヒメと結婚する。結婚後も兄の釣り針について悩んでいた山幸彦が相談すると、海の神はなくした釣り針を見つけ出す。そして釣り針を渡す際に兄が貧しくなるように呪いをかけ、兄と争いになったら洪水を起こすシオミツタマと水をひかせるシオフルタマを使って兄を懲らしめることを勧めた。地上に戻った山幸彦は海幸彦に釣り針を返したが、海の神のいうように争いになったので、洪水で海幸彦を服属させた。
さて海の神の娘トヨタマヒメは「私は妊娠して出産の時期となりました。天つ神の御子は海原で産むべきではないので、まいり来ました」と申し出た。そして産屋を建てると「異界のものは出産のとき元の姿になります。私も出産のさいには元の世界での姿になりますので、その姿を見ないでください」といった。しかしそれを不審に思った夫(海幸彦)が産屋をのぞくと、妻はおおきなワニの姿となっていた。その姿を見られたことを恥じた妻は子ども(ウガヤフキアエズノミコト)を残して海に帰っていった。妻は子どもの養育のために自分の妹を残していった。のちに子どもと妻の妹の間に生まれた子が最初の王となった。

古事記より

 兄との諍いから海の神の力を借りて洪水を起こす。それによって兄は服属し、洪水が収まる。その後、海の神の娘との間に生まれた子どもから王朝の祖先が生まれる。
 注意すべきはここでいう海の神(綿津見の神)が一般名詞であるという点である。日本神話には複数の「綿津見の神」が現れている。河川の神々に先立って生まれた大綿津見の神、イザナギの禊(みそぎ)のさいに住吉三神とともに生まれた三柱の綿津見の神などである。海の神(綿津見の神)というだけではいずれの神なのか判然としない。
 そして天孫への王権移譲をうけいれたのち、海に潜ったコトシロヌシもまた、海の神とされている。そして天孫に嫁いだ海の神の娘トヨタマヒメの現し身が巨大なワニであるように、神武天皇の后・ヒメタタライスズヒメのちちであるコトシロヌシもワニのすがたをとっている。
 つまるところ、トヨタマヒメの父である海の神もまた、コトシロヌシであったのではないだろうか。
 禹や夔(き)、アポローンやルドラといった神格から推定復元された託宣の神は次のような神格であった。

  • 言葉や声、音楽による託宣を行い、眷属を従える。

  • 大洪水において人類を援助する。

  • 王朝の祖先神となる。

 上記に倣うと、推定復元されるコトシロヌシの神格は次のようにまとめられる。

  • 大国主神に代わって託宣を行い、大国主神の眷属を従える。

  • 海幸山幸の争いにおいて洪水によって山幸彦=ホオリノミコト(王権の祖)を援助する。

  • ホオリノミコト・ウガヤフキアエズノミコト・神武天皇と三代にわたり娘を嫁がせ王朝の祖先神となる。

 託宣の神と王朝の祖先神という神格は大洪水神話によって結び付けられている。

おわりに

 コトシロヌシには同じく大国主神の息子である兄弟神・アジスキタカヒコネがいる。アジスキタカヒコネは天から下りた神アメノワカヒコの友である。アメノワカヒコの父親・アマツクニタマとは「天上にいる地上の支配者」の意味で、おそらく天照大神の長子オシホミミをさす。(天照大神は大国主神・別名ウツシクニタマの王権をオシホミミに移譲させようとしていた)その場合、アメノワカヒコはオシホミミの子である天孫ニニギの兄ホアカリの異名ということになる。
 つまり、オシホミミの子である二人の天孫のうち、兄ホアカリにはアジスキタカヒコネが、弟ニニギの系統にはコトシロヌシが仕えていることになる。(ホアカリ=アメノワカヒコの系統はアメノワカヒコが天の神に反逆した結果、死亡したため絶えている)
 そしてアジスキタカヒコネの妹がアメノワカヒコ=ホアカリに嫁いだように、コトシロヌシの娘はニニギの系統に嫁いでいる。つまり、天孫には大国主神の系統の女神が嫁いでいる。
 以上は、天の神の二人の子供のうち、兄は地上を繁栄させるも神々と対立し地下世界へ追いやられ、弟の系統は大洪水ののち人類の祖先となるという比較神話的な手法で復元された原神話に相当する。
 詳細な議論は省くが、小論をより大きな文脈に置いて考察されるべきであることの指摘によって、議論を閉じることとする。

参考文献

工事中。


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