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日本神話と比較神話学 第八回 大洪水と竈神 海幸山幸、三宝荒神、シンデレラ

1 はじめに

 かつて大洪水が地上を襲い、洪水を生き延びたわずかな生き残りが現在の人類となったという洪水神話は古代メソポタミアから新大陸の文明に至るまで世界中に残されている。
 各地の洪水神話は、いくつかの類型に分類されるが、世界の始まりに陸地はなく水だけが広がっていたという原初水界型や特に洪水の起きた理由を語らない宇宙洪水型を除くと、『創世記』の「ノアの箱舟」の神話で有名な、神々が人間の堕落を罰するために洪水を起こす懲罰型や、神々あるいは人間たちの争いが洪水を引き起こしたという闘争型といった、堕落や争いによって洪水が引き起こされるという倫理的意味合いを持つことが多い。
 国学者・平田篤胤をはじめ日本神話には洪水神話がみられないと論じられることがあるが、今日では記紀神話に見られる海幸山幸の物語は闘争型洪水神話に属すると考えられている。(海幸山幸についてはのちに詳しく論じる)
 一方で、民話でも洪水神話と共通のモチーフを有する物語がみられる。
 世界に流布している同系統の説話が流布している、民話のシンデレラ物語には「主人公の女性が水界の精の助けを得て対立する義母・義姉妹を出し抜く」という要素がみられる。これは、「海神などの神の化身または使者である動物(魚など)の助け(大洪水を逃れる方法を教えられる)で少数の人々が生き延びる」という洪水神話のモチーフに対応しており、シンデレラ物語の家族同士での対立は闘争型洪水神話の痕跡であると思われる。(実際、洪水のモチーフを含むシンデレラ物語がミャンマーの民話に見られる)
 本論ではシンデレラ物語とは「闘争型の洪水神話が民話化し、大洪水による人類の絶滅という主題を失った物語である」という観点から両者を比較して論ずる。そこで両者には「近親者の争い」と「水の支配者の援助」という共通項が存在し、さらにその背後に、「竈(料理)の火」という第三のモチーフが見いだされるということを検証する。

2 シンデレラと洪水神話

 広く流布するシンデレラ物語はフランスのペローの「サンドリヨン」やグリム兄弟の「灰かぶり」であるが、浜本隆志『シンデレラの謎』によると最古のシンデレラ物語は古代エジプトのもので、それが一方ではヨーロッパに、他方ではインドを通過して、日本の民間信仰研究者・南方熊楠が指摘した「西暦九世紀の志那書に載せたるシンダレラ物語」こと「葉限」物語となり、東南アジアに広がり、さらに日本では民話「糠福米福」となったという。
 ここでは次のような物語をシンデレラの基本形として考えよう。

主人公は母の死と父の再婚によって義母・義姉妹と暮らすくことになるが、辛く当たられる。ある時、晴れの舞台(祭りや舞踏会)が催されるので、義姉妹は着飾って出かけるが、主人公は家に残され仕事を命じられる。一人で辛い仕事を行う主人公のもとに水の精(時には実母の化身)が現れ、魔法で仕事を片付け主人公を着飾らせ、晴れの舞台に送る。主人公はそこで貴公子に見初められるが、別れる。主人公は再び義姉妹たちとの生活に戻るが、主人公を思う貴公子が主人公が残した靴を手掛かりに、主人公を見出し、主人公は貴公子に輿入れする。義母・義姉妹たちは没落する。

 主人公の境遇の転機となる、水の精との出会いだが、水の精は魚であったり、主人公の実母の化身の牛であったりする。
 伝承地域によっては明確でない場合もあるが、シンデレラ物語の主人公は「近親者との争い」に際し、「水の支配者の援助」によって勝利するというモチーフが確認できる。
 次に洪水神話を見てみよう。
 マレー半島の神話では宴会の席で行われた動物たちの戦いがエスカレートし、犬と猫が争うと、とうとう大洪水が山から降下し平地の人間は全滅し、薪を取りに行っていた召使だけが生き残った。
 インドネシア・ニアス島の神話では山々がどの山が一番高いかを争った結果、神が洪水を起こしたので、残された二三の山に逃れた人々以外の人間はおぼれ死んだ。
 これらの洪水神話にはシンデレラ神話物語(「水界の援助」)との類似は見出しがたい。
 インド神話では光明神ヴィヴァスヴァットの子マヌが手の中に飛び込んできた魚の予言によって、大洪水を生き延び人類の始祖となった。
 ギリシア神話のデウカリオーンは父である神プロメテウスの警告で大神ゼウスの起こした大洪水を生き延び人類の祖先となった。 (ゼウスはアルカディアの王リュカオーンに人肉を提供されたことに怒り、リュカオーン王とその子どもを狼に変え、人類に大洪水を起こした)
 この他にも『ギルガメシュ叙事詩』のウトナピシュティム物語、『創世記』の「ノアの箱舟」など、大洪水に先んじてなされた警告によって人類の祖先が生き延びたとされる神話は多い。これらの大洪水の警告はシンデレラ物語の「水の支配者の援助」に相当する。
 次に大洪水神話とシンデレラ物語の連続性を確認するため、両者の中間形にあたるような、ミャンマーの民話を検討しよう。

 主人公である娘の母親が死んで父親が再婚するが、再婚相手は魔女であった。主人公は義母・義姉妹に辛く当たられる。主人公は慰めに魚と交流するが、義母は魚を殺す。主人公が魚を弔おうと、火にかけると魚の身体が山となりその上に乗った主人公は天に上る。主人公は天にいる雨の神の甥である雷神に嫁ぐ。父と義母へのあいさつのため、主人公と夫は地上に降りるが、義母は雷神に犬の肉を食わせようとする。甥を侮辱され怒った雨の神は地上に大雨を降らせた。雨の神の怒りがおさまるまで四か月がかかる。これが毎年起きる雨季の起こりとなった。

「雨季の起こり」(ミャンマー)

 上記の民話はシンデレラ物語の基本形を残すとともに、洪水神話にも通じるモチーフがみられる。(主人公の魚との交流や義母による魚の殺害は他のシンデレラ物語にも見られる)
 まず雨の神が人間への懲罰として降らせる大雨はこの地域の雨季と関連付けられているが、大洪水を思わせる。また「近親者との争い」および「魚の援助」といった他の民話・神話に共通してみられるモチーフ以外にも、ギリシア神話においてリュカオーン王が人肉の料理でのもてなしで大神ゼウスを激怒させたように、主人公の義母は雷神に犬の肉を食わせようとして神々の怒りを買い、大雨(大洪水)の原因となる。
 特に注目すべきは最後に指摘した、大洪水を引き起こすこととなる「料理に関する神々への不敬」である。これこそが洪水神話とシンデレラ物語をつなぐ第三の環となる。

3 竈神とシンデレラ

 シンデレラ物語が竈神(神聖なる料理の火)と関わっていることはしばしば指摘されている。(中沢新一「人類最古の哲学」など)ヨーロッパ系統のシンデレラ物語は「灰かぶり」(ドイツ)「灰かぶり猫」(イタリア)などの主人公の名前に見られるように、竈の灰とのかかわりが深い。(これは家族より、料理などの下働きを命じられていたことと関連付けられる)
 他の地域でもシンデレラ物語では、主人公は継母より過酷な家事を命じられ、装いが汚れていることがよく見られる。これもまたシンデレラ物語の主人公が灰・竈・料理に関わる痕跡と考えられるだろう。
 東アジアの民間信仰では竈神の起源が次のように語られる。

昔、夫婦がいた。結婚後、暮らし向きはよかったが、傲慢になった夫が妻である女を家から追い出した。行く当てのない女はたどり着いた遠方の地で出会った男と再婚する。女と新しい夫は裕福になる。一方元の夫は妻を追い出して以来没落し、ついには盲目の乞食となる。そして、そうとは知らず元の妻である女の家に物乞いに訪れる。女は乞食が元の夫だと気づき、あわれみ施しを与える。元の夫はたびたび元の妻の家に物乞いに訪れるが、ある時、その家の女が元の妻であると気づいて我が身を恥じて、竈の火に飛び込んで自殺する。それをあわれんだ女は元の夫の死体を調理場の裏に埋めて祀ることとした。これが竈神を祀る起こりである。

「竈神のおこり」(ベトナム、中国、日本など)

 中国では女と元の夫が、ベトナムでは女と元の夫と現在の夫の三人が、死後、天帝によって竈神とされたという。後で論ずるが、竈神は本来、三柱の神々であると考えられるので、ベトナムの信仰のほうが原型を残していると思われる。
 主人公の迫害者が継母から夫になっているが、「竈神のおこり」はシンデレラ物語に粗筋がよく似ている。地域によっては女を新しい夫のもとに導くのは女の唯一の持ち物であるであるが、シンデレラ物語でも主人公を助けるのが牛(死んだ実母の化身)であるパターンが存在する。
 竈神は家の守護神でもあるため、シンデレラ物語よりも、家と家の対立または家々の禍福という視点が前面に出ている。
 日本でも竈神は民間で信仰されている。西日本では竈神は荒神、特に三宝荒神という神格であるとされる。三宝荒神は三宝(仏教で仏・法・僧という三つの貴いものを指す)を守護する荒々しい神とされるが、仏典でも確認されない、竈神として信仰されている以外は実体の不明な神格である。一方、三宝荒神という名は宛字であり、本来は「ミホススミノカミ」という神格であったという考察がある。(参照:古事記に親しむ改 「三宝荒神」は仏教の尊格ではない)本論ではこの優れた考察を採用したい。
 ミホススミノカミとは三柱の「ホススミノカミ」であると考えられる。
 三宝荒神は三面六臂の神であるとされ、「三宝荒神」とは近世の俗語では横並びに三人が乗れるようにした馬の鞍、またはその乗り方を指した。また仏教の尊格の大黒天は、インド・中国では厨房の神として信仰されており、日本でも台所の神として民間で祀られているが、この大黒天は開山の祖・伝教大師によって三面大黒天(大黒天・毘沙門天・弁財天の三面ともいう)として比叡山に勧請されている。これらは竈神が本来、三柱の神として信仰されていた痕跡であろう。

 三柱の竈神は東アジアの民間説話では家々の禍福に翻弄される三人の男女が死後、家の守護神となった姿であった。シンデレラ物語では竈の灰と縁が深い主人公と対立する義母または義姉妹と、一方、主人公を見初める貴公子の三人の登場人物が現れる。いずれの民話も竈神の信仰に関わっているというのが、上記の議論のまとめである。
 それでは三柱の竈神である「ホススミノカミ」とはいかなる神であるのか。

4 竈神と洪水神話

 日本神話における大洪水の神話である「海幸山幸」は次のような物語である。

天孫ニニギノミコトに見初められたコノハナサクヤヒメ(またの名はカムアタツヒメ・カシツヒメ・カムアタカシツヒメ)は、一夜で孕んだことを疑われたため、自らの潔白を示すため、建物の中で火をつけて出産した。こうして火中で生まれた三柱の男子はホデリノミコト、ホスセリノミコト、ホオリノミコトといった。
ホデリノミコトは海幸彦、ホオリノミコトは山幸彦と呼ばれた。あるとき山幸彦は海幸彦からしつこく頼んで借りた釣り針をなくしてしまった。山幸彦は代わりの釣り針をそろえて許しを請うたが、海幸彦は許さなかった。山幸彦が悩んでいるとシオツチノカミという神が現れ、海の神の娘に会って相談するように助言を与えた。山幸彦は助言に従い海の神の宮殿に向かい海の神の娘トヨタマヒメと結婚する。結婚後も兄の釣り針について悩んでいた山幸彦が相談すると、海の神はなくした釣り針を見つけ出す。そして釣り針を渡す際に兄が貧しくなるように呪いをかけ、兄と争いになったら洪水を起こすシオミツタメと水をひかせるシオフルタマを使って兄を懲らしめることを勧めた。地上に戻った山幸彦は海幸彦に釣り針を返したが、海の神のいうように争いになったので、洪水で海幸彦を苦しめた。海幸彦は守護者として山幸彦に仕えることを誓った。また溺れる姿を踊りの姿とした。

記紀神話

 海幸山幸の物語は「近親者との争い」で「水の支配者の援助」を受け、敵対者を出し抜くという男性版シンデレラ物語というべき粗筋である。山幸彦との争いに敗れた海幸彦は没落し、山幸彦に服属する。(三兄弟の名前について排泄が多いが、ここでは上記を採用した)
 海幸山幸の物語はまた、料理の火に関わる神話である痕跡がうかがえる。
 海幸山幸の兄弟の母親であるコノハナサクヤヒメはアタツヒメ・カシツヒメ・カムアタカシツヒメなどの別名を持つ。通説では「アタ」「カシ」は地名に由来するといわれる。だが、火中出産の物語から考えると、カムアタカシツヒメはとかかわりが深い神格と考えられる。そこでここではカムアタカシツヒメの名前は次のように解釈する。

「カム(神)・アタ(熱)・カシ(炊)ツ・ヒメ」
「カム」は神聖さを表す。「アタ」は熱海(アタミ)の「アタ」と同様で「あたたかい」の意、「カシ」は「炊(かし)ぐ」の「カシ」で「料理」「調理」のこと。よって「カムアタカシツヒメ」は「料理の火の女神」という意味であると考えられる。

 

 土で塗り固められた中で火をかけられた産屋(出産のための建物)は原始的な竈の姿を思わせる。「料理の火の女神」によって竈の中で生まれた三柱の男子は火を司る三柱の竈神である。
 民間信仰における竈神の名前と推定される「ホススミノカミ」は次男「ホスセリノミコト」の別名「ホススミノミコト(火進命)」と同じか、三柱の総称であろう。
 一部地方ではひょっとこ面を竈神として祀っている。「ひょっとこ」とは「火男」で竈神を意味する。ひょっとこの顔は「火に息を吹きかけている顔」であるともいうが、海幸山幸の神話と竈神の関連を考えると、ひょっとこ面は「潮吹き面」とも呼ばれるように、大洪水で海幸彦の溺れるさまを模しているのではないかと考えられる。海幸彦の子孫の隼人族は海幸彦の溺れるさまを真似た「隼人舞」を宮中での芸能としていたという。おそらく民間でも隼人舞の習俗が広まって、ひょっとこ面の原型となるような面をつけ溺れる真似をする芸能または竈神の儀礼がかつてあったのだろう。

5 おわりに

 仁徳天皇が家々の煙の火をみて庶民の暮らしを思ったように、竈の火は「イエ(家)」の象徴である。「竈を分ける」とは家産を分けることを意味する。
 フランスの人類学者レヴィ=ストロースは南米アマゾンのボロロ族の伝える「男性親族同士が争った結果、暴風雨が起き、ただ一軒の家を除いてすべての家の火が消えてしまった」という神話を紹介し、他の地域の神話との比較から、この神話が天から降ってくる水による「反ー火」の神話であると分析した。この「反ー火」つまり「火の絶滅」の神話は現在の「火の起源」の神話でもある。
 リュカオーン王やミャンマーの神話における神への不敬は、神にささげる料理に対する不敬でもあった。洪水神話は懲罰としての「反ー料理の火」の神話でもある。
 ニニギノミコトとカムアタカシツヒメが人間の世界につながる最初の婚姻であったとすれば、大洪水から生き残った竈の火(竈神)は、そこから全てのイエが派生することとなる最初のイエである。「料理の火」、「水の支配者の援助」、「近親者との争い」という洪水神話は火の起源、人類の起源、そしてイエの起源神話でもある。


参考文献

工事中

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