見出し画像

日本神話と比較神話学 第二十一回 続・虚空/葦の芽/遊ぶ魚

天地の構造(まとめとしきりなおし)

 日本神話は、王権を中心に神代と人代の出来事を描いた日本の歴史書・古事記と日本書紀を主要な典拠としており記紀神話と呼ばれるように、古事記と日本書紀(記紀)を中心とした複数の史料(神典)にその内容を拠っている。
 そのため、日本神話(記紀神話)には古事記の神話と日本書紀と神話という異なるバージョン(異伝)がある。のみならず、日本書紀に記されている神話(神代)には本文以外に一書といわれる複数の異伝が掲載されているため、日本神話には必ずしも一致しない複数の異伝が存在していることになる。
 日本神話の創世神話の劈頭をなす天地開闢神話も、多くの異伝が存在しているため、日本神話の世界観において現れる最初の神格がいずれの神格かを確定することは困難である。
 本論では複数の異伝を比較考証の結果、次のように日本神話の天地開闢神話の原神話を推定復元する。

天地が初めて開闢した際、高天原(天上世界・天界)にはアメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒという三柱の神々(造化三神)が現れた。次に空中(虚空・空界)に葦の芽(アシカヒ)のように萌え騰がるものが現れた。葦の芽のようなものからはウマシアシカビヒコジ、アメノトコタチという二柱の神々が生まれた。以上の五柱の神々を別天つ神(ことあまつかみ。特別な天上の神々)という。次に大地(地球・地界)が現れた。大地は固定されておらず水中に遊ぶ魚のようだった。この漂う大地からはクニノトコタチ、クニノサヅチ、トヨクムヌという三柱の神々が生まれた。

 上記を表にまとめると下記のようになる。

 天地開闢の際、天界(宇宙)がまず存在し、そこにそれぞれ空界(天空)と地界(大地)の基になる根源物質が現れる。さらに天界・空界・地界の三領域にはそれぞれの神々が出現する。以上のように復元神話をまとめられるだろう。

創造神話(宇宙開闢神話)とその哲学的解釈

 インドやギリシアに現れた世界(宇宙)とはいかなるものであるかという問い、すなわち哲学(存在論)はまず神話の合理的解釈すなわち神学として現れた。インドのヴェーダンタ哲学にはバラモン(祭祀階級)のヴェーダの神学が、哲学者プラトンにはオルフェウス教団の神学が先行していた。
 神話の中でも創世神話なかんずく宇宙開闢の神話は哲学と密接な関係を持つ。(すでにインドの神々への讃歌であるヴェーダ文献には世界の創造に関する思弁的な考察が現れている)
 以下の議論はmorfo氏のブログ「神秘主義思想史」の「創造神話と古代神智学」の論述 https://morfo.blog.ss-blog.jp/2011-03-14-1 を参照している。
 morfo氏によれば神智学と呼ばれる欧米圏で生じた古代の秘儀的宗教の復興運動・思想はアーリア人(この場合はユーラシア大陸に拡散する前の原インド=ヨーロッパ語族に属する人々)の世界観に基づいており、その秘密解釈(秘儀的解釈)であるという。
 そのアーリア人の世界観とは、近年の世界神話学でいうローラシア型神話(西アジアを中心にユーラシア大陸および南北アメリカ大陸に広く分布する、神々の集団の争い・竜退治などの神話を共有する神話群)に相当する。
 そこでmorfo氏は創造神話を神智学の観点から考察し、創造神話のうちの宇宙開闢神話に共通するパターンを提示した。多くの地域の神話(ローラシア型神話)では混沌や原初の海の中から、原初の丘(陸地)や宇宙卵(宇宙がそこから生まれる卵または根源物質)が現れ、さらにそこに創造神が出現し天地の創造が始まる。氏はこれらの神話を神智学の視点から至高神(至高存在)静的次元・核的次元・創造的次元という至高神に含まれる複数の側面として整理する。
 以下はmorfo氏の議論・図表の抜粋および参考として日本書紀・本文の神話(定説では淮南子などの中国の創造神話の引用である)を添付した表である。

創造神話の神統譜

 哲学(存在論)的には、至高神(至高存在)の静的次元・核的次元・創造的次元とはそれぞれ、質料(本質の流動的側面)・形相(本質の固定的側面)・存在(本質の個体化)に相当する。(本質とは存在するものの、それが「何であるか」に対する答えとなるもの。質料・形相・存在は論理学のレベルではそれぞれ類・種・個に相当する。〔例を挙げればは動物、は人間、個体はソクラテス。種と個体の実在性は疑いえないが、類すなわち種以上のカテゴリーの実在性はしばしば議論となる〕〔種はプラトンのイデアに相当するがプラトンはイデアのイデア=類の実在を唱え、のちにプラトン主義者はそれを最も抽象的な=無形相の「一者」と考えた〕「存在は類ではない」〔アリストテレス〕、「存在は本質に対して偶有的に付加される」〔アヴィケンナ〕、トマス・アクィナスによる本質〔質料と形相〕と存在の区別など、アリストテレス解釈を中心とする盛期スコラ哲学では「存在」は本質の個体化の問題として論じられた。本質と存在というのはアリストテレスでは可能態と現実態にあたる)
 よって創造神話を哲学的に解釈した時、質料とは混沌、形相とは宇宙卵、存在とは(創造神の)創造作用に相当するだろう。

日本神話(天地開闢神話)とその哲学的解釈

 上記の議論を踏まえ、ふたたび日本神話に考察を加える。先ほどは日本神話を以下のようにまとめた。

 天地開闢の際、天界(宇宙)がまず存在し、そこにそれぞれ空界(天空)と地界(大地)の基になる根源物質が現れる。さらに天界・空界・地界の三領域にはそれぞれの神々が出現する。

 上記の、地界の基となる根源物質(遊ぶ魚のように漂う大地)は質料的存在、空界の基となる根源物質(葦の芽のように萌え騰がるもの)は形相的存在、天界に現れた神々(ムスヒ=産霊=生成エネルギーの神々)は創造神にあたる。日本神話では、ヒンドゥー教やオルフェウス教の哲学的神話とは異なり、創造神的存在は最初に現れている。また神智学のように至高神(至高存在)の諸側面(機能分化)という傾向は見られず、開闢に関わるおのおのの次元で複数の神格が独立に出現している。
 それぞれの神格に関する議論に移ろう。
 まず、遊ぶ魚のように漂う大地に出現した三柱の神々、クニノトコタチ・クニノサヅチ・トヨクムヌについて、これらの神々の名義は質料的存在が個体として成立していく過程を示しているように思われる。トヨクムヌの「トヨ」は「豊」の字が宛てられているがその意味は「動む」(と宇宙開闢神話)めく」などと同様)に通じるもので、流動的状態を示すと考えられる。クニノトコタチはクニノソコタチ、クニノサヅチはクニノサタチともされる。この「ソコタチ」と「サタチ」は近似性を感じさせる。「ソコ(底)」は先端を表す「サ」「ソ」と「コ」の組み合わせであり、「サキ(先・崎)」「サカ(坂・境)」に通じる。また「タチ」は事象の顕現(あらわれ)を意味する。そこから考えるに「サタチ」とは「ソ・タチ(育ち・先端の顕現)」、本質の展開としての育成であり、「ソコ・タチ(全体の顕現)」とは本質の展開の完成を示すように思われる。つまりトヨクムヌ・クニノサヅチ・クニノトコタチの順で、(大地の)流動的状態・大地の固定(凝結)的状態・大地の完成した状態を示していると推察される。
 次に葦の芽のように萌え騰がるものから出現した二柱の神々、ウマシアシカビヒコジおよびアメノトコタチについて、ウマシアシカビヒコジは一説によれば植物(葦)から生まれた原人間であるという。(國學院大學・古事記研究データ・神名データベース・宇摩志阿斯訶備比古遅神の記事を参照)原人間(最初の人間)とは、人間という種の原型であり、つまり人類の形相的存在である。アメノトコタチとは神名の類似よりクニノトコタチ(大地の完成した状態・大地全体の顕現)と対比すると、大地を覆う天蓋(天上・天界と天空・空界の境界。「大祓詞」でいうアメノイワト〔天磐戸〕)の顕現した状態を指す神名であると考えられる。
 最後に高天原に出現した三柱の神々・造化三神のアメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒであるが、これはタカミムスヒ・カミムスヒの神名に含まれるムスヒ(産霊)とは生成エネルギーであり、これらの神々は創造神的存在であるという通説に従う。
 以上、その神名をもとに考察したように、日本神話の天地開闢神話に現れる諸神格は哲学的には質料・形相・存在という本質論(存在論)の三層に対応する領域を支配するものとして出現したと解釈される。

地界の構造

 天地開闢神話は創世神話の中でも具体的な山海などを形成する天地創造神話(日本神話ではイザナミ・イザナギの二柱の男女神による国生み・神生み神話に相当)に先行する、抽象的な世界構造の起源を語るものである。
 つまり、天地開闢神話の考察において見出した天界・空界・地界の三界構造はさらに後の神話において分節される。
 思弁的な考察となるが、日本神話の世界観では高天原(天上世界)と空間的に対立する葦原の中つ国(地上世界)はさらにその下層に根の国・黄泉国(両者の位置関係は不詳。ただし黄泉国と地上の境である黄泉平坂〔よもつひらさか〕は根の国ともつながっているとされる)が広がっているとされている。
 黄泉国は火の神を生んだことで病み臥せり地上世界を去った妻の女神イザナミを追ってやってきた男神イザナギが「大変恐ろしい、汚らわしい国」と呼んだように穢れに満ちた場所であると考えられている。しかし、一方で世界の神話では人間の起源として、地下世界から人類が出現したと語るものがみられるように、地下世界は人類を形成する母胎でもある。(鎮火祭の祝詞によればイザナギの支配領域は「上つ国」、イザナミの支配領域は「下つ国」)
 一方、スサノオの支配領域であり、スサノオが「妣の国」と呼んだ根の国は「根堅洲国(ねのかたすくに)」とも呼ばれている。穢れた、不定形な印象を与える黄泉国に対して、同じく地下世界と思われるが、腐敗などの印象はなく、地上世界同様の生活がなされているように見える。
 上記において遊ぶ魚のように漂う大地に出現した神々の神名(ひいては神格)が大地の形成の諸段階を示しているのではないかと論じた。その諸段階とは地上世界の様相(葦原の中つ国・根の国・黄泉国)に対応しているのではないだろうか。
 大地がまだ生成途上の流動的な状態(トヨクムヌ)は黄泉国に、大地が凝結して固定されていく過程の状態(クニノサヅチ)は根の国に、完成され地表に顕現した大地の状態(クニノトコタチ)は葦原の中つ国に、それぞれ対応すると考えられる。
 天界・空界の世界構造を形成する神々を古事記では「別天つ神」(ことあま‐つ‐かみ)と呼んでいるが、地界の構造を生成するこの神々を「別国つ神」(ことくに‐つ‐かみ)と呼んでもいいのかもしれない。

参考文献

工事中。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?