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日本神話と比較神話学 第二十三回 神々と人間の祝宴 オシホミミ、豊受大神、アリヤマン

神宮創建

 神宮いわゆる伊勢神宮とは日本神話の主神・天照大神を祭る皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の二つの正宮と多数の別宮・摂社・末社からなる、日本において最高の権威を有する神社である。
 その創建の由来は人皇第十代・崇神天皇にさかのぼる。
 当時、天照大神の神勅(神々からの人間への命令)により、天孫降臨(天皇・皇室の先祖である天孫すなわち神々の王族であるニニギノミコトが地上に降臨したこと)以来、代々の天皇は天照大神の御神体である神鏡と同床することとなっていた。しかし、崇神天皇の治世中、疫病の流行により人民の大半が死に社会が混乱していたため、神威を畏れた天皇は代々宮中で祀られていた神鏡を皇女トヨスキイリヒメに命じ、宮中から出し笠縫邑に祭らせた。
 その後、第十一代・垂仁天皇の時代、天照大神の祭祀は笠縫邑のトヨスキイリヒメより垂仁天皇の皇女・ヤマトヒメに託され、ヤマトヒメは遍歴の後、伊勢の国に至りそこで天照大神(御神体の神鏡)を祀ることとなった。これが伊勢神宮の創建であるとされる。なおトヨスキイリヒメが神鏡とともに持ち出した神剣は景行天皇の時代にヤマトヒメより皇子ヤマトタケルにわたされ、その後に熱田神宮で祀られることとなった。
 その後、雄略天皇の時代、天照大神の神託により丹波国より豊受大神が遷座し、外宮として祀られることになったとされる。
 アメリカのジャーナリスト、ジョセフ・ウォレン・ティーツ・メーソン(Joseph Warren Teets Mason, Journalist and Shintoist 1879-1941)は崇神天皇が神鏡を宮中から出したことを、「神鏡同床」の神勅が誤解され天照大神を皇室のみの祖先神と考えていた当時の国民意識を変革し、神道信仰の本義を回復し国民的な天照大神の信仰を取り戻すための崇神天皇の神道ルネサンスの政策であったとし、現在の日本国民全体の宗廟(祖先を祀る場所)としての伊勢神宮の創建につながったことを高く評価している。
 以上が現在につながる神宮の創建の簡潔な流れとなる。

外宮祭神

 豊受大神は伊勢神宮・外宮に祭られる神格で、古事記に現れるワクムスヒ(日本書紀ではワクムスヒの死体から作物が生じる)の子・トヨウケヒメと同じ神であり、ミケツカミ(食事の神)であるとされる。
 社伝によれば雄略天皇の時代に神託により天照大神の食事にたずさわる神として丹波国より招かれたこととなっている。いわば天照大神の料理番ともいえる神格であるが、神宮の祭儀はまず豊受大神の外宮で行い、次に天照大神を祀る内宮の祭りを行うという外宮先祭という慣例(参拝も外宮に先に参るものとされる)があるなど、奇妙にその地位は高い。
 そのため中世においては神道学者の間で外宮で祀られている豊受大神は内宮で祀られる天照大神よりも尊貴な神格であるという言説が流通するようになった。いわゆる中世神話である。
 中世日本を専攻する宗教学者の山本ひろ子は『中世神話』の中で、『古事記』『日本書紀』に見える記紀神話、『おもろそうし』などの歌謡にみられる琉球神話(南島神話)でもない、日本神話の第三群として中世神話を挙げている。
 山本は中世神話のジャンルとして、日本書紀原文に見られない言説を「日本紀に曰く・・・」として引用の形で持ち出すことで形成された日本書紀ならぬ日本書記である「中世日本紀」、日本の神々は仏教の尊格が衆生救済のために化身した仮の姿であるとする本地垂迹説にもとづき神道家によって語られた神仏習合的な「中世神道」、同じく本地垂迹説にもとづくが民間の宗教者によって民衆に流布された「本地物語」の三つを挙げる。
 この中世神話、とくに神道家による「中世神道」である、外宮神官・渡会氏らの伊勢神道によって豊受大神は記紀神話の原初神アメノミナカヌシ・クニノトコタチと同一視され、天照大神を上回る最高神にまでその地位を高められた。
 この記紀神話に現れない原初神・豊受大神を語る伊勢神道の神典いわゆる『神道五部書』は、通説では神宮内宮に対し自分たちの優越的な地位を主張しようとした外宮神官・渡会氏による創作文献群(創作神話)であるとされている。
 しかし外宮の存在および外宮を重視する慣例(外宮先祭)の存在自体は否定できない。伊勢神道の主張の核心である豊受大神の尊貴性の強調自体は記紀にもれた外宮・渡会氏独自の古伝承に基づく部分があるのではないかと宇井殺される。

オシホミミとワカヒルメ

日本神話と比較神話学 第五回」において日本神話・イラン神話・ゲルマン神話には以下の共通する構造がみられると論じた。

  1. 神々は誓約によって世界を安定させる。

  2. しかし誓約の欠陥によって、悪神が世界を混乱に陥れる。

  3. その結果、至高神の分身的存在が死んでしまう。

  4. 続いて神々の世界に終末的事態が訪れるが、一部の神々は復活した世界に再生する。(あるいはその子孫が人間となる)

 日本神話ではこの構造は以下の神話に現れる。

  1. 天照大神はスサノオとの諍いを誓約をして治める。

  2. しかし誓約を守りスサノオの暴行を見逃したため、スサノオが高天原を荒廃させる。

  3. その結果、天照大神の分身的存在であるワカヒルメが死んでしまう。

  4. それによって天照大神が岩戸にこもり災厄が世界に満ちるが、天照大神が岩戸を出ることで世界が安定を取り戻す。

 天照大神の分身的存在・ワカヒルメという名は「若き天照大神(オオヒルメ)」で、天照大神の皇太子の意であると考えられる。またワカヒルメは日本書紀では特に尊貴な神格、特に天照大神の直系の子孫につけられる「尊」号で呼ばれる。一方、天照大神の皇太子(長男)・オシホミミも同様に「尊」とされる。さらに『古語拾遺』ではオシホミミ(吾勝尊)は天照大神と密接な関係をもち「脇子」(「若子」の転訛か)と呼ばれる。以上よりワカヒルメとは天照大神の長男・オシホミミの別名であると考えられる。
 地上に降臨するのが天照大神の長男であるオシホミミではなくその子のニニギであるのは記紀神話の解釈者によって不自然とされてきた。それはオシホミミがワカヒルメとして死んだことが原因であったと思われる。
 おそらく、その後オシホミミが復活したという神話があったのだろう。スサノオの暴虐によって岩戸に閉じこもった天照大神を外に出そうと神々が奮闘する天岩戸の段で、神々が「貴方より貴い神がおります」といって天照大神を岩戸から誘い出したという説話はその痕跡と思われる。本来はワカヒルメ(オシホミミ)の復活によって天照大神が安らいで岩戸を出るという筋であったと推察される。
 宮中の鎮魂祭で行われる神楽歌の阿知女作法で「トヨヒルメ」なる神の復活を歌っていると思われる個所がある。(阿知女作法はほとんど意味が不明で、「トヨヒルメの復活」もあくまで推察である)「トヨヒルメの復活」は「天照大神(オオヒルメ)の岩戸開き」を指すともいわれるが、「ワカヒルメ(オシホミミ)の復活」であると小論では考える。
 鎮魂祭は岩戸開きの際の神々の祭儀の模倣的儀礼だとされる。鎮魂祭で行われるウケフネの儀礼は女官がウケフネと呼ばれる箱にのって箱の底を十回突くものだが、これは岩戸開きの神話で女神アメノウズメがオケにのって踊ったという伝承に基づく。ウケフネとは本来はオシホミミが眠る棺(オケ)である舟(オケフネ)を揺らす(タマフリ)復活の儀礼だったのだろう。(ゲルマン神話でオシホミミに対応する神格・バルドルは死後、彼の持ち物である巨大な舟で火葬される)
 さてトヨヒルメがワカヒルメを指す名であったとすれば、それは復活したワカヒルメ(オシホミミ)を指す名称だったと考えられる。豊受大神とはトヨヒルメ(ワカヒルメ=オシホミミ)の称え名ではないか。

オシホミミと豊受大神

 伊勢神宮・外宮にはオシホミミが祀られていた痕跡がある。
 歴史学者・三品彰英の議論をうけ、日本の王権神話の天照大神/オシホミミ/ニニギという系譜が、記紀編纂者が天照大神とオシホミミ、タカミムスヒとニニギという本来は独立していた二つの系譜を接合したものであるとする、文学者・史学者の松前健は伊勢神宮に天照大神とともにオシホミミが祀られていた痕跡として外宮の神饌の水に用いる神聖な泉を忍穂井(おしほい)と呼ぶことや、内宮の相殿神としてオシホミミの妻の女神タクハタチヂヒメが祀られていることを指摘している。(松前健『日本の神々』p135)
 また、天照大神よりオシホミミに与えられた神勅も外宮祭神に関わる。

是の時、天照大神、手に寶鏡を持ち、天の忍穂耳の尊に授けて、祝ぎて曰く、「吾が兒、此の寶鏡を視ること、當しく猶吾を視るが如くすべし。興に床を同じくし、殿を共にして、以て齋の鏡と爲すべし」と。復ねて天の兒屋の命・太玉の命に勅のりして、「惟わくば爾二神も亦、同じく殿の内に侍して、善く防護すべし」と。・・・

日本書紀・神代下初段・第二『記紀神話の神学』上田賢治より

 天照大神はオシホミミに御神体の神鏡の祭祀を命じる一方、天孫降臨に伴って地上に降りるアメノコヤネ・フトダマの二柱にたいしてオシホミミと同じ宮に仕えるよう勅している。
 外宮祭神・豊受大神には東に一座、西に二座の相殿神がいるとされるが、いかなる神々であるかはつまびらかではない。しかし、伊勢神道の神典(創作神話)『神道五部書』に含まれる『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』(御鎮座次第記)では相殿神として左一座に皇御孫(オシホミミの子・ニニギ)、そして右二座にアメノコヤネ・フトダマの二柱を挙げている。『御鎮座次第記』は信頼性の高い文献ではなく、その相殿神についての記述は現在では神宮でも公式には採用されていないが、豊受大神がオシホミミの別名であるとすれば、オシホミミ(豊受大神)の相殿神がアメノコヤネ・フトダマであるというのは日本書紀・一書の神勅の内容と一致する。
 外宮の忍穂井、相殿神は豊受大神がオシホミミであることを示唆している。(通常、豊受大神と同一視される女神トヨウケヒメは、タカミムスヒの娘でオシホミミの妻であるタクハタチヂヒメ〔別名トヨアキツシヒメ〕と同一の神格ではないだろうか。トヨウケヒメは女神とされるワクムスヒの子であるが、父神は不明である)

人間と神々の祝宴

 豊受大神はミケツカミ(食事の神)である。ミケツカミとは祭神を接待し、祭神と食事を共にする神格である。いうなれば神を祀る神である。
 外宮の豊受大神は神宮内宮の天照大神を祀る神である。これはオシホミミの弟神(天照大神の次男)アメノホヒが出雲大社で大国主神を祀ることと並行している。外宮先祭の慣例にも見られるように、人間がミケツカミ(あるいはその子孫である祭祀氏族)を通じて、神々を祀るというのが本来の神社信仰の姿だったのだろう。(地上の支配権をめぐる交渉で、天上の神・タカミムスヒは大国主神に地上の支配権を譲ることと引きかえに、アメノホヒが大国主神を祀ることを約束している。)天照大神の息子である五柱の兄弟神は、クマノクシヒは熊野(スサノオ)、イクツヒコネは生根(おそらくスクナヒコナ)などいずれも日本神話の主要な神格と関わりがあり、その神々のミケツカミとしての神格を有していると思われる。
 皇室の祭儀・大嘗祭にも見られるように、神道の祭りは人と神の供食を中核においている。
 日本神話のオシホミミとアメノホヒに相当するのはゲルマン神話では兄弟神バルドルとヘズ、インド神話では兄弟神・アリヤマンとバガである。
 インド神話とゲルマン神話の弟神バガとヘズはいずれも盲目であるとされる。日本神話のアメノホヒも幽世(かくりよ)という見えない世界に隠遁した神・大国主神の祭祀を担当している。
 一方、兄神であるインド神話のアリヤマンは「歓待」の神格である。いいかえれば共同体の成員と神々の共食を主宰する神、ミケツカミである。ローマの伝説的建国者ロムルスが死後、生まれ変わった姿であるローマ神話の神・クィリヌス(その名は「市民」に由来する)もあるいは同様の神格かもしれない。
 神宮・外宮祭神・豊受大神であるオシホミミは、人間と神々を媒介し、神々と人間の祝宴を主宰する、国民の宗廟(神道ナショナリズム)の基礎となる神格である。
 

参考文献

工事中。

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