産むという決断に至るまで
2019年11月。
生理予定日になっても生理が来ない…。そして、朝起きると吐くものもないのにほぼ毎日胃液を吐いてえずいていました。昔からわりと遅れ周期ではありましたが、この時に限って、もしかして…という心当たりもありました。
私は普段、睡眠導入剤を飲んで寝ていましたが、寝入る直前の記憶は薬の影響で抜け落ちてしまうことが多く、その時に大事な話や決断をしたりはしないように、クリニックの先生からも言われていました。記憶がなくて困ることはそれまで一度もありませんでしたが(多少、夫との会話の内容を忘れている程度はありましたが)、10月の下旬頃に、どうやらその朦朧とした状態で事に及んでいたようなのです…。いや、ここは私は正確に伝えたいのですが、夫は確信犯でした。
私は、前回の記事でも書いていた通り、もうこの先の人生で子どもを産むということは完全に諦めていました。ので、正直毎回セックスには前向きではありませんでした。それは、いつも夫がきちんと避妊をしない状態でしたがるからでした。
これまでも、避妊をせずに何度もしていました。されていました。でも今まで大丈夫だったんだし…という、私の中にも甘い考えがあったのも確かです。
まさかまさか….と、私はどんどん不安になって、生理予定日から2週間経った頃に、ようやく市販の妊娠検査薬を買いました。
私は不安で押し潰されそうで、本当に発狂して泣き叫びたいくらい不安なのに、夫は検査薬を試す時もウキウキしていて、「できてたらいいねー」とか抜かしていました。
結果は陽性…。
私は本当に絶望して、婦人科の先生に診てもらうまでは信じない!と頑なにその事実を拒否していました。
だって…
健康体であっても高齢出産の年齢なのに、
私は小さい頃からの病気や障がいも体に抱えていて、
メンタルも弱くて長年通院していて、
がんにもなっている…。
そんなボロボロな私の体で、健康な子どもが産まれるなんて到底思えないですし、
私のせいで子どもに病気や障がいがある状態で産んでしまったら…
子どもにも申し訳ないし、私も一生罪悪感に縛られて生きていかなくてはならない。
もう、自分の人生だってやっと安定したところなのに、そんな他の命に責任なんて持てない!
というのが私の正直な気持ちで、夫に対して、「何てことをしてくれたんだ! 私の人生を壊さないでよ!」
「私が訴えたら、たとえ夫でも合意なくセックスするなんて犯罪だからね!」とキレまくり、多分3日間くらい、険悪な雰囲気でした。
最初は夫も、
「そうは言っても産まれたらかわいいと思うと思うよ」とか、
「育児ができないとか不安とかばかり言うけど、世の中の母親は、みんなそうやって母親になっていくんだよ」とか、
まあ身勝手で他人事な発言を繰り返しており、相変わらずウキウキしていました。
本当にその温度差に絶望して、仮にも授かった命を簡単に堕ろすとか言う私の方が悪いみたいな気持ちにもなって、誰にも相談もできないし、孤独でしんどかったです。
結局私は一人で抱えることに耐えられず、婦人科を受診する前に唯一、職場の上司だけにはその事実も隠さず伝えた上で、どうしたらいいか困っていると相談しました。私より2つ歳上で、2児の母親をやっている彼女。今まで15年ほど共に仕事をしてきた中で、仕事だけでなく、生き方なども本当に尊敬できるかっこいい女性です。
彼女は私の気持ちを最大限に汲んで話を聞いてくれ、でも、夫を必要以上に責めることもしませんでした。(ちなみに夫も一時期共に働いたことがあるので、彼女は夫の性格などもよく分かっています)
元々結婚前から私が夫に振り回されているような話はよくしていましたし、それでも私が結婚を決意した、その気持ちも分かってくれています。だから彼女は、夫を悪く言うことで私がまた罪悪感に駆られたりすることも想定して、「自分のこととして」、こう言ってくれました。
「正直、男は出して気持ちよくなってそこで終わり。そこから出産まで、色々な悩みや葛藤や体の変化、ホルモンバランスの変化に振り回されて、苦労するのは全て女性。その辛さや苦労なんて、どう伝えたって旦那には伝わらない。全て抱えて乗り越えていけると思えないなら、そこを決めるのは笙真ちゃんだし、私は、もし笙真ちゃんが出した結論なら、どちらになっても全力で応援するし支えるよ」
と、大変心強い言葉をもらいました。もう…本当にかっこいい。一生ついていきます!と、私の崇拝レベルがまたもアップしたのでした(笑)
結局、婦人科の予約を取って受診するまでに、私の気持ちは変わりませんでした。
夫も、毎日泣いて頑なに意見を変えない私に、最終的には、「そんなに産むのが嫌なら、堕ろそう。俺も諦めるよ。辛い思いをさせてごめんね」と折れてくれました。
受診は、私一人で行きました。もう、先生には堕ろすと伝えるつもりで行きました。
だけど。
まず、妊娠しているかどうかきちんと見てみましょうと内診することになり、堕ろしたいとか言う前に、まあ当然なのですが先生は普通に診察を進めました。
それで、とても端的に「正常に妊娠していますね。8週目ですよ」と告げられました。
私はエコーの画面をまともに見られず、その場で号泣しました。もう、後戻りできない事実を突きつけられた…と、そこでさらに絶望しました。
私は子どもはほしくなかった。自分の体のことを考えたら、私に出産子育てができるとは思えない、と伝えました。
でも、お医者さんはさすがですね。きっとそういう患者さんも何人も診てきているのでしょう、とても冷静に、私をこう諭しました。
「笙真さん。笙真さんが抱える不安は、とても分かります。でも、(乳がんを診てくれている同じ病院内の)外科の先生も、妊娠出産は可能だと言っていたんでしょう? 今、お腹の赤ちゃんは、とても正常な状態で育っていますよ。がんを乗り越えて、自然妊娠できたのは、とても幸せなこと。授かりものですから、どうかもう一度冷静になって、旦那さんと話し合ってください。私たちは、笙真さんの不安が取り除かれるように、出産まで全力でサポートします。次回、旦那さんにも一緒に来てもらって、そこでもう一度、今後の方針を決めましょう」
そして、先生は最後にエコー写真をプリントして私に持たせました。
まだ、ただの丸い影でしかない物体。
でも、その写真を受け取ったらいけない気がして、私は手を伸ばせませんでした。私の手のところに、先生が写真を近づけて、私は仕方なく受け取りましたが見ることが出来ず、泣き崩れました。
そのまま診察室を出て、看護師さんに連れられて待合室で泣き続けました。多分、30分以上そこに居座って泣きました。これから会計を済ませ、1時間半かけて一人で家まで帰らなければなりません。その間に人前で泣くことはできない…と思い、すっきり涙が枯れるまで居座りました。
だいぶ迷惑な患者だったと思います…。
でも、もしかしたら、その時にはもう、私の気持ちは少し動いていたのかもしれません。
帰りの電車でぼーっと考えました。
上司にしても先生にしても、みんな、私を全力で支えると言ってくれる。私一人で悩まなくていいんだ。何も考えていないように思えた夫も、私が産むと言うなら全力で支えると真剣に言っていたかも。
それに、先生が言った「授かりもの」という言葉が私にはとても響きました。
仮にも私はクリスチャンの端くれで、神さまは乗り越えられない試練は与えないという思いもふと湧きました。冷静に考えてみると、今の私のタイミングなら産み育てられると思ったから、神さまが授けてくださったのかもと思えました。
結婚して5年。生活スタイルやリズムにも慣れて、がんの治療も問題なく8年。ようやく安定したと思っていました。だから、次のステップへと進んだのかもしれない。神さまがそう思って私に命を授けたのなら、私にもきっとやり遂げることができるのだろうと。
その日は、まだはっきりと決断することはできませんでしたが、夫にも、気持ちの変化が出てきたことを伝えました。
そして翌日には、私は夫に、こう伝えました。
「不安の方が圧倒的に大きいけど、チャレンジしてみようと思う。みんな周りが私を支えると言ってくれていて、まだ姿も分からない赤ちゃんを心から歓迎してくれてる。私だけが赤ちゃんを拒絶しているのは、何だか赤ちゃんに申し訳なく思えてきたよ」
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