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親友は”正しすぎない”先生をしている

「生徒に”歯みせて笑うな!”って注意するんやけど、余計にニコニコして笑ってくる」

そういう彼女は小学校の先生をしている。私が知る限り一番面白い友人だ。男女問わず色んな人に会ってきたが、彼女の笑いのセンスを上回る人に会ったことは無い。

「お笑い芸人になったら?」多分彼女に向けてそう言った人の数は両手に収まらないだろう。

頭の回転が異常に早く、これ以上ない最適なタイミングで繰り出される勢いのあるツッコミと、ユニークなジョークは簡単に人の心を掴んでしまう。 

私も彼女にがっつり心を掴まれたひとりだ。

昔から輪の中心にいた陽気な彼女と仲良くなれたのは、中高6年間の部活が一緒だったお陰だろう。普通のクラスメイトであれば私は遠巻きに彼女を眺めているひとりでしかなかったに違いない。

150人もの大所帯の部活で一学年24人ほどをまとめる学年リーダーには当然、リーダシップのある彼女が推薦された。そして驚くことに存在感の薄い私は副学年リーダーに抜擢されたのだった。

彼女のように目立ち過ぎる人は嫉妬の対象になる事が多く、透明人間みたいな私なんかよりずっと悩みの種が多かった。

そんな彼女の陰陽両極を全て知り、多感な時代を支え合った私たちは大人になっても付き合い続けるくらいには特別な友達として認識しあっているように思っている(というか思いたい)。

今では学校の先生をしていて、冒頭に述べたような一見道徳的でない愛ある罵声(?)を浴びせかける彼女は生徒に大変人気があるのは想像にた易い。勿論言うべき相手を見間違わない人だという大前提があるからこそ笑えるのだけれど。

笑いに厳しい彼女は、お調子者の男子生徒に容赦なく「それ、何がおもろいと思ったん?先生にわかるように説明して?」と、オチを説明させるあたり、流石だ。

彼女の生徒に対する姿勢は一般的な”先生”のそれとは大きくかけ離れている。正しいことを正しく教える模範的なそれではなく、白黒つけられない、正しすぎないただひとりの人間として接しているように見えた。

教育について詳しいことを知らない私が何を言えたわけではないし、生徒とのやりとりは彼女の口から聞くだけのものなので何が真実かは分からない。

それでも私から見れば、彼女はどこまでもフラットな先生でいようとしているように思えた。

思えば、口達者で面白いからという理由だけではなく、彼女の常にフラットな姿勢が、自分のままで在り続ける脆い強さが大好きだったことを思い出した。

ただ陽気なだけじゃない、現実をしっかり見つめられる彼女が今このご時世で何を感じているのか、教育現場の過酷さがニュースで取り上げられる度に私は彼女を思い出す。

元気でやってるかな?

多分彼女なら大丈夫なんだろうけど。そう思いながら、時々しか連絡をとり合わないこの付かず離れずの関係が心地良かったりする。

連絡不精な私でも、ずっと心の奥で繋がっていられるような確信が持てる友達はそう多くない。

「海外で一緒にルームシェアするならみさきちやな」そんな約束を大学生の頃にしたけど、気がつけばもうお互い28歳になってしまった。

私たちにそんな自由時間はあるのだろうか?

多分永遠に来ないであろう彼女とのルームシェア生活を頭の隅に置いて、私たちはお互いの毎日をなんとかこなすんだろう。

久しぶりに連絡をとろうかなと思いながら、蒸し暑い夜を過ごしている。

今日から大人の夏休み、私も全力で自分を癒すことに注ごうと思う。