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見えないものへの信頼に還る

見えているものには、限りがある。
今、ここに立って目の前に広がる風景を漠然と見ていても、無意識に焦点を合わせている場所が確かにあるから<見る>という現実がそこに生まれる。
決して、目の前に広がる風景を写真のように写し取っているわけではないのが、私たち人間の<見る>という事実であり、限界です。

音声と画像で一方的に日々流される<情報>の中にも<風景>はあります。それは、必ずしも調和に満ちたものではないけれど、私たちはその風景の中に「見たいものを見る」という無意識を発動させて、無数に発信されているチャンネルを選択しています。

人の意識は、自らの内部に構築されている居心地の良い周波数帯に抗うことはできません。例えば、社会的立場に立って常識的な考えや行動を他者に披露している裏側で、本心は真逆の<正論>を支持していたりします。自らが経験則で得た<正論>そのものが、個人的なアイデンティティだからです。

このようなことは、特に政治の世界に人生を据えた方々が、独自の経験則と理想を抱きながら、しだいに心の平安を破壊していくのは、本音と建て前の乖離が生むアイデンティティの崩壊に現れていると思います。

自己の<正論>を貫く心理は、その<正論>が長きにわたって自己を助け、人生の羅針盤となって共に歩んできたという確信が持てるからです。でも、人それぞれに見てきたものが違えば、共感がそこに生まれなければ、他者にとって理解されるものではなくなります。でも、それはそれでいいのです。

本来ならば、全ての人がそれぞれに、主観をもって見るものを選び、そこに新しい情報を見つけ、自分自身の歩む人生の道を、創造していく。これが、いのちを得て、この世に生まれた魂の約束された<自由>だからです。

<自由>であるための責任と役割の原則は、宇宙法則に沿って万人が共有されるべきものですが、この惑星ではそれが叶わぬ歴史を辿りました。真実はすべての魂が内に秘めている記憶に格納されているのに、見えているものの先にある見えないものの存在を意図して観る能力を奪われてしまった。

見えないものは、存在しない。
これほど、便利で画一的なシステムを構築できる<正論>はありません。


見えないものへの信頼を自分自身が育てる


現状の社会で、唯物論的な思考が多くの人を納得させるのは、<見えているものの一部>を捏造し、共通の認識として体系化し、その焦点を<正論>として流布する支配層がいるからです。その引導の目的が邪悪なものであっても、人が潜在的に恐れている<生命の期限>を人質に取るという<呪縛>が、人々を思考停止にさせています。


このことで今起きている絶望的な状況を掘り下げるために、この記事を書こうと思ったわけではありません。世界線の分岐は、明らかに起きています。世の中をどうすることもできない現実の向こうを、垣間見てしまったからには、少なくとも、この呪縛から離れた者同士、出来ることをしたいと思ったのです。

<大衆>という集合意識は、時代に翻弄される幻の大河のようなものだと私は思っています。本来は、人それぞれに生きる生活環境の中で見たり聞いたりしたものを、自分自身の人生の記憶として持っている。

それは、唯一無二であり、誰にも共有できるものではありません。それだけが真実であって、自己を肯定するただひとつの光です。その光を増幅させなければなりません。何故なら、思考停止から脱出する勇気はそこからしか生まれないからです。

<見えないもの>は無数にあります。漠然とした妄想の世界ではありません。例えば、直線的な時間軸の中に起きた過去の記憶、そして、その時間軸に重なる立体的な意識世界での記憶(心に思ったこと、考えたこと、想像したこと、想像や夢で出会った人、言葉、景色、見た世界のすべて)これらは等しく私たち自身が体験したリアルな経験値です。証拠がないものは、存在しないですか?
いえ、このすべてはあなたや私の現実です。

このような夥しい経験を生き抜いてきた魂が、何に負けるというのでしょう。この惑星に等しく公平に無償で与えられたものがあります。呼吸を助ける空気、それを生む植物、清浄な水、食物を育む土と微生物、そして生命のすべてを守る太陽、そこに奇跡の循環があってこそ、わたしたちは生きています。絶大な信頼を寄せるに十分な<神>の楽園です。

この奇跡の恩恵に報いる私たちの担う役割は、肉体的ないのちを守る事だけではありません。身体は魂を乗せたゆりかご。育むべきはそこに呼吸する魂そのものなんです。さらにいえば、物質として存在するすべての中に、見えない意識の息遣いを感じて、共鳴、調和する感性を取り戻すこと。

意識が現象化、物質化することは、量子科学が証明している今、世界を変えるのは、力の革命ではなく、美しく同期する意識の統合に他なりません。


例えば、道端の草花のひとつに目を移した時、葉の一枚一枚が、太陽の光につややかに光っているのを見てその葉っぱたちに声をかけたくなるのです。

「昨日の雨でたっぷり水をもらったね」
「長らく日照りで辛抱したね」
「今日の君たちは素晴らしく美しいよ」

そうするとね、
葉っぱたちの集合体から、涼やかな清浄な空気がふわりと立ち込めたりするんですよ。そこに花も咲いていないのに、一瞬、いい匂いが鼻先をかすめたりして。気のせいでしょうか? 違うの。

私たちの感性は、意識を信頼すれば見えないものへの接点を連れてきます。
ものすごくファンタジーな世界が実は、本物。
瞑想して、チャクラを開けて、なんてことしなくても宇宙はどこにでも拓いています。

<いのちを守る>という欺瞞だらけの呪文が、あなたの宇宙由来の<正論>を邪魔しているのならば、それは<まやかし>であると切り捨てましょう。
私たちの身体も魂も、有機体として宇宙一優秀な万能の免疫システムに守られているのです。

だけど生命は有限。肉体の消費期限はあります。有機体の生物ですから。
事故や不治の病にかかることもある。死はだれにでも訪れる。
何のために、この惑星に生まれたのか。寿命を永らえることではなく、もっと大切な美しい目的があるのです。

それは、超AIが世界を変えていく、トランスヒューマンの未来と並行して進化していくコスモスソウルの超次元世界への旅。

信じるか信じないかはあなた次第(笑)
愛に在りて、生き抜きましょう。





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