安定しない書き文字と、ホルモンバランス
女性の心とからだというのは、本当にうつろいやすい。
気圧の高い低いとか
季節がスライドしていくその隙間とか
生理が近づいているかその最中か
などなどのいろいろで感情もゆさぶられるから
「世界よ、いますぐ爆発しろ」と身の回りの全てを破壊したくなる衝動にかられたり
「世界よ、優しさをありがとう」と感謝のあまり天を仰ぎたくなったり、とかく忙しい。
外的要因やからだの変化によって、気分のアップダウンが目に見えて分かる人もいれば、そうでない人もいる。
わたしは、体調の変化の振れ幅はそこまで大きくないけれど、自分でもなかなかコントロールできないものがある。
それは、書き文字の、書体。
どのペンで、どんな紙に、何を、いつ書くのかに関わらず、毎度まるで違う人の文字になる。
どんなに気をつけていても走り書きのような落ち着かない書体になることもあれば、特段気にしていなくても10年くらい前に流行った丸文字みたいな書体になることもある。
かと思えば行書みたいにすらすらっとした字体になることもあって自分のノートを見返せばとても同一人物が書いたとは思えないほどです。
いちおう、書道は習っていましたが、と断りを入れたくなるほど雑然とした文字を書き連ねることもあって、これがなんだか自分のことなのに理由がぜんぜん、長いこと分からない。
この、書き文字シルエットが安定しない問題、が、何かに似ているなーと思ってしばし考えてみたのだが、それがまるで女性のホルモンバランスのようだと最近発見しました。
天気や生理で、体調や気分が上下するように、わたしの文字はもしかしたら、調子の良し悪しをはかるメーターのようなものなのかもしれない。
あるときは美しさはそっちのけ、とにかくこぼれ落ちる言葉を忘れないうちに留めておくのよ……!とばかりに書き散らした文字で、こうして書き留められた文字というのは大抵息も切れ切れといった風で猛ダッシュしたような筆運び。
またあるときは、複数の熱い視線が手元に集まるような緊迫した雰囲気の中で公式な文書にペンを走らせ、やる気が空回りしてどうにも捻挫したみたいな文字になってしまうことも。
「文字を書く」。
ただそれだけのことなのに、どうしてこんなにうまくいかないのか自分のことながら解決の兆しが見えず仕舞い。
今日の昼も鬼の形相で手帳にメモを書きつけ、あとで冷静になってその読めない文字の連なりを見つつハーッとため息がこぼれつつ、「これはホルモンバランスの問題だから」と新しい逃げ道(?)を見つけなんだか腑に落ちてしまった。
いつかきっと、どうしてか理由を解明して矯正し、常にしゃんと落ち着いた字体を展開したいものだ、新年だもの。
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