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感動にも時差がある

海外、というか、“異国”が好き。

生まれ育って当たり前に習得した阿吽の呼吸が、全然通じない場所が好き。

好きすぎて、こんなツイートまでする。

「若いうちに」というのは、わたしの意図としては言いかえると「まだ何も知らないうちに」という表現と同義になる。

今のわたしでさえ、知らないことだらけだからまだ青二才ではありつつも、少なくとも初めて意気揚々と海の外へ飛び出した数年前に比べたら、ある程度、いろんなことを学んできたつもりだ。

その経験や知識によって蓄積された「知」は、わたしに阿吽の呼吸が通じない人たちとのコミュニケーションの方法と、底なしの好奇心を与えてくれる。

同時に「危険」「無駄」にあたるものが何かも教えてくれる。この「知」に従うと、わたしの足は以前よりズンと重くなることがある。

「知ること」は、冒険こそもたらしてくれるが、同時に怠慢と臆病も連れて来る。わたしは毎日、この、主に怠慢と、地味に攻防戦を繰り広げている。

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もともと、わたしの感動は、いつも時差を伴ってやって来る。わたしはそれが実はちょっとだけコンプレックスだ。

周りにいる人が「すごいね!」「いいね!」と思っていても、わたしはかなり冷めている、ということがざらにあったし、今でもある。

疑り深いのだ。小心者だから。

素晴らしい景色、風景、自然いろいろに直面したときは「うわあああ」と思うけれど、町の中、異国の空気に包まれる日々に対する感動は、いつも帰国してから、だ。「行ってよかったなあ」と思うのは、大抵帰国した後だ。

滞在中も楽しいけれど、わりと“普通”だ。ここでもやっぱり、冷めている。

だからか、特に意識しているわけではないけれど、よく地元の人に間違われる。

イギリスなら住んでいる日本人も多いから「ちょっと道を教えてくれる?」なんてことが、ここ数日で3回くらいあった。

溶け込もうとしているわけじゃない。どっぷり日常に浸かれるとは思っていない。でも浮き足立って足元をすくわれるくらいなら、素知らぬふりして「これが普通です」って顔して歩いている。

そうすると、街に受け入れてもらえたような気分になる。

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異国にいれば、面倒臭いことなんて、挙げればきりがない。

うまくいかないことの方が多いし、ご飯も毎回美味しいものが食べられるわけでもない。想像していた味付けじゃないこともある。

トイレも日本みたいに綺麗じゃないし、温泉だってない。

だからいつもストレスなのか疲労なのか、夜遅くに出歩かないようにしているからというのもあるだろうけれど、海外にいる間は睡眠時間が日本にいるときの1.5倍くらいになる。

そうやって、心と体のバランスをとっているのだろうと思っている。

滞在中は時折、親切にしてもらっているのに、恵まれた環境なのに、時々どうしようもなくイライラして心底放っておいて欲しいと、相手を突き放したくなってしまうことがある。

癇癪のような、わがままのような、そういう気持ちが大波になってわたしの心で荒れる。

頭では分かっているけど、威嚇している動物の毛のように心が逆立って落ち着かない。

そういうときは大抵、わたしにないものを相手が持っていると感じたとき。

異国にいたら、そんなことばっかり。

だってわたしのバッググラウンドには全く登場しなかった習慣や考え方がゴロンゴロン転がっているのだから。

けれど同時に、「自分が持っているもの」も浮き彫りになる。

それがたとえどんなに些細なことであっても、誰のためにならなくても、逆立った心を落ち着けてくれるのはそれしかない。

同時に、異国であれば、徹底的に一人になれる。そうすると、余計な情報が入ってこなくなるから、その逆立った心がゆっくり元の位置に戻っていく。

シャットアウトしたければ、一切誰とも絡まず過ごせるし、なんだかんだパソコンとかスマホを見ずに過ごすことだってできる。

日本にいると、日本語だからシャットダウンしたくても生まれ育った時間と慣れ親しんだものたちがどこまででも追いかけて来る。

追いかけているつもりはなくてもわたしが離れたいときに離れられない。

いろいろなことに、過剰に接しすぎなのだろうか。その割には冷めているという矛盾。

自分の世界をつくれる枠みたいなものを、器用に開閉できるようになればいいんだけれど。

そんなこともできない25歳は、やっぱり異国に遣って持たざる者と化しながら、持つ者としての土台を意識させてくれる時間を過ごさないと、容易にフラフラしてしまいます。

どうしようもなく嫌で、めんどうで、それでも好きでい続けられるものって、一体どれくらいあるだろう。

めんどうくささが上回ってしまうし、嫌いになったら二度と近づきたくないし、できるだけ思い通りに生きていける方が気持ちがいいし安心できる。

ふと気づいたけれど、わたしが異国を好きなのは、わたしのためだ。

持たざる者として、その国の文化や歴史にもすごくすごく興味があるし学びたいなと毎度思うけれど、それでもわたしが異国へ行きたくなるのは、他でもない自分のためでしかない。

毎日、頭がショートするほどいろんな作品を観て、歩いて歩いて。

普段はまったく問題ない食欲も、なんだか今回はあんまり湧いてこない。

いろいろなことをあまりにも“ふつう”に受け取っている自分に、ちょっと焦っているのかも。

「もっと心動かされろよ!」と、実咲Aが言っている。でも実咲Bは、淡々と「日々を過ごすことに集中したい」と言っている。

まったくもってまとまっていないけれど、ここ最近は、そんな感じ。

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