「時間があったらやりたいこと」は、本当は大してやりたくないことかもしれない
意図せず、5月からフリーランスになり、なんと1ヶ月が経とうとしている。
もう1ヶ月!
なんという速度。
フリーランス!
なんて甘美で、ちょっとキケンな響き。
実際は、とても地味なのだけれど。
ひとり、リビングでパソコンをカタカタさせながら、ときどき、ゴールデンウィークに購入したローズマリーやバジルに話しかけたり、庭に出て草むしりしたりしながら仕事をし、打ち合わせしたり、オンライン飲み会をしたりしていたら、1ヶ月経っていた。
同時に、「わたしは誰かに何かを決められるのが向いてないんだなあ」と感じている。
天気が良ければ仕事を中断して、自転車を漕いでリフレッシュしたり、食後にお昼寝したりできる。
好きなときに好きなことをして、好きなときに好きな場所へ行ける。
やるべきことはもちろん抜かりなく、とは思うけれど、その時間の過ごし方が、今は本当に楽しいし、無理がない。
昨日も、天気がよく知人が新しいお店をオープンしたというので、新装開店したお店へ足を運び(チャリで1分)、友人と偶然出くわし、3人で1時間ほど茶飲み話をしていたが、この時間がなんとも至福で「あーこれこれ!」と思った。
そういえば、大学受験のときも自分で勉強プランを立てて(通信教材を使っていた)、一つずつこなしていくのが実はちょっと楽しかったな、ということを思い出した。
(庭に植えたブルーベリー)
フリーランスになり、一日の過ごし方が変わった。
好きなときに好きなことをして、好きなときに好きな場所へ行ける、ということは、「時間があったらやりたい」と思っていたことに、着手しやすくなったということでもある。
5月にフリーになってすぐ、ゴールデンウィークがあったこともあり、畑や庭いじりを筆頭に、待ってましたとばかりに、いろんなことに着手し始めた。
山葡萄の蔓でカゴを編んでみたり、民泊のお客様が置き土産として預けてくれた本たちを読んだり、英会話をしたり、自分用のベッドを作ったり、台所を整頓したり、他にもいろんなものを作ったり書いたり作ったり……。
ここ(北海道)は、やっと春の盛りを過ぎた頃合いだけれど、冬に向けてモヘアのロングカーディガンを作るべく、編み物も再開している。
もはや「時間があったらやりたい」と言っていたことがなんなのか、忘れてしまった。
同時に、「海外など遠方へは、いますぐ行けないけれど、いまこの環境でも、やりたいことって尽きないな(むしろ次から次へと出てくる)」ということにも気づいた。
「時間があったらやりたい」と思っていたことは、大してやりたいことではないのかもしれない。
最近のテーマは「“生活”という“表現”」。
時間があろうとなかろうと、やりたいことをやることが、その人の哲学や世界観を表出する“表現”になるのだ──それが例えアート界の経済循環から外れた創作であっても。
だから「時間があったらやろう」と言っているうちは、きっと、永遠に放置プレイだ。
……とはいえ、真逆のことも、考える。
「時間があったらやろう」と放置プレイして、熟成し、腐らせてしまう前に、思い出すきっかけがあれば、「時間があったらやろう案件」が、実現に向けて加速するかもしれない。
時が来た、というだけだ。
「時間があったらやろう案件」に踏み出すには、タイミングもだいじ。
ただ、そのタイミングをつかめるかどうか、ピンとくるかどうかは、それまでどんな時間を過ごしてきたかにもよるのだろうけれど。
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