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「たまにしか泊まれない宿(仮)」構想

ひらめきが生まれる名所は、お風呂場と相場が決まっている。

……か、どうかは知らない。

けれども、お風呂に入っていると頻繁に、モヤモヤと絡まっていた糸がほどけたり、「あ」と思いもよらぬことをひらめいたりする。

2018年6月からスタートした民泊の予約を、現在は風呂場改修と称して停止している。

“称して”と言いつつ、改修は本当に進行している。

タイル張りの在来工法と呼ばれる、昔ながらのお風呂場からの脱却。

壊されている最中は芸術作品みたいで、見られなくなるのが惜しかった。

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1ヶ月以上、宿泊を停止しているから、その間に、お風呂だけでなく他の場所もリニューアルする。

内装だけでなく、そもそものコンセプトも、根こそぎ見直したいと考えてはいた。

けれど、何をどう変えていけばいいのか、ずっと庭をいじったり薪を割ったりしながら、自問を繰り返す。

そして先日、半年ぶりの遠出をし、旅先のお風呂で「あ」と、ひらめいた。

それが「たまにしか泊まれない宿(仮)」という構想だった。

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「たまにしか泊まれない宿」か「いつもは泊まれない宿」か「ときどき泊まれる宿」か。

どう表現するかは、まだどれもしっくりきていない。

「宿と言いつつ泊まれないなんて、ナメてんのか」と思われそうだけれど、「いつでも泊まれる」と思われたまま何も言わずに放置するほうが、わたしにとってはお客様に対して不誠実な態度になる。

なぜなら、「いつでもわたしが居るとは限らない」し「わたしだって旅に出たい」のだ!

……言わないし、言えなかったけど、やっぱりそうだった。ひさびさの出張がうれしくて、目に留まる道の駅にふらりふらりと寄り道しながら、「参りました」と思った。

自分のやりたいことを抑圧しながら、物事を継続させるのは、むずかしい。

コロナ禍にあって、「どうやって生きようか」と土をいじったり筋トレしたりしながら考えて、何周も回ってたどり着いたのは「自由でいたい」ということだった。

誰かに何かを指図されたり、言われたことだけを段取りしたりする時の、わたしの無能さと無気力さたるや。

そのへんに転がっている木端の方が、燃料になってよっぽど誰か様の役に立つだろう。

「自由でいたい」。

その気持ちをなにより大切にしたいから、人との関わりを断ち切らず、けれども適度な頻度で以て、中と外の刺激を行ったり来たりする生活を体現していく……そうすると、どうしても「いつでも泊まれる宿」は、できない。

「いつでも泊まれる」と思ってお問い合わせくださる方に対して「いや、今日から1ヶ月休みなんですよ〜」と伝えることで双方に、もやん、とストレスの雲が生じる瞬間に、これをお読みのあなたは立ち会ったことがおありだろうか。

「Booking. com」の掲載をやめたときも思ったけれど、宿泊を検討しているお客様が宿を選びやすいことと同じくらい、宿泊施設側がどういうお客様に訪れて欲しいかを意思表示することも、だいじなのではと思う。

それがフィルターだし、注意喚起になるし、コミュニケーションでもある。

宿だけでなく、何においても言えることだろうが、「ここはわたしのための場所」と思わないと、お客様は動かない。

逆に「ここはわたしのための場所」と思うと、どんなに遠くても、価格が高くても、ややこしいシステムでも、「どんな場所だろう?」と好奇心のままにしっかり足を運んでくれる。

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もう一つ、「たまにしか泊まれない宿」構想と並行して、ずっとずっと、考えていることがある。

いま改修している一軒家と、庭、敷地一帯を、“城化”したいという、計画。

城という表現が、ぴったりハマっているわけではないけれど、とにかくやりたい放題を、やりたい。

永遠に満足しないかもしれないけれど「家」というおもちゃ、もしくは素材を手に入れたことで、「生活は表現」という定理を、体現する機会を得た。

家を、なぜ、どのように変えていくのか、変えた先に何を見るのか、その理由自体が物語をつくる筋書きになる──そんなダイナミックな遊び、やらずにはいられない。

以前、「あなたのやっている民泊事業は儲かるのか」と聞かれたことがある。

前提として、わたしは儲けるために民泊をやっているわけではない。

「生活は表現」という仮説を実証するための公開実験に、お客様という観客を巻き込んでいるだけだ。

「ワガママばかりで乱暴だ」と思えば、泊まっていただかずともよい。他にも泊まれる場所は、あるのだから。

「ここはわたしの場所だ」と直感してくれる、世界のどこかにいるわずかな人たちだけに、届けばいい。そのためにも、自分が表現したいことを、家というハコモノで、ぬかりなく描ききりたい。

「じゃあその"自分が表現したいもの"って、なんなのよ?」という質問への、端的な答えは、まだ宙に浮いたまま。

いつか腹落ちする日まで、曖昧な状態が旬ならば、飾らずそのまま、残しておく。

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