モノに好かれる人、好かれない人
先週、iPhoneをなくした。
大学4年の夏、当時あまのじゃくにApple製品を避けていたけれどいざ当時の最新機種だったiPhone6に変えてから文字通り生活が一変したことへの衝撃は今でも忘れない。
なんというか、さわっていて、気持ちがよいのなんのって。
画面の切り替わり方、タップの仕方、アプリの起動の速さ──なにもかもがスムーズで、意思の切り替わりに操作のスピードがついてくるから思考が妨げられない。
「思った通りに動く、これぞまさに、“スマート”フォンよ」と文明の利器に感服し、以後愛用し続けて今年で4年目を迎えた。
それなのに。
いつも、朝起きたらiPhoneで音楽をかけたりポッドキャストでお気に入りのラジオを流す。
そして出勤する時にポケットにiPhoneと家の鍵を突っ込んで出発し、およそ1分で職場に着く。
そのたった朝の数十分で、なんのイレギュラーな操作をした覚えもないのに、3年以上使い込んだiPhoneが突然消えた。
上着のポケットに手を入れて、iPhoneが見当たらず、そのあともリュックをひっくり返したり自宅の部屋や布団のなかを探したけれど見つからなかった。
「うーん、困ったなあ」とは思った。
でも同時に「すぐ見つかるだろう」という確信があった。
なぜかは分からないけれど、昔から、なくしものをしてもたいてい2、3日のうちに見つかることが多い。
だから今回もすぐに出てくるだろうと正直特に焦っていなかったし、友人に「携帯をなくしたのに、どうしてそんなに冷静なの」と聞かれたほどだった。
もの持ちは、いい方だと思う。
安いものをたくさん買ってどんどん使い捨てるのは、貧乏性でどうしても気がひけるし、できるなら頬ずりしたくなる一点ものを、壊れてしまうまで使い倒したい。
もの持ちの良さに、思想は一切、ない。
体質みたいなものだと、思っている。
幼稚園の頃から使っているランチョンマットは、今でも使っているし、大学時代から持ち歩いているリュックはまだまだ現役で、あと10年くらい使わないとほつれもしないんじゃ無いかってくらい頑丈だ。
なにもかもをものすごく丁寧に扱っているわけじゃないけれど(焦っていたら投げたり、踏んずけたりしちゃうし)気づいたら10年以上使っている、というものが多い気がする。
お気に入りだったピアスの片方が、どこかへいってしまったということはあったけれど、なくしものもそんなにしょっちゅうは、しない。
海外でも、何かを盗られたり失くしたりしたことはほぼない──直近なら、一昨年行ったキューバのバーで酔っ払って帽子を置いてきてしまったことくらい。
だからきっと、iPhoneも戻ってくる、と信じて疑わなかった。
「どこにいるのー」と言いながら、隙を見ては職場と自宅と、雪に覆われた自宅前の道路や駐車場も雪をかき分け探して、室内にあることを祈りつつiPhone喪失から約30時間後くらい経過したところで、結局職場で無事見つかった。
けれど、そのあとすぐ、今度は化粧ポーチがなくなった。
立て続けに大切なものをなくすとは、いよいよ忙殺テンパリモードに突入したか自分よ、と己をたしなめたくなったけれどこれまたすぐ見つかるだろうと思って思い当たるところを探していたらやっぱり次の日には見つかった。
一方、わたしの弟は、昔からよくものが壊れたり、盗まれたり、なくしたり、といったことが多い。
わたしがあまりにもそういうことと無縁だからか、よけい彼の「もの離れ」のタチが小さい頃から目立っていた。
「モノに好かれないね」と誰かが表現していたことがあるけれど、わたしは弟のチャリンコが盗まれたり、スマホがバキバキに壊れたりする報告を聞くたび「またフラれたのか」と感じていました。
「モノに好かれる」には、思想はいらない。
「モノを選ぶ」には思想が反映されることがあるかもしれなくても、長く使い込むのは瞑想のような、鼻をかむような、意識されない日常に溶け込む所作であって、思想はどんどん削ぎ落とされてゆく。
だって、どうしてiPhoneを長く使っているの?とか
穴が空いているのに当て布までしてそのポーチを使うのはどうして?とか聞かれても
「なんか好きだから」以外に答えがないんだもの。長く使い込むほどに味が出る、その経年の良さを前提に、モノを選んでいるわけではない。
手に入れた当時は、そんなことあんまり考えていなかったし、気づいたら「わたしのもの」になっていた。
洋服でも「着ているのではなく着られている」と、人の方が受動態になって表現されることがある。
それはもしかしたら、本人すら言語化されていない思想の切れ端が邪魔をして、モノがヒトを信頼していないのかもしれないね。
なんて、ただiPhoneを無くしてテンパっただけで、こんないろいろを考えた冬のある日の夜のお話。
無事見つかって、めでたしめでたし。
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