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早く行きたいなら1人で。遠くへ行きたいならみんなで。

 タイトルは、アフリカのことわざ。

 大好きな言葉。好きすぎて、自宅の窓ガラスに、白インクで描いた。

 5年前、同じタイトルのnoteも書いた(忘れてた)。けれど、今回はまったく違う視点で、この言葉をかみしめている。

 今年の春から、南へ行くことになった。鹿児島だ。北海道から、鹿児島へ、気候も伝統もまったくちがう土地で、またゼロから、新しい生活を始める。

 転職も引っ越しも、まったく想定していなかったけれど、変化を起こしたいタイミングが、かさなった。北海道に来るときも、そうだった。いろんなことが、初めから予定されていたかのように、雪だるま式に決まった。

 それに、南国から北国へ移住する女の子のファンタジー小説を書き始めたら、自分が北から南へ行くことになった。なんの因果でしょうか。

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 2020年になってすぐ、新型コロナウイルスの影響で、予定していた仕事がなくなった。その日から、未来について憂いたり計画を立てたりするのを、やめた。

 無計画で生きた2020年、案外、健康に楽しく過ごせた。未来に先送りしていた心配事や余計な理想を、手放したからかもしれない。加えて「何者かになりたい」という青い焦燥感が消える、おまけ付き。

 消えた、というのは乱暴な言い方かもしれない。けれど少なくとも「何者でもない」ことへの焦燥感や劣等感にさいなまれるのは、20代前半に比べて大幅に減った。これがオトナになるということか? 落ち着きがないのは変わらないけれど。

 焦燥感や劣等感は、用法・用量を守って正しくあつかえば、前へ進む原動力になる。手なずけるのに、ちょっと、コツがいる。

 そのコツをつかんだのは、コロナ禍の無計画な1年間を含む、北海道での4年間があったからだと、思う。

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 有無を言わせない自然の猛威と恵みのなかで得られる“生かされている”肌触りは、自分のことに固執しすぎて、こんがらがった自意識を、ゆっくりほどいた。

 それから、この町で暮らす、排他的な村意識に塗りつぶされない成熟した距離感を持つ人々の後ろ姿を見て「自分のことにばかり固執している場合じゃない」と、襟を正す場面も、何度かあった。

 構いすぎず、でも無視するわけでもない。お節介と呼ぶほど図々しくもなく、放置というほど突き放されるわけでもない。それぞれ独自の持ち場(世界とも換言できる)があり、そのテリトリーが、ゆるやかにくっついたり離れたりする──そんな雰囲気がただよう町だ。

 ほどよい距離感に対して「冷徹だ」「この町の人は何もしてくれない」と感じさせるケースも、あるかもしれない。けれどわたしには、ちょうどよかった。熱すぎず、ぬるすぎず、ずっと浸かっていられる、お風呂みたいな。

 ともだちも、できた。

 肩や知恵を貸してくれ、近すぎず遠すぎずな距離から、目くばせをしてくれる──そんな存在に囲まれていると刺激的だったし、安心した。

 安心できると、たいせつなことを、たいせつにするための適切な感度に、電波を合わせられるようになってきた。だから、負の孤独に侵されなくて済んだし、わたしなりの方法で、たいせつにしつづけたいと、思えるようになった。

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 2019年に入って、すぐ。

 2017年に北海道に来た段階で、3年間の期限付きの雇用だと決まっていた。任期が終われば、何者にでもなれる──その無限の自由を前に足をすくませながら、おぼろげな物足りなさを、無視できなくなってきた。

 指を加えて隣の青い芝ばかり見つめ、人の物ほど欲しがる駄々っ子のような物足りなさではない。

 好奇心の対象が移ろうことで身の丈を思い知り、生まれる渇望感だった。

 わたしはたぶん、このままでも、ありがたいことに仕事もいただけているし、食べていける。今の状態のまま、生活を守り、心穏やかに暮らし続けることは、きっとできる。

 でも、わたしは、欲深い。欲深いのですよ。

 焦りや劣等意識を多少手放せたとしても、好奇心の火がついたら、じっとしていられない。

 今までは、一目散にダッシュする瞬発力だけで、行きたいところに辿り着けた。でも、今回は、少し違う。一人の瞬発力だけでは、たどり着けない分野──具体的に言うと、環境問題だとか気候危機に関するトピックスに、好奇心の火が灯っている。

 ずっと浸かっていられるお風呂でも、浸かり続ければ、のぼせてしまう。

 ドラスティックな変化が、必要になった。

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 昔から、バランスをとりたがるところがあった。大多数が黒と言うと「白はどうだろう」と、反対意見を調べてみたり、「絶対」や「必ず」という断定の言葉が苦手だったりする。「本当にそうかな?」と鳥の目を介さずにはいられない。疑い深いとも言える。

 白、黒、グレー、すべての可能性を忘れたくないし、どっちかへ大きく振れると、真逆のことをしたくなる。

 いつまでも入っていられるお風呂に肩まで浸かっていると、ある日突然、頭から水をぶっかけずにはいられないような。

 無意識に、そういうアンテナも、働いていたのかもしれない。

 一人ではたどり着けなさそうな好奇心の灯火を目指して、走り出すことにした。手を伸ばしたら、すくいとってくれる場所があったから。

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 落ち着きのないわたしに対して、新しいフィールドへ踏み出す一歩を「楽しみだね」と肯定してくれる──そのふところの深さ。過剰に鼓舞して背中を押すわけでもなく、後ろ髪をつかんで離さず束縛するでもない。それぞれの人生をひた走る人たちとの目くばせは、勇気と安心感をくれる。

 北海道での4年間が、次の道へつづく灯火をくれた。日々、過ごしているさなかは、起きる出来事ひとつ一つに集中しすぎて、一喜一憂していたけれど、欠かせない時間だった。

 話はずれるが最近、立て続けに「本当の自立とは依存先がたくさんあること」という趣旨の発言を、何度か耳にした。まったくちがうシチュエーションで、まったく異なる人から、似たようなことを聞いた。

 この言葉を改めて自分に置き換えると「ひた走れるのは、目くばせしてくれる、セーフティネットがあるからだ」と思った。

 走るときは結局一人だけれど、知り合った人たちの多くが同じような孤独をかかえている。「この孤独を抱いているのはわたしだけではない」という安心感が、依存と呼ぶのか分からないけれど、無言のうちに分かち合う(目くばせしている)ことが、精神的なよりどころになっているのは確かだ。

 くわえて、飽き性なわたしは、なんでもかんでも自分だけでやり尽くすのに、少々、退屈していたのかもしれない。というより、自分だけでやり尽くせることなんて、ほんのわずかだという事実を、やっと認められたのかもしれない。この自認が、身の丈を知るということならば、もっと早く、いい意味であきらめられればよかったかなと思うけれど、背伸びをしたり、ないものねだりをしたりする時間が必要だった──と、割り切るしかない。遠回りも近道も、そもそも無いのだ、いつだって、死ぬまで、最高速度であり最短距離なのだ、きっと。

 20代後半の大冒険は、ひとまず第一章の閉幕。他の人にとっては取るに足らない物語でも、わたしには純度の高いハレとケを詰め込んだギフトばかりの日々でした。

 これから南へ行っても、きっとまた、たくさん助けてもらうし、たくさんもらう。でも、そろそろ与える側として地に足つけていきたい、なんて、また背伸びしたくなる。欲深い。

 新しい環境に飛び込めば、再びまったくの一年生に戻るわけだから、だいそれたことはできなくても、それでも。

 南の国で、またゼロから新しい冒険が、待っている。

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