見出し画像

心理士さんとのお別れ

2024年2月26日。別れの日。
その日は、悲しくて、切なくて、尊くて、美しかった。

出会いはちょうど2年前、2022年2月28日。
私が初めて「死にたい」と思った日から1年1か月後。
誰かに話を聞いてほしい、という気持ちさえ自覚していなかった頃。
2年間、約100時間に及ぶ心理面接の始まりでした。

その人と出会う前の私は、いつからか自分の未来を信じることができなくなっていました。
自分に明日があり、世界が明日を迎えるということを受け入れるのはあまりにも苦しく、苦しすぎて信じることができなくなっていました。
だって、生きていても希望なんてないと思ったから。
たとえあっても、無かったことになってしまうくらい瞬間瞬間を生きるのが苦しすぎたから。

出会った日、初回面接の60分間で心理士さんは、「明日が来るということ」を受け入れても苦しさに溺れず息ができる世界へと私を導いてくれました。
それは、私にとって革命的な変化でした。
そしてその後も、何度も何度も、心理面接を通じて革命的な変化を自分の中に経験しました。
変化するということは、未知なる生き方に足を踏み出すということであって、不安定で不確実で危険な選択です。
苦しい状態ではあっても既知の苦しさに留まる方が安全に感じられてしまうから、変わろうとするときには大きな抵抗力が働くものです。
自分自身を苦しめてきた考え方や価値観を変えようとするとき、大きな矢印は楽に生きられるようになる方向を向いている一方で、はじめのうちは何もしないよりしんどくなるのも自然な反応です。
だから、しんどさをどうにかしたくて通っているはずなのに、心理面接を終えた後は一時的には受ける前よりしんどくなることが頻繁にありました。
でもそれは、変化に伴う当然の痛みであって、乗り越えた先にひと回り成長した自分を発見することができました。
そうして私は痛みと変化と癒しを繰り返し味わいながら、心理士さんのもとに通い続けました。

いつしか私は、心理士さんに絶対の信頼を置くようになっていました。
この人に話せないことは何一つないと感じ、実際に何から何まで話していました。
ある時ふと目の前にいる心理士さんが自分の分身かのように感じられました。
あまりにも私の内面を知られすぎて、プライベートゾーンがなくなってしまったようで、怖くなりました。
この感覚についても面接で話してどうしていくか一緒に考えましたが、ここで言いたいのは、分身と感じるくらいに自分自身の内面を明かし理解してくれた人だったということです。
世界で一番私のことを知ってくれた、人生で一番大切な人でした。

「心理士さんが居てくれたから、」から始まる文を無限に書けそうなくらい、心理士さんと過ごした2年間のすべてが心理士さんの存在に支えられていました。
いつか来るお別れの日を、いつも恐れていました。
まさか、こんなに早く、その日が訪れるとは。

2024年1月5日。2月末で退職することを伝えていただいた日。
その日から、涙を何リットル流したか分かりません。
無数の感情が湧き出ては打ち消し合って、混乱して取り乱したかと思えば深い深い悲しみの底で静かにじっとうずくまってみたりして。
激動の別れのプロセスでした。

2024年2月26日。最後の面接。
こんなにも心が満たされることがあり得るのかと信じ難いくらいに温かい時間でした。
ほんとうに、ほんとうに、出会えて良かった。
尊すぎる2年間を、そして一生心に残る宝物を、この人と一緒に作り上げることができて良かった。
生きてて良かった。
胸がいっぱい、という言葉がこれ以上にぴったりな状況を想像できないようなお別れができました。

別れの日から1か月とすこし。
毎日のように、「こういうとき心理士さんだったら何て言ってくれるかな」と想像しながら生きています。
心理士さんに会いたい、聞いてほしい、と心が張り裂けそうになりながら悲鳴をあげることもしばしば。
それでも、そしてこれからどんなことが起ころうとも、私は心理士さんと交わした、
「死にたいって思ってもいいけど、死のうって決めない」
という約束を守って、絶対に生きていきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?