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指輪物語、読後とりあえず書く

力を捨てる旅、ということでもっと武力の登場しない作品なのかと思っていたら、そうでもなかった。 滅びの山への旅を自ら引き受けるフロド、自由意志で旅に参加せよと指示するエルロンド、ギムリだけに目隠しをするのではなく皆で目隠しを引き受けようと提案するアラゴルン、あたりの物事の考えかたが好き。 作戦会議が長引いたときのビルボの「エルフは言葉を食べても生きられる、ドワーフはいくらでも耐えられる、ただホビットはそうじゃない。お昼の時間にはちゃんとお昼ご飯を食べたいんですよ」という内容

    • 評論社しどいしと。 中つ国のでかい地図、9巻のおしりに載せるなんて、しどい、しどいしと! もっと早くに載せてくれよう、迷子になったらどうするんだよう。...でもスメアゴル怒らない。そうともよ、このスメアゴル、いいスメアゴル。 ...スメアゴル全てにおいて良いキャラすぎる。

      • 味わい深く広く大きく

        カラマーゾフを読んでいたとき「この小説には何というかもう全部が詰まっているよなんてこったハアハア!」というような感想を抱いていたけど、いま指輪物語を読みながらカラマーゾフをふと振り返ると、カラマーゾフがぎゅっと狭く思えてきて不思議……。 単に物語のカテゴリーが違うだけなのかもしれないけど、なんというか、なんなんだろう(笑)。 カラマーゾフは、登場人物たちが自意識に満ち満ちていて、語り手も抽象的な単語をぼんぼん投げてきて、この世の現象も人の心の中も、俺の観察眼とこの世への憤りで

        • 旅の仲間

          「ここしばらく、三日ほどかけて旅をしてきました。実はまだ旅の途中です。森を抜け丘を越え街道を駆け川を渡り山に登り地下にもぐり森に憩い川を下るという険しい道のりです。一人ではありません。ホビット、人間、魔法使い、ドワーフ、エルフ、という派手な仲間たちが一緒です。ずっと仲良くやっていたのですが、ついこのあいだある人間がいかにも人間らしい駄目さを発揮したので面倒なことになってしまいました。それでも私はその人間の駄目さが身近に思えて、正直そんなに嫌いになれません。「いとしいしと」を前

        指輪物語、読後とりあえず書く

        • 評論社しどいしと。 中つ国のでかい地図、9巻のおしりに載せるなんて、しどい、しどいしと! もっと早くに載せてくれよう、迷子になったらどうするんだよう。...でもスメアゴル怒らない。そうともよ、このスメアゴル、いいスメアゴル。 ...スメアゴル全てにおいて良いキャラすぎる。

        • 味わい深く広く大きく

        • 旅の仲間

          カラマーゾフの兄弟の読後にぶつぶつ、つぶやく。

          初読時はアリョーシャの信仰とミーチャの讃歌が面白かったけど、今回はスメルジャコフの独りぼっち加減が面白かった。 「おそらくフョードルとスメルジャーシチャヤの息子」っていう噂の種みたいな生まれで、頭はいいのに召使いとして育てられて、自尊心が傷ついて発酵してて、そのヤバい部分を小出しに披露してくる、あのヤラシーい感じ......(笑 スメルジャコフはミーチャ的に言えば「童」で、事件はある意味「童」の復讐なのかな、とか思う。そして童の復讐で大きな童になりかけるミーチャ...

          カラマーゾフの兄弟の読後にぶつぶつ、つぶやく。

          Twitterで見つけたこの投票↓ #ドストエフスキー登場人物人気投票 一番好きなアリョーシャが思ったほど人気無くて、おいら寂しい(´・ω・`)

          Twitterで見つけたこの投票↓ #ドストエフスキー登場人物人気投票 一番好きなアリョーシャが思ったほど人気無くて、おいら寂しい(´・ω・`)

          姉ちゃん

          じゃりじゃりと敷石を軋ませ、なにやら怒りながら父は墓石へ水をかけている。高速道路が混んでいたこと、途中で寄った食事がまずかったこと、墓地の売店で売っていた花が見た目の割に高かったこと。 蝉の声にも掻き消されない父の文句を聞き流しながら、母は線香を用意している。母が地図を読まなかったこと、標識を見なかったこと。返事をするのが面倒な私は、少し離れたよそのお墓に添って、花を眺めるふりをして歩いていた。 ここの墓場には、ずっと奥まった山との境目のところに、こんもりと緑の茂った美しいお

          姉ちゃん

          何も、無いから。

          司書教諭としてこの小学校に来て以来、私は一人の子どもをぼんやりと眺め続けている。 その子どもは開室時間になると現れ、閉室ぎりぎりまで書棚の間で本を選んでいる。どの本が面白いか、この本はどこにあるのか、などと他の子どもが尋ねるようなことは一切尋ねてこない。既に読むという行為に慣れているのだろうが、まったくあてにされないことが寂しくなくもない。 「あと十五分で閉館よ」 私は閉室時間ぎりぎりになってもまだ迷っているその子どもに声をかけた。 「ほんとうに、よく読むのね。開放日はいつも

          何も、無いから。

          矢川澄子の復刊を願う。

          気がついたら本棚にいた。初めて知ったのがいつだったか、記憶にない。矢川澄子はそんなひそやかな登場が似合う人だ。ミヒャエル・エンデを翻訳し、森茉莉にあとがきを寄せ、野溝七生子やアナイス・ニンを教えてくれる、優しくて知的なお姉さん。矢川澄子は、私にとって渋澤龍彦の妻ではなかった。 初めて意識したのは森茉莉のあとがきに名前を見つけたときだった。矢川澄子という美しい字並びが、強烈な既視感を引き起こした。なぜか深い藍色が思い起こされた。確かに知っているはずの人であった。もどかしさに急い

          矢川澄子の復刊を願う。

          介護

          「病院行ってくるで」ひと声かけた母を一瞥もせず、父はテレビを視続けている。ワイドショーから流れ出る笑い声がしらじらしい。 「病院行ってくるでて」母は大きな声で繰り返した。 「わかってるて」父はやっと振り返ると、とげのある口調でさも鬱陶しそうに答えた。父は、していることを中断させられると不機嫌になる。私は何も言わずにコートを着て靴を履いた。 ドアを開けると新鮮な外気が頬を刺し、耳に纏わりつくテレビの音を洗い落とした。 「お父さん、悪気はないねん」外に出た母はそう言いながら鍵を閉