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見上げればいつも四角い青空#17 これまで通らなかった道を歩き、知らなかった角を曲がる

ボクが初めて引越しをしたのは、高校を卒業して大学に入学するタイミングだった。
生まれ育った地元を離れ、初めて見知らぬ土地へ移り住んだ。

当時は、親元を離れられることに、この上なく自由を感じたものだ。

だけど、ボクが手に入れたと思っていた“自由”は、“自覚と責任”というそれまで両親に守られて見ずに済ませていたものをしっかりと手渡されることだったと知るのに、あまり時間はかからなかった。

毎日の食事さえも、ちょっとした冒険で、ご飯が硬いことも柔らかいことも、時々おかずがないことも楽しかったし、洗濯機から水が溢れ床を水浸しにして大変だったことも、インフルエンザに罹って病院にも行けず熱が下がるまで七転八倒したことも、今はいい思い出だ。

今考えてみると、初めての引っ越しは、“大学生活”という新生活の芯みたいなものが見えていたから、生活も事件も、楽しいことも大変なことも、探さなくても向こうからやってきてくれた。

その後、人生の選択の都度、あちらこちらに移動を続け、いつの間にか毎日の食事が冒険になるようなことはなくなった。

同じ最寄り駅での引っ越しであっても、毎日見る風景は変わる。
これまで通らなかった道を歩き、知らなかった角を曲がる。そうすると植わっている木々や切り取られた空に、ふと感動が落ちてくることもある。新しく見つけたカフェの雰囲気がよかったりすると大きな拾い物をしたような気になる。

そのうち、同じ道を通って、同じ角を曲がるようになる。でも、移り住んだときの気持ちの全てが慣れ親しんだものに変化するわけではない。
一方で、その日常は、新しい街に引っ越すときの去りがたさを引き起こす。

実は、もうすぐ新しい街に移り住む。

いつもと同じように、今度はどんなワクワクを見つけられるだろうかと、すでにワクワクしている。
そして、いつもと同じように、この街を去りがたいという気持ちの痛みを感じている。

最後まで読んでいただきありがとうございます。同じようでいて同じではない日々の生活の中で、感じたことや考えたことをスケッチしています。よかったらまた立ち寄ってください。

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