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じゃあ、魔法の杖をソコに入れても良いってことですよね?

これはファンタビシリーズの3作目『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』を、今さら観た感想です。ネタバレがあります。


映画は冒頭から不穏な様相

シリーズの前作では、怒涛のクライマックスで最凶の魔法使い
グリンデルバルドが闇払い達を次々と焼き殺す中、
その思想に魅入られたクイニーが闇落ちし、観る者に衝撃を与えた。

どうなるやらと思っていたが、本作のクイニーは冒頭から
「ひょっとして、私やらかした・・・?」と言わんばかりの不安顔。
元陣営に戻りたいオーラを醸し出している。

グリンデルバルドが人間と魔法使いの平和的共存を許す気が無いのは
前作の時点で明らかなので、あの闇落ちは一体なんだったのかと呆れたが、
キャラ的には勢いで行動して失敗しちゃったテヘペロと言われれば、
まぁそんなもんかと飲み込める範囲ではある。

気になるのは、本作が終始そんなノリで進んでいくことだ。
枚挙に暇が無いが、これだけは黙っていられなかった。
あれだけ騒いだ”血の誓い”のオチが投げやりすぎる

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グリンデルバルドとダンブルドアは「血の誓い」で不戦の契約を結んでいるため交戦できなかったが、なんかワチャワチャしてお互いの攻撃魔法と防御魔法をぶつけ合ったら契約を成立させているペンダントがぶっこわれてメデタシメデタシ、というのが本作の流れ。

血の誓いは魔法契約の1つで、誓いを立てる者は杖で手を切り、互いの手を合わせ誓いを述べることで発揮される。その後、ペンダントが形成されれば契約は成立する。 一度血の誓いを立てたら、ペンダントを破壊するのは不可能である…

ハリーポッターWikiより抜粋

世界中の誰も破壊できなかった血の誓いの魔法契約とペンダントを、
二人が宿命的に関わる過程で、運命的に破壊してしまったというわけだ。

登場人物の誰かがとってつけたように「そうか、攻撃と防御の魔法を同時に放ったから云々!」などと言ってた気がする。うん、ワケが分からない。

お得意の謎や伏線はどこへ

ハリポタ(ファンタビ)シリーズは、巧みな謎や伏線で観客にミスリードをさせ、物語終盤に種明かしやどんでん返しすることを得意としてきた。

血の誓いも、魔法の成り立ちや二人の因縁などが伏線になっていて、
「これが魔法を解く鍵なのでは・・・?」と観客がアレコレ考えた末に、
「実は攻撃と防御の魔法を同時に打つんでしたー!」と種明かしするなら、感心するかどうかは別として「はえーそうだったんだ」くらいの声は出る。

しかしそういう伏線が劇中に無いので(少なくとも私は気付かなかった)、
「お、おう・・・、攻撃と防御なのね・・・」
「それが一体、何だというのか?」
なぜ攻撃魔法と防御魔法がぶつかると、血の誓いが破れるのか??
と困惑するしかないのである。

じゃあ、魔法の杖をソコに入れても良いってことですよね?

ともあれわたしは、天下のファンタビがこんなとってつけたご都合主義的な展開で良いのかと憤り、その怒りを家族にぶちまけた。

「こんな何の理由も伏線も無い方法で解決して良いなら、
 物語的には他のどんな方法でも良かったってことじゃん。
 例えばグリンデルバルドとダンブルドアがそれぞれ尻の穴に
 魔法の杖を刺してV字開脚しながら魔法を打ち合ったら
 血の誓いが破れるとかでも良かったってことでしょ?
 だって”そうでなきゃいけない理由”が無いんだからさァ!」

家族から「まぁそうだね」と1ミリも共感されて無さそうな相槌をもらいながら、興奮冷めやらないわたしはもう一度同じ発言を繰り返し、マッツ・ミケルセン(グリンデルバルド)とジュード・ロウ(ダンブルドア)がそれぞれ尻の穴に魔法の杖を刺してV字開脚しながら打ち合った魔法のビームで繋がっている戦闘シーンを思い浮かべたところで笑いが止まらなくなり、すごい笑顔になった。

それで、人をこんなに笑顔にする映画ってすげぇ、
映画って色んな楽しみ方があるんだなあ、って思った。

(終)

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