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卵焼きが空を飛んだ。人間ってのはポンコツなんだ。失敗してもいい。

失敗するのは、誰だっていやだ。私も料理だっていろんな失敗をしてきた。例えば卵料理だけでも数知れず。焦げてにが~くなった卵焼き、フライパンにひっついて取れなくなった目玉焼き、オムレツがテレビみたいにプルプルになったことなんか、人生で一度もない。
でも、いいんだ。失敗はいくらでも重ねよう。と心に決めた事件があった。

卵焼きが空を飛んだ

息子が2歳の時。息子に持たせた卵焼きが空を飛んだ。カーペットのわずかな段差でつまづいた。小さな両手をお皿から離さないもんだから、マンガみたいにスローモーションで彼の大好物の卵焼きがきれいな放物線を描いた。

むくりと立ち上がってみるみるうちに、口がへの字に曲がり、顔が真四角の泣き顔に崩れていく。「大丈夫、大丈夫」となだめる私に「だいじょばない!しっぱいしたら、だめなんだよーーーー」と泣き叫んだ。

なんだか可愛いようだが、これが私にはショックで仕方ない出来事だった。その日の夜は眠れないほど、反省した。だって彼は当時たったの2歳。この世に生まれて、ほんの2年ちょっと。君はまだ若い、若すぎる。

そんなことを言わせたいわけじゃない。たくさん失敗して経験して、小さな自信をつけて成長してくれたら、という母の自分勝手な野望で小さな手に卵焼きの乗ったお皿を渡したのだ。

母ちゃんのポンコツぶりを自慢しよう

絹さやの筋とり、きれいに取れない今日のポンコツ

私はポンコツだ。だけど愛をこめて自分をポンコツと呼んでいる。

今でこそ、料理が好きな人だと思われているが、本当にポンコツだ。21歳の時に思い立って作った胡麻豆腐は、くず粉を倍量入れてカッチカチの塊となった。胡麻豆腐になれなかった塊ごと鍋を台無しにした。

20年近く前、初めて人に作った麻婆豆腐は辛すぎて舌がマヒした。全身に汗をだらだらかきながら無言で必死に食べてくれた彼は今、隣にいる。が、この麻婆豆腐の記憶はどうやらすべて消したようだ。何度聞いても全く覚えていない。便利な魔法使いかな。

関西の友達に教えて貰ったばかりの「たこ焼きのコツ」を姉に披露しようとしたある日、なぜか水分量を半分以下で作ったこともある。教えて貰ったコツの真逆だ。
ずっしりとただただ重たい粉の球体を20個生成した。もちろん、食べた。苦しすぎて眠れない夜となった。姉とトイレの取り合いなんて、こどもの時以来だった。

失敗自慢は語りつくせないが、失敗は悪いことではない。失敗を重ねたから、今できるようになったことが山ほどある。それを息子にも教えてあげたかった。

「失敗してもいいよ」と言えるようになるまで

おやつの焼きおにぎり

冷蔵庫から取り出すとき、手が当たって卵を1個落とした。この卵価格高騰のご時世になんともったいない。でも今は片づけるよりまず息子に声を掛ける。「母ちゃん失敗しちゃった~」と。

落ちて広がってしまった卵を見て、一生懸命に考えてくれる。「あつめる?どうやってたべる?」

別の日、茹ですぎて溶けてしまったブロッコリーを見せた。お茶の葉を盛大にぶちまけた時も、包丁で指を切った時も、鉄のフライパンを握って火傷した時も。えーっと他にもオートミールをバラまいたり、使いかけの煮干しを引き出しでバラまいたり。

母の失敗を見せる。一緒に考える。そして息子が失敗した時は「失敗してもいいよ」と声を掛け続ける。これを続けること3か月、いつものポンコツな「母ちゃん失敗しちゃった~」に「しっぱいしても、いいんだよ」と返事をしてくれるように変わった。もちろん息子自身の失敗の時も。

しかしながら、もうほんとにポンコツ。ドリフのコントかなってくらいのポンコツっぷり。志村けんさんの「ひとみばあさん」が大好きだった私。昔、夫が落ち込んでいる時にものまねをして、笑わせていたのをふと思い出す。
よし、明日はひとみばあさんスタイルでいこう。

失敗してもいい。たくさん失敗しよう、困ったら一緒に笑お。

「人間ってのはみんなどこかしらポンコツなんだ。ポンコツな生き物なんだ。だからこそ、うまく折り合いをつけてうまく付き合っていけばいいだけだ。」
というのは、数年前に読んだ東洋医学の思想をかみ砕いて解説した本の冒頭。古い著書だったこともあり、本のタイトルを忘れてしまって出てこないのも、私のポンコツっぷりである。

たくさん失敗しよう。いくらでも失敗してもいいんだ。どうしようもない時、一緒に笑おう。明日もお風呂で「いい湯だな」を歌おう。いまどき、お風呂で毎晩「いい湯だな」を振り付きで歌ってる3歳児、他にいるんだろうか。




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