わしには大切なものが多すぎた
わしには大切なものが多すぎたんじゃ
そう言ったのは
私の祖父です
87歳の祖父です。
一年前に
祖父の母が109歳で亡くなりました。
祖父の妻である私の祖母も
4年前に88歳で亡くなっています。
祖父と話をしても
未来に希望のある話は
出てきません
もうわしは何もできん
とにかくいろんなもんを捨てなきゃいけない
でも捨てるのもな、
思い出なんじゃ。
と涙を目に浮かべて話をしてくれます。
死んだ婆さんが大事にしていた
みさきの写真もあるんだと
話してくれました。
そして、
わしには大切なものが多すぎたんじゃ
と言ったんです。
私の常識がガラッと覆された。
そんな気分でした。
今の私は
思い出を作ることに必死です。
何気ない瞬間を写真に残そう。
記憶に残そう。
とにかく必死です。
そして今しかないこの瞬間を大切にしよう。
そう思って生きています。
思い出がありすぎて困ることなんてない。
そう信じていました。
でも大切な人の死を目の前にして、
次は自分かもしれない。
と死に向かって進んでいる
祖父は
大切なものがあることが辛いんじゃなくて
きっと大切な人との思い出があることが
辛いんです。
同じ人間なのに
向かう方向がまるっきり違う。
これだけで
考えることがこんなにも違うんだ。
と絶望とは違う
空虚感を覚えました。
必ずしも祖父が死に向かっている
というわけではないですが
死に向かう人が
ここまで
灰色の気持ちを抱えているんだ。
という空虚感です。
生きるとは未来に向かうことで、
嫌でも希望を持つことだと思っていました。
でも、それは私がまだ
死に向かって進んでいるという感覚が
ないからだったんだ。
と
その時に思いました。
今までは
まだ長い人生嫌だなぁ。
辛いなぁ。
面倒臭いなぁ。
と思っていました。
でも、
祖父のおかげで
少しだけ
人生の終わりに目を向けて
もっと遠くに目を向けて
生きていける気がしています。
それでも私は
人生の終盤に
大切なものが多すぎた
と言える祖父が好きです。
大切なものが多い人生を
歩めたということですから、
それでこそ人生だと
私は思います。
大切なものが多すぎた人生を目指して
祖父のように言える人生を目指して
これからも生きていけるように
もっと希望を持って
今を大切に。
目指せ祖父!笑笑
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