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誰に言ってもしょうがない話

私が潰瘍性大腸炎を発症したのは19歳の初夏でした。

いつかお話する機会があるかも知れませんが、私は高校時代にうつ病になり、通信制の学校を卒業したギリギリ高卒人間です。
同年代と同じ年に卒業するところまでは問題なかったのですが、就職に失敗して開き直って1年遊んじゃった恥ずかしい経歴を持っています。

今思えばそのこそ1年が人生で最も自由で楽しく、素晴らしいものであったと、心の底から思います。

闘病≠生活

発病してから様々な病気の体験談や闘病記録を目にしてきました。
病を抱えた恋人を題材にした小説や映画も多く発表されており、社会的に一定数の需要があるコンテンツであることは事実なのでしょう。

しかし、実際に治らない病気を抱える事になるとそういった話が何より疎ましく思える瞬間が来るのです。

「闘病」と言いますが、不治の病に罹り人生に絶望しても、多くの場合は病と闘う以外の道が認められていないのです。
病気である事を受け入れ、向き合い、適応していく事、そして病を抱えて働く事。
それらは決して感動的なコンテンツなどではなく、実際に乗り越えなくてはならない障害なのです。
人生100年が途方も無い悪路になったと思いました。
自死を選べたらどんなに良いかと思った事も一度や二度ではありませんでしたし、大腸全摘に至った今でも頭の片隅で考えてしまいます。

とにかく苦悩の種になっているのが労働です。

前述の通り私は最終学歴さえコンプレックスで、それに加えて年1ペースで入院するという大きな社会的ハンデがあります。
国が難病と認めた特定疾患なのだから、何かしらサポートがあって、きっと理解のある場所で働けると
希望を抱いていた時期もありました。

国は助けてくれません。
自治体も助けてくれません。
学歴、職歴、経験、何も持たないまま、何をどう頑張っていいのかわからないまま、世間の言う「いい歳」になってしまいました。

そもそも収入が無ければ闘病もへったくれもないので、身体を何とかする為に仕事をしなければなりません。
何の為に働いて、何の為に治療を続けているのか、病棟のベッドの上で何度も何度も考えました。

いつか読んだ体験談の筆者のように、私も頑張らなくては。
病気を言い訳にしてはいけない。
もっと辛い病気で苦しんでいる人もいる。
こういった思いが今も自分自身を苦しめています。

例え病気であっても、それぞれのペースで、それぞれに合った環境で、それぞれが希望を持って生活出来る世の中になれば素敵ですね。

私は闘病で随分疲れてしまったので、誰かがそんな社会にしてくれないかな~と願うばかりです。


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