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おいてけぼりが怖い私

「置いてけぼり」「1人になること」が怖いことに気づいた。

私が関わっていることでなくても全体を把握しておきたいと思っている自分がいる。
私の知らないところで動いている世界に孤独感を感じてしまう。

たった一度の欠席


幼稚園から高校まで、私はほぼ皆勤賞だった。
(幼稚園の時にひいおばあちゃんが亡くなった時と、6年生の時に風邪をひいた時以外は学校を休んだことがない。)

普段から風邪をひくことが滅多にない私。
休む理由がどこにもなかったこともあって、自然と皆勤賞になっていたのだけど6年生の時一度だけ熱が出たことがあった。
今まで学校を休んだことがないプライドがあって、絶対に休みたくなかった。
ちょうどインフルエンザも流行っていたし、近所の病院は風邪でもインフルエンザにしてくれるとの噂で、母には「インフルエンザにしてもらえるから休みなさい」と言われた。

インフルエンザなら欠席扱いにならないと説得され、しょうがなく休むことに。だけど病院ではただの風邪という診断で、結局1日欠席になってしまった。
今となってはそんな1日大したことないのだけど、当時の私は皆勤賞へのこだわりでとってもショックだった。熱があっても学校に行きたかった。

休むことが嫌だったもうひとつの理由は、1日学校を休んだ後普通に学校へ行けるのかということ。
その頃の友達の会話と言えば、前日のテレビの話だったりたわいもない会話で特別重要なことなど何もない。だけど、たった1日でも私がその話に入れなかったことを想像すると怖かった。
なんか取り残された気持ちでとっても怖かった。

今でもなんとなく覚えているのは、恐る恐る学校へ入った小さい私。
体格も小さいけれど、気持ち的にはもっともっと小さくなって学校に入った気がする。教室に入るのも怖かった記憶。

私が休んでいた間、みんなは何をしていたのだろう?
どんな話をして、何をして遊んだんだろう?
悪口を言われていたらどうしよう。
そんな気持ちだった。


知らない情報にモヤっと

自分の知らないところで何かが動いていることに対しての不安な気持ち大人になった今でも度々感じる。
私の知らないところで、世界が動いていることにモヤモヤして落ち込むことがある。
一億総発信時代の今、身の回りの友人の発信も活発になってきている。SNSの投稿スピードも速くて全部は目を通せない。
通さないといけない決まりもないし、実際には気になった投稿しか目を通してなかったりもするのだけど、
そうやって見ていなかった間に行われた”何か”が不意に目に入ってきた時、
「えっ?私知らない・・・」
って急に孤独感を感じることがある。

何その孤独感(苦笑)

でもこのモヤっとした気持ちがうまく消化できないからこそ、今ここでPCを叩いている。
というのも、先日とあるのPodcastを聴いた。
人と比べて辛くなる人が自分らしくある為のメッセージ。


繊細な人ほど吐き出すことが大切

感受性の強い人、繊細な人ほど、いろいろなものをキャッチしやすいから吐き出さないと溜まってしまって苦しくなる。
だから吐き出すこと、発信が大切だというお話。

1人になることや孤独を恐れている私は、常に情報をキャッチしていたくて
目が忙しいし、頭も忙しい。(情報に関わる星回りを持っているのもひとつ原因かもしれないけど?)
日頃から必要以上に情報を追っている節がある。
なぜなら置いていかれたくないから・・・。

たくさんの情報をキャッチするからこそ、その情報が必ずしもプラス要素なこともなく、その度にモヤっと、ヴゥっと、グサっとくることが多々あり。

こうやって出してみようと思ったのも、吐き出しが足りないかなと思ったからだ。
置いてけぼりを怖がらなくする為には、もっと深堀りが必要だと思うけど
ひとまず、今の気づきと気持ちを外に出してみる。
私の中ではよく感じる気持ちだけど、今回はただ落ち込むのではなく、少し考えてみようと思った。
そろそろこの感情を手放す時なのかもしれない。



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