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料理できない私がキッチンで働いた話

付け合せ用にキャベツを千切りにしていく。ざーっく、ざーっく、とお世辞にもリズム良く切れているとは言えない。見た目なんて言わずもがな…。調理長は最後まで見届けてから「これ百切りになっとうよ!まかない行きだね!」と明るく笑った。
恥ずかしさで顔が真っ赤になる。でもそれをバネに早く仕事ができるようになりたいと強く思った。


私の実家ではあまり手料理を作る機会がなかった。両親は共働きで、兄妹も多く、そんな余裕がなかったのだ。私自身も授業・部活・塾で家にいないことがほとんどだった。

中高で数回だけの家庭科実習では、張り切っている他の人に任せきりであまり役に立たなかった。

大学生になって一人暮らしを始めると、自炊をするようになった。レシピを見ながらいろいろ作ってみるが、まず下処理が分からない、切り方も知らなくて、調べながら作っているとかなり時間がかかった。それから変に材料をケチって、代用したり、なくてもいいやと勝手に判断したりしてたくさん失敗した。一番しっかり覚えている失敗は、ハンバーグをつくるのにパン粉を「数グラムならなくても一緒じゃん」と、入れずに焼いたら"そぼろ"になってしまったことだ。
他にも学祭で餃子屋さん(?)を出店した時は、料理できないのがバレたくなくてコソコソしていた。



そもそもそんな私がどうしてキッチンで働くことになったのか?
きっかけは不純で、当時気になっている人が「結婚するなら料理の得意な人がいいなー。」と言っていたからだ。自分で試行錯誤するのに限界を感じていたので、いっそのことキッチンで働いてみようと思ったのだ。そう、私は追い込まれたらやるタイプ。


バイト先は割とすぐ見つかった。友人の先輩がキッチンで働いていて、後釜を探していたのだ。あれよあれよと面接も通ってキッチンで働くことになった。
未経験なのはもちろんのこと、家庭料理も怪しいので、一からしっかりとたくさんのことを教えていただいた。千切りの練習をしたり、塩加減をみてもらったり…。がむしゃらにやっていくうちにあっという間に時間が過ぎていった。

二年ほど働いてほとんどの持ち場を一人でこなせるようになっていた。技術はもちろんのこと、調理長の人柄からたくさんのことを学ばせていただいた。
調理長はいつも明るく前向きで、怒ったところを見たことがない。忙しくても、冗談を言って場を和ませてくれて、本当に良い職場だった。失敗をした時は、改善策を一緒に考えて、絶対に後に尾を引かなかった。そんな姿をみて、喜んでこの人に着いていきたいと思った。みんなそう思っていたから、シフト協力もスムーズで、人手不足になることもなかった。この場にご縁を繋いでもらったことにどれだけ感謝したことか。

このままずっとずっとそこで働いていたかったが、ある日そのお店は閉店が決まってしまった。


あれから数年過ぎた今、自炊は細々と続けている。週末に作り置きをして、平日に少しずつ食べるスタイルだ。ご飯を炊くHPもない時用に焼きおにぎりを冷凍する。この味付けは、ほぼキッチンで働いていた時のものだ。

苦手だった梅干しが好きになったのも、キッチンで働いていた時に食べたものがきっかけだった。熱中症で休ませてもらった時、調理長が「絶対食べた方が良い」と言ってくれたのだ。それからというもの、昔は嫌いだったけど、今でも夏場は梅干しを食べるようにしている。

食と過去の記憶は結びついている。苦手が好きに書き換わる、素敵な食事をしていきたいですね。良い記憶を伴った食事は、時間を超えて心を元気にしてくれます。

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