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手術その2

気がついたら手術は終わってました。
主治医が『リンパ節転移なかったですよ』と声かけてくれて、『ありがとうございます』と言おうとしたけど、あれ?声がでない。
なので、頷くしか出来ません。
そのうち気分が悪くなり吐きそうに。
声は出ないし、上を向いて寝たまま。
ここはどこ?手術室なの? 
そのうち看護師さんが来てくれ、病室へ。
しばらく酸素投与され、尿道カテーテル挿入されていました。一晩、尿道カテーテルも不快だし、腰が痛くてほぼ眠れなかった。

声が出なかったのは気管内挿管していたからだと思う。
それも一晩経つと治っていた。
右側全体と傷は痛かったけど、我慢できる程度。
朝には体を起こしてもらい、管も抜けて楽になりました。
家族は、当時の夫と大学生の娘と母が来てくれていたけど、私は落ち着きませんでした。

医師から家族に説明があって、切除した物見ますか?と言われたそう。
夫だけが、躊躇してどうしようと時間をとっていたと娘に聞き、医師に迷惑かけたことが残念に思いました。

術後は順調に経過して3日で退院。
悲しい気持ちとかあまり覚えていません。
右腕と胸は痛く、動かしにくいけど、体は元気でした。

退院したその日…
夫は1人で墓参りに出かけ、遅くに帰りました。夕飯は母が用意してくれてたけど、それを私が並べ、食べたあとも食器はテーブルにそのまま。

私は今日退院したばかりで、元気だけど腕は痛いのに、心配はしないのかな…。
『支えるよ、一緒に頑張ろう』とか『痛くない?大丈夫?』とか1度で良いから言われたかったな。いや、もう別にいいや。もう自由になりたいな…。子供も大きいし、私の人生を生きてもいいんじゃないかな…。
と痛い腕で食器を洗いながら色々と考え、
『離婚しませんか?』と告げました。

やっと言えたことに嬉しかった。
おかしいですけど。ものすごく肩の荷が降りました。
退院した日の出来事でした。

こう書くと夫は酷い人みたいですが、物腰は柔らかい人で、どちらかと言うと気が付かない子供みたいな人でした。私は鉄人でいつでも家族のために仕事も家事もして強い強い母だと思ってたのかな。

頑張っていたけれど、病気になってしまった。
鉄人なんかじゃない。弱いし助けがいるのよ。
協力がないなら1人の方がマシ!
もう、そろそろお役御免でいいでしょうか?
そんな感じです。

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