離任の挨拶 原稿

これは自分の記録として、残しておきたい。

この挨拶文について

私は2022年の3月で、大学を卒業してから続けてきた教員生活に一旦区切りをつけることになりました。
できることなら、あと1年やりたかった。担任していた2年生が、卒業するまでを見届けたかった。
色々足掻いてみたけど、常勤の契約が切れるという事実は変わりませんでした。今思うと、契約の期限が変わることはないのは当然ですが、この時の自分はなんとかあと一年続けたいと必死でした。

離任式なんか出るもんか

辞める決心はついた。
同僚からのお別れの言葉なんて、いらない。
送別のプレゼントなんて、いらない。
「いなくなったら寂しいね」なんて思ってもないくせに。

それでも結局、教科のお別れ会も、分掌のお別れ会も、言われるがままに参加しました。
その時も挨拶をしましたが、教科のお別れ会では「悲しい」としか言えませんでした。後のスピーチで話したことを、少しここでも話しましたが。

離任式に出ることになった。

噂がひとり歩きしてるのがわかって、気持ち悪いと思った。

「来年はどうするの?」
「また公立高校に戻るの?」
「次の職場決まったん?みんな心配してるよ。」

知るか。
みんなって誰やねん。心配してるなんて嘘や。
そもそも、なんで私が辞めること知ってんねん。
管理職しか知らんはずやのに。私は誰にも話してないのに。

お待たせしました。
ここからは離任の挨拶の原稿です。


2019年の4月から3年間、お世話になりました。

契約を切られる側の気持ちは、当事者にならないと分からないものです。
11月に退職の通知を受け取り、辞める決心がつくまでに長い時間がかかりました。
最近、「来年はどうするの?」、「教員を続けるの?」等、色々な方からメールやメッセージを頂きました。
だからなんやねん、と思っていました。気にかけていただいたのに、ごめんなさい。
でも別に、仕事をしない期間を作ってもいいと私は思っています。今日は、私の4月以降のことをお伝えしたいと思い、ここに来ました。
4月からは、放課後デイサービスという、発達障害の子どもたちが通う施設で、正社員の指導員として働きます。
副業OKの会社ですので、仕事が休みの日に非常勤で英語を教えることも続けられたら嬉しいなと思っています。コロナの影響で、リモートでできる仕事も今ではたくさんあります。
できることなら、あと一年でいいから、常勤で働きたかったです。悲しい気持ちはまだありますが、お正月に見ていた箱根駅伝のレースと、コマーシャル(『4年生力』のCM)が励みになっていると感じます。
私は、あと一年続けたいと思って、色々足掻いてもみましたが、結果は変わりませんでした。
箱根を走りたくても、走れなかった人もいるでしょう。シード権が欲しいと思っても、逃してしまったらいくら欲しくても手に入りません。「無理なもんは無理だよ」と、箱根駅伝とコマーシャルが気付かせてくれたような気がしました。
私は大学で教育実習に行った時に、これを仕事にできたらいいのかなと感じ、今日まで続けてきました。ここで一旦区切りをつけます。
担任業務、分掌業務、行事等、色々な経験をさせていただきました。
ありがとうございました。

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