【発達障害】だけど障害とは思っていない、本当の”障害”とは
私は医師にADHD•ASDと診断されています
世間でいう”発達障害”というカテゴリーに分類されるそうです( ¯∀¯ )ヘェー
以前の記事でも、自分は本当に「障害」とひとつも思っていません☆
というのは、
私の中に「無い」という意識が無い。笑
素の自分が欠けてると思わない
むしろ私はありのままの自分が大好きで
自分でよかったなぁ♪
こんな自分が好きだなぁ〜♪
なんて思ってきたし、今も発達天才とも思えるくらいなんです☆
人とは違った強みがあるしね 、それが自分が自分で最高と思うところでもあるしねꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)
だけど、過去に自分のことを
見下したり馬鹿にしてくる人もいました
特に小学校〜高校までの学生時代は
「天然」「まぬけ」「○○(私の名前)やしな」と
いじられキャラ・見下されポンコツキャラでした
事実私は…
・すぐ忘れる
・何をするのにも遅い
・文字は読めても聞こえても、話の内容意味が理解できず何度も聞き直したりしても分からない。
なのでどんどん相手がイライラしてくるので最終的には理解したフリをする
・女子同士の雑談やグループに付いていけず付いていくだけでも合図地を打つだけでも大変、仲間に入っていけない
・何を話したらいいか分からず必死に喋ろうと努力していた
・人の話が聞けない
人の話を聞こうとしても、すぐ違う事に意識がいく・すぐボーーっとしてしまい、意識がそこにいない
・マルチタスクが苦手でノートを書き写しながらも常に焦っている状態
それでも間に合わず消されて、友達のノートを借りる日々
・勉強したいと思ってもすぐに集中力きれて気づけばノートはラクガキだらけ
それで先生に頭叩かれた事がある
後はとにかく全てにおいて見よう見まねで(笑)
(ASDは視覚情報が強みなので☆)
特に大変だったのは運動会でした
中々順序等覚えられず、同級生を見よう見まね、いつもあせあせ
それでも私は根が真面目だったので常に必死でした
その時は心底自分が嫌で嫌でしょうがなく
誰も寄り添ってくれる人もおらず
私は学校でも一人でいる方が楽でした
でも一人でいると、孤立すると人の目線が冷たくなるのもわかっていました
なので誰もこない廊下の隅やトイレの中など
一人になっていたのですがたまにバレてエッ(;;°;ё;°;;)となり(笑)
人気を感じるとほっとはできず
常に誰か来ないか不安に脅かされていました
人のエネルギーにもかなり敏感な体質であり
本当に一人で静かに…が出来ず難しく。
それは現在もです。
(だから人気のない大自然が大好き☆)
…そんな私でしたが
自尊心だけは高かったんです。笑
=隠れ負けず嫌い
だから見下される事は私にとって本当にムカつく事でもあり(笑)
だからこそ、見せはしないけど何くそ根性と高い向上心だけで
自分を戒めるように努力して這い上がりました
その道のりは長かったけれど
でも人並みくらいになれることができて
私は世の中でいつ”普通”になるため努力し続けました
だけど本当の意味では普通にはなれない
いくらカモフラージュ出来たとしても
心の中の孤独感・人と違う感だけは絶対に消えてはくれない…
ありのままの自分を殺して生き
どれだけ人に合わせて頑張ろうが本質が人とは違うからこそ
そのズレだけは残ったように感じていました
そのズレが私にとって本当の意味での大きな障害。
“私は私”なんです
これだけは常に魂から思ってきました
魂からの強いメッセージだとも思う程です
そのズレというのは
酷く強い孤独として私の心を蝕んできました
一人になると、特に夕方〜深夜になると
胸に何本の刃が刺さっているような痛みと
呼吸が苦しくてしょうがないくらいの孤独を感じていました
もはや自分で自分をコントロールするのは不可能で
まるで夜になると自分の中に悪魔が襲いかかってくるよう。
とにかくそれを感じるのが嫌だから
人が苦手ながらに必死で人と繋がろうとしたんです
その当時は人と一緒である事・人といる事が私にとっての精神安定剤。
なので常に人に合わせて生きてきました
そしたら、他人の喜びが私の喜びになっていて
本当に自分が純粋に望んでいることが何も分からなくなったんです
アダルトチルドレンでもあった為、常に自分が我慢して人を怒らせないように
だから人の喜び=私の喜び
逆に人の怒り=私が悪い
と完全に思い込んで生きていたのです。
(今は自分を大切にしながら人に喜んで貰うことが大好き☆)
そうして私は私の存在価値を感じていました
人の喜び=私の存在価値
だから対1での接客業って、大いに人に尽くして喜んでもらえるから接客業でしか働きませんでした
※対1でも思ってないことは言えない性分なので営業職ではなく、純粋に至れり尽くせりができる職業
もちろん常に誰かに私を解ってほしい
本当の私を知って受け止めてほしい
常にそう強く思うからこそ
人間関係のトラブルも多かったのです
解ってくれない人に対して強く反応していました
…そんな私だったのですが、それは過去の私で。笑
この怒涛の4年、自己犠牲だとか無理して頑張るとか、無価値・罪悪感を洗いざらい浄化してきましたからね☆
だから今は「頑張る」を極力やめて自分を甘やかし
頑張らず「楽しむ」を選び続けています☆
本当に純粋に心が望んでいることだけ選択し
そうでないことはやめてきました☆社会で働くことも
(勇気がいることですが、純粋な自分になることや自分の喜びを追求して自分を生きる努力だけは惜しまない☆)
でも過去にそうやって苦しくても普通になろうと頑張って努力した自分もいるから、今色んな事が出来るようになったし強い自信と誇りに変わっているのでその過去の自分もとても大切で愛おしい私 。
そしてその時の自分に心底、感謝しているんです(ㅅ˘˘)♡*.+゜(ᴗ͈ ᴗ͈)❤︎ℓσνє♡
再誕!新しい本当の私爆誕!
今はそういった自分が忘れるとか言葉の理解が難しいとかの特性の部分については、何も自分が嫌だとも思わないし、
むしろ、「出来ないの?!」「前にも言ったんですけど?!」みたいな感情をぶつけてくる人に対しては、「あっこの人は世の中の”普通”という名の偏見を握りしめてる人なんだな」って逆に見るし、そしたら去るなり、本当のことを伝えたり、自分にとっての大切な事を軸に対応して
そうやって過ごしています。
大変ですがね、まだまだ理解が乏しい世の中…
※その為に一人一人の意識改革が必要だなと感じる
というか、多数派の人が作った”普通”があり溢れている社会
私はこの多数派の普通になる事ができない少数派の人のズレが真の障害の正体と思っているんです
100人いれば100通りの普通というのが存在するわけで
幸せの形も100人いれば100通り☆
だって私からしたら私の普通の当たり前があって
答えは常に自分の中にしかないんです☆
「私は私」って本当に最高〜♪♪
視覚障害(全盲)の息子を見ててもそう思うんですよ☆☆☆
とにかくずば抜けて明るくて陽気で軽やかな息子を見てると
「障害」って言葉を遣いたくないんですよ
だって障害っていう意識自体が
「無い・欠けてる」みたい意識なんですよ
こぉーなに楽しそうで喜びいっぱいに生きている息子を見てると誰しもが「障害って…???」って思うと思うんです☆
だって彼は目が見えないけれど
絶対音感があったり、他の全ての感覚が人並み以上に優れていて
しかも誰がどうこうは何ひとつなく純粋な自分の世界で生きてるんですよ。笑笑笑笑
母にもわからない息子の世界観。息子にしかない世界観。
それがすっごく面白い感性で、いつも「ほぉ〜〜( °◊° )」と驚かされて、クスッとなるような彼の世界観が大好きなんです♪♪
かなり陽気なお調子者なのでね☆
そしていつでもどこでも無邪気に声でかい。笑
そういう意味では本当に羨ましくって
私のお手本となる先生なんです☆
本当にそう思うのでたまに息子のことを
「○○○先生〜!!☆」と呼んでます笑
(本名)
だからこそ、私は彼が全盲ながらに自立していくサポートと、彼の心を守っていく役目があると感じていますヽ(`・ω・´)ゝ
そんな気持ちで、息子の目の事とASDのことに向き合ってきたし、これからもそうしていけたらと思っています
ということで今回は自分が思う「障害の正体」について表現してみました☆
今回も長くなったのに、
ここまで読んでくれたあなた
本当ありがとう〜ᐠ( ᐢᐤᐢ )ᐟ♪♪
最後、発達障害である私が好きな私の特性は
人にはない感性・感受性豊かな所
ぶっ飛んだ事・楽しいことだいすき☆
人と同じが嫌!!人と違う新しい事がしたい!
飽き性なんじゃなくて、いつも猛スピードで色んな新しいことをやってたい
直感で動く・やりたいと思ったらとにかくそのやりたい衝動が止まらない
楽しい事に対しての直感・インスピレーションがドバドバやってくる☆
頭の中に流れるBGMこリズムにのって動ける
人の話を聞かないし、自分のやり方がある!
人の心の痛みに寄り添いたい☆
本質が明るくて陽気でポジティブ☆
女だけどガハハと手をバンバン叩いて笑えるところ☆
人の感情が瞬時でわかるし、洞察力優れてる!!
興味のある事しかしたくない、興味のあることはとことん凄い勢いで突き詰める
そう思ったら、ただの発達天才だとおもいませんか??????☆☆☆笑笑笑笑笑笑笑笑笑
凹凸だからこそ得意苦手がはっきりしてるし
しかもこれからの時代って好きなことで生きていける時代がやってくるので
もう私にとっては無敵キャンディ食べたカービィ状態デスネ˙꒳˙)wwww
なぁーーんて☆
それでは本当さよーならぁ〜ᐠ( ᐢᐤᐢ )ᐟ
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