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何のために医療者は”観る”のか。

 観ることは重要である、と散々言ってきたが、そもそも何のためにこの作業を経るのか。ここを触れずして重要性を説いたり方法論を語るわけにはいくまい。

 観た先の、何を聞くか、どんな診察をするか、どんな検査をするか、はてはどんな治療をするか。あらゆる医療行為に関わってくる問題である。

 自分の中ではごくごくシンプルだと思っており、それは対象となる行為を行った際に「得られるもの」と行う「対価(リスク)」を天秤にかけ、得られるものが大きい場合にやるものだ、と考えている。

 医療は文脈依存性にベストな選択が変化していくので、万人によい医療行為というのは存在しない。

 『詳細に社会・家族歴を聞き出す』という病歴聴取を例に出してみよう。

 話を聞くだけなので、一見すると、患者さんに侵襲なく、いつもやればいいじゃないという気もする。だがシチュエーションが、

30代男性 昨日から具合が悪い。救急外来では血圧も下がって、脈も早い、息も絶え絶えになってきた。

 だったらどうだろうか。 

 そんな場合は話を聞くのもそこそこに(もしくは行わずに)まずはVital signの安定化を目指すだろう(もしくは乱れている理由を探るための情報収集を診察や検査を絞って行う)。ではVital signが不安定であれば話を聞くのなんて不要で、どんどん診療を進めていけばよいのだろうか?

60歳女性 膵癌末期。化学療法の副作用が強く、1ヶ月前に投薬を中止し、痛みなど苦痛症状の緩和を中心とした方針に切り替えていた。昨日から血圧が徐々に低下しているが疎通は取れるが、不安そうな表情である

 こんな状況であれば、ベッドサイドに座って静かに患者さんの言葉に耳を傾けたくなるのではないか。

 極端な例を提示したがこんな風に、一概のことなどは言えない。その特徴のみならず、あくまで文脈依存性に診療行為は決まっていくのだ。

 ただ”観る”をはじめとした侵襲性がない病歴聴取や診察は実に有益であり行為を行う閾値をぐっと下げてくれるのは間違いない。そのため、これらの技術をうまく活用することで余計な検査や治療を省くことが出来る可能性がある。

(一説によると病歴・診察で9割の診断がつくとされている)

 そのため、観察(ある意味では視診という診察手技)や病歴聴取を学んでいくときの上達の(かつ迷走しないための)ポイントを2つ上げるとするとこんな感じだろうか。

・緊急度/重大性の高い疾患に関連する手法から学んでいく
(以降は高頻度、治療可能などの視点でやるとわかりやすい)。
・その観る、聞く、診察するの結果それぞれ出る場合に自分の中で診断に至るプロセスにどれくらい影響があるかを常に意識しておく。

 ”診察オタク”は危険な落とし穴だ。診察は奥が深く、学び始めると途方もない世界である。例えば自分しか知らない、他人に出来ない(再現性のない)診察を過信してはいけないと思う。もちろんそういった学習も好奇心を満たしモチベーションを上げてくれることも否定はしない。でもまずは順番としては、誰にでも取ることが出来る、解釈の容易な、重要な疾患に関わる所見からであろう。

First,Do no harm 患者に害を及ぼしてはいけない
ヒポクラテスの誓い

の精神があるが、実にそのとおりで自分の診察を過信し、必要な検査を実施しないことは避けたいところである。


意識さえすれば、緊急性/重大性を意識しながらの最初の診察が身につくのにはそれほど時間は要しないと思う(数年だろうか?)。それ以降は、患者さんのためになる、と思ったらどんどん好奇心をもって進めていけば善いと思う。医療行為としての”観る”ことの利点・得られるものとしては共通して言えることは、まずはこんなことだろうか。

* 患者コミュニケーション、関係の向上
* 無侵襲、無コスト

あとは、各論でこんな所見がこんな時に、この診療に役立つといった小さな気づきを積み上げていくしか無いだろうな。


これから頑張って、本当に役立つ”観る技術”を整理・発見していこうと思う。なお、観るというのは前記事でも上げたが知覚+認知の両ステップを指しており、”何を”みるかだけでなく、如何に考えながら見るか、五感を通じた事象の捉え方や思考方法も触れていきたい。

 私のnoteに限らず、結局、技能を習得するということは今の知識・技能の自分を生涯に渡って磨きつづけていくしか無いと思う。視覚情報というものと取り組む大枠の方法を読者の皆様があなたなりに身に着けて、持ち帰った分野の詳しい知識を新しいSkillde随時吸収していく、そんなきっかけになれればこんなに嬉しい事は無い。


余談

昔とあるゲームクリエーターが言っていたことを引用します。
(作品をつくるための過程としての例えなのですが)

 シナリオの煮込みは、お鍋に似ています。鍋の中に、どんどん具を放り込み、コトコトと煮込む。串が通るくらいに柔らかくなってきたら、それをストーリーの順番に串刺しにしていく。もちろん、実際の鍋の具と同じで、すぐに煮えて柔らかくなる具もあれば、なかなか煮えない手ごわい具もあります。また、いかにも鍋である定番な具もあれば、これはいくらなんでも禁止だろう!というような闇鍋的な具もあります。とにかく鍋に何でもかんでもポイポイ放り込み、グツグツ煮込む。不適当な具は、すくって捨てればいいだけの話なので、とにかく恐れずにポイポイと具を放り込んでいきます。
 なかなか煮えないけど、きっとおいしくなりそうな具もあれば、妙な煮汁で鍋全体を狂わせてしまい、早めに取り除いた方がいい具もあります。
その塩梅を見るのが、プロット作りのコツのように思っています。

 面白くて気にいっている比喩なのです。
 これを自分なりに言い換えるとこんな感じでしょうか。

 技術の習得は、お鍋に似ています。鍋の中に、どんどん見聞きした技を放り込み、コトコトと煮込む。串が通るくらいに柔らかくなってきたら(慣れてきたら)、それを自分がルーチンでやる診察セットの串に刺していく。もちろん、実際の鍋の具と同じで、すぐに煮えて柔らかくなる具もあれば、なかなか煮えない(理解・習得するのに時間のかかる)手ごわい具もあります。また、いかにも鍋である定番な具もあれば、これはいくらなんでも禁止だろう!というような闇鍋的な具もあります。とにかく鍋に何でもかんでもポイポイ放り込み、グツグツ煮込んで吟味してみる。不適当な具は、すくって捨てればいい(実際に使用しなくなるだけ)だけの話なので、とにかく恐れずにポイポイと具を放り込んでいきます。
 なかなか煮えないけど、きっとおいしくなりそうな具もあれば、妙な煮汁で鍋全体を狂わせてしまい、早めに取り除いた方がいい具もあります。
 そんな絶妙な塩梅を見ながら行うのが、技術を習得するコツのように思っています。


余談2;

 個人的には仕事や家庭環境などのストレス因子などは聞くことはあるが、特に初診の際にあっては聞くための優先度はかなり下げている(入院させるかどうかの判断を下すために同居人などを聞くことは多いが)。大抵の人には多少の問題があるが、それが目の前の症状と関連があるかは証明の手立てがない。如何に疑わしい情報があってもだ。

 すべての精神疾患はまず器質的な疾患の除外を行ってから初めて考えるべきものです。そうでなければ治療のアプローチも変わってくるし、基本的に精神科疾患は長期戦です。一度心因性などの診断がついてから再度全身検索を行われるのは、現状ではかなり難しいと感じている。



まだまだコンテンツも未熟ですが応援して頂けるとすっごい励みになります!