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何故人は推し事をするのか

最近、初めて担降りというものを経験した(画像の推しとは別の推しである)。グッズまで買った推しを見なくなるのは初めてだ。そこで私は思った。何故人は推し事をするのか。

推し事について

そもそも推し事とは何なのか。お金を貢いだら推し事なのか。グッズを買えば推し事なのか。そうではないと私は考える。私の場合は推していたのが配信者だった。ならば配信を見る、Twitterでいいねを押す、等、他にもあると考えられる。私は推し事を、「推しに関するポジティブな行動」と定義することにした。

推し事をする理由

推し事が楽しい

まず一番は、これだと思う。他に理由があるにしろ、最初の取っ掛かりはこれなのだ。配信を見るのが楽しいから。その人の曲が好きだから。そのキャラクターをみると幸せだから。推しが二次元、三次元を問わず、この理由は必然だと考えられる。グッズを買うのも、手元にグッズがあるという状況が幸せを生むから。推し事が楽しいと思えなくなったとき、私は一旦その界隈から離れるべきだと考える。義務感だけで推す状況は、時に害悪と呼ばれる行動を産む。

推しに幸せを感じてほしい

これは三次元に推しがいる場合に限定されるが、自分の貢いだお金が巡り巡って推しの食費になるという考え方もある。自分の投げたスパチャで美味しいご飯を食べてほしい。いいねが増えることで推しに幸せを感じてほしい。これも行き過ぎると歪んだ愛を生む危険な考え方ではあるが、よくある動悸だと思う。

推しに愛を伝えたい

リプライやコメントに関しては、これが最も大きいのではないかと思う。自分はこんなにも推しが好きだと伝えたい。それをコメントの多さやスパチャの金額で表現する。手紙を渡すなどの行為もこの感情に基づくだろう。

自己満足

そして最後。夢のない話だとは思うが、結局これである。自己満足を動機とする推し事は、推せば推すほど加速する。痛バや祭壇と呼ばれる文化も、それを持っている自分自身に優越感や幸せを感じている。「恋に恋する」と似たような感じかもしれない。恋してる自分が好きであったり、周りからそれを受け入れてもらうことで承認要求を満たしたりしている。グッズを買うだけ買って開封しないことがある。それも、買ったという事実に満足しているからである。

推し事は無理してまでするものではない。担降りして客観的に自分を見ることでそう思った。


初めてのnote。これでいいのか。

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