本当のお父さん
児童虐待事件のニュースがでるたび、いろいろ考えさせられる。
継父の場合、虐待になることが多いとか。
でも、実父でも、虐待してる事件もあったりする。
継父と子との関わり方。
「本当のお父さんじゃない」といわれて、複雑な気持ちになるとか。プレッシャーやストレス、お父さんらしくならなきゃ、お父さんと認めさせなきゃみたいな気持ちが、堅く真面目な人ほど、強くなるのかも。
我が家でも、そんな間の悪い嫌な場面が、最初あった。
最初はどうしたものかな?と、
深い考えなしに、感情のまま、そんな言葉をはく五歳の娘をみてて、思ってた。
けれども、なん回目かには、
継父を凌駕する実母の気迫で、
「そんなの関係ない‼️
とにかく、お父さんは、お父さんなんだ‼️」
「いま、あなたのこと一生懸命面倒みて、働いて、あなたのために精一杯やってくれてるのは、この目の前の人だ。それが、お父さんだ」
と、それ以上でも以下でもない論理で、言いつづける。
もちろん、それは、家庭ごとの、家族関係(実父と子供の仲が良好だった。子供の年齢も小学校より上とこ、さまざま)によって、
デリケートかもしれませんが。
私の場合、私のこどもは、実父と暮らした記憶が皆無である。0才時のころから、半別居状態だったし、1才になるころには、完全別居。1才半年ころ、両親が離婚。
だから、面会日の数回しか、本当の実父をしらない。2ヶ月に一度で、しかも会ったときも、なんか嫌な印象をもったようだった。
そして、最後に面会したのが、5才になりたてくらい。それ以来、面会していない。
継父と一番最初に会ったのが、四才のときで、それからずっとあちらこちらにみんなで出かけ、
5才のときに再婚し、父親となった。
まだ、お父さんとはときどきしか呼ばないし、
私がニックネームで呼ぶから、
子供もニックネームで呼んでいる。
なので、上記のような論理で、通じてるのかも。
ステップファミリーをやりはじめて感じることは、
本来、「本当のお父さん」ってことば自体が、
自己矛盾をはらんでるということ。
だって、本来は、子供は肉親=親を選べないものだ。それこそ、暴力的なまでの絶対条件である。
最初から親は親であり、偽物とか、本物とかもないし、そもそも、それを疑うこともない。
そこで、
あえて「本当のお父さん」「本当のお母さん」ということや、いや、そうじゃないお父さんとお母さんとは?とか、
考えて、
意識的に家族を作っていくのが、
ステップファミリーなのだと思いはじめた。
結局、家族は、血縁というより、
生活の仲間や、助け合い共同体みたいなものかなと、この頃はおもう。
そういうことやってると、空気自体がどんどん家族のものになっていく。
現夫も、最初はストレスや葛藤もあったみたいだけど、この頃は板についてきた。自分のキャラクターのままで、お父さんしてると、みてても感じる。
こうやって、家族になっていくんだなぁとおもう。
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