Something will come, something has gone,and all I have to do is think of her

1月が長い1月はひどい1月がきついその1月がやっと終わったはず…なのに僕の中でまだ1月は続いている。

2月は1月のインパクトに吸収された。こんな経験ない。バグじゃないのか?この時系列解析はあまりにも今までと違う。交差して起こりうるだろうとしてやはり起こった忌まわしいもの、俺の時間を今すぐ壊したい…こんなつもりじゃなかったさ

80年代の紙切れは貴重

さて僕が厨房の時の最初期ライブ観戦はこのアナーキーインすみや、これはすごかった!当時のすみやと言えば、静岡では文化的なマーケットの柱ですよ。80年代のサブカル、80年代のオーディオ機器!若者にとっては夢のような時空間と言っても過言ではなかった(例えばSONY 初代Walkman発売、古いね!)その電化製品、オーディオ&レコードショップの本店2階あたりに小さなライブ会場があって、そこで僕が今記憶してるのは、このアナーキーライブ、とか、無料フィルムコンサートもあった、(ザ・クラッシュのRUDE BOY(字幕無し)土砂降りの雨の中を部活の途中草薙運動場からチャリで見に行った、渋谷陽一の公開DJラジオ、(R.ミュージックのmore than thisをかけて感激したの覚えてる、)そのくらいかな、あと頻繁に委託中古レコード市みたいなものやっていた。
話を戻してアナーキーライブ、これは怖かった!
まずお店の自転車置き場には普段はない、暴走族のバイクが数台並んでいてドカちゃん兄いの輩が溜まってる‼︎早めに会場に友達と僕は入ると眉毛剃ってるこわーい兄貴がさっそく近づいてきたので、めをそらして端っこに座る。すると1人のあんちゃんが、『オラァオメェが嫌いだ、何しにきた〜』いきなりだよ!うわ〜と思ってしかし完全に俺たちの方が小僧、何、年下にケンカ売ってんだろと思うことで我慢して無視してたら、仲間の誰かが、『オイ、やめとけ』って引き留めの別の兄ぃでとりあえず助けられたが、タハ〜って感じでしたよ!もう!というか、周り見渡すとオーディエンス全てがドカちゃんズ‼︎‼︎ やべえとこに、これじゃ飛んで火にいる夏の虫だろ!と焦ってる間にバンドメンバー登場すると大騒ぎ、MCなしで演奏始まると会場モロモッシュ!というかケンカが勃発!1、2曲終わった時に中野しげるが、客に喝を入れて怒って、絶対ケンカすんな!って怒鳴ってたすぐさま演奏始まるところがカッコいいだけど、また喧嘩始まってて、今度ばかりは演奏中断して、激しく叱ってた!それからまた演奏続くとまた馬鹿どもが喧嘩始まってて…
何とそこで仲野しげるが、もうやらん!と言ってライブ中止!確か20分もやってないでないかな?うわーすげぇ!走って帰りました!

S-KEN LIVE at サーカスタウン
静岡市繁華街の地下にある小さなライブハウスで僕はいくつかの現役東京ロッカーズを初めて観た貴重な場所、このS-KENとジムノペディアをリリースしてばかりのLIZARDのライブの回想。
LIZARDは3ピースで音はシンプルでタイト、重厚な音ではなくギターはドライなフェンダーギターの太くていい音が生々しくかっこよかったのを覚えてる。MCもあったのか?記憶がない。モモヨは前髪が長く表情も見えず淡々と、どこの箱でもこんな感じでこなしてるのかなぁという印象。
バンドのパフォーマンスは地味だったけどバンドサウンドが生々しくてそういうストイックなものがかえって目立ってた。別の日にS-KENを観た。彼は本当に記憶にないくらい曲がつまらなかった。しかし彼の歌はとても一生懸命に自分の世界を作り上げ上手く歌い手振り足振りでポケットのコインをじゃらじゃら落としながら顔は汗ばんでいた。友達と僕は、終わった後も彼を眺めていた。地元のミニコミ誌のインタビューを受けてる時に、S-KENは僕に突然声をかけてくれた。僕はとても恥ずかしくて何も答えられなかった。その時に彼は、君も、バンドやるんだろ!やれよ!きっといいよ!みたいな事言われてちょーはずかしかったのを覚えてる、ニキビ面の中坊。
サーカスタウンは僕らローカルバンドはみんな知ってる特別な場所の一つでもう一つはアブラダカタブラって喫茶店だった。豚の頭を投げるのをやめた頃のスターリンもこのライブハウスに来た。あの時も異様な雰囲気で、常軌を逸してるファンが繁華街に集まっていた。もはや怖いというよりまるで映画のワンシーン、ライブハウスの前ではジャンキーが集まって騒いでる、街の人々は怖がっていたのは一目瞭然(そういえば別の話ですがスターリン親衛隊まではいかぬとも、僕らバンドのスタジオの帰りなど、ギターソフトケースを背負ってシャツをズボンから出して街を歩いてると、まぁ大抵タバコ吸いながらだけど、対面の人は不思議にみんなどいて道をあけてくれた。ロックキッズがまだ不良の特許があったギリギリの時代だった。)
で、ライブの内容自体は割愛させてもらいますがだいたい予想通りです。僕ら友達3人で体験したぎゅうぎゅうスタンディングのライブはほとんど演奏してるメンバーが見えなくて全く身動きとれなかった。が、ごちゃごちゃの中で1人の僕の友達が後ろでめちゃんこ誰かに殴られたと。本当に殺気立ってたよ。この頃のインディーズパンクはとにかくスターリンが筆頭に人気あったな、雑誌のドールの新譜広告トラッシュ発売の当日、電話かけてオーダーしたかったが電話繋がらない繋がらない。

スターリンの半チケは捨てたけどインゴのフライヤーはあった

ミチロウのあのメイクは憧れたさ、何か強そうだったし、だからあれで首から下はバカボンのパパ(これだけで最強だろ)プラス腕時計何個かと、デカい腰ベルトになるくらいの時計をはらに巻いた(そもそも時計集めるのがは好きだった)コスチュームは僕の発案したzin~sayの時のステージ衣装。石野はそんな僕を見て大笑いしたけど、今までclashとかニューヨークパンク好きな奴が突然変身したもんだから、無理ないか。僕はまんざら楽しんでいたよ。理由ある、本当に気が小さくて人前で歌うとか人の前に立って何かするなんて正気の沙汰ではない僕はこれならやれると思ったんだ。ドーラン顔に塗るのも楽しかったしごまかしさ。そもそもパンクの洗礼を受けたなら自分だってロックのオリジナルを作りたい、しかしできっこない。真似っこ(コピー)するのだって難しい。石野のアイディンティティーを共用したよ。話がそれた(続く)。