「エシカル消費」をご存知ですか?

「エシカル消費」をご存知ですか?

ざっくりいいますと、「エシカル消費」とは、普段の買い物を「未来への投票」と捉え、未来のことを考えて頑張っている事業者を応援して、気持ちよくお金を払って、買って、育てていこうということです。

よく「消費者目線」という言葉がありますが、これまでは「品質」「安全」「価格」の3つの視点で、モノやサービスを選んできましたが、4つ目の視点が「エシカル=倫理」です。

なぜ今、持続可能ではない社会になっているのかといえば、行き過ぎたグローバルにより人々の貴重な時間と富が「ビジネス学」という名のピラミッドシステムで一部の富裕層にどんどん搾取され、地域にお金が回っていないからと言われています。

本来、経済は「経世済民(けいせいさいみん)」といい、「生産=所得=支出※」これらが地域から漏れ出さず、ほどよく回っていればよいだけの話です。

ですが、ある日「時は金なりですよ。もっと稼ぎましょう」とほのめかす人がやってきて、「老後を生きるには2000万円必要ですよ」と不安も焦ります。
それを真に受けた人は「確かにそうだ」と思いますし、時間を工面して、友人や家族との楽しいおしゃべりの時間も犠牲にして働き出します。また、それを見た周囲の人も焦りを感じて働き出し、次々と伝染していきます。
こうして土壌ができ、強引に働かせたらこっちのもの。あとは競わせるだけ競わせ、買い叩き、ゆっくりと健康を損なわすようなことをして、地球をも壊しながら、自分の利益に変えていけばよいのです。

労働の搾取という言葉がありますが、世界全体を見渡せば、それを露骨にしているところもあります。典型的な例では、ある国の子どもは、親にディスカウントショップで格安のサッカーボールを買ってもらい、学校が終わってから友達と楽しく遊びました。一方、ある国の子どもは、親が出稼ぎに行くくらい貧しい家庭に生まれ、少しでも家庭を支えようと、学校にも行かずに二束三文のサッカーボールを作っています。

こういったことに加担するのはやめようっていうのが「エシカル消費」です。

1973年の児童小説「MOMO」を読んだことがある人なら分かると思いますが、「時間貯蓄銀行」からナマリ色のスーツ・帽子・カバンという格好の“灰色の男達”がやってくるという話。今ならその意味が理解できると思います。

※人々は日々の暮らしの中で、「生産」(モノやサービスを提供)して、「所得」(付加価値・分配)を得て、「支出」(消費するか投資するか)しています。これらが地域から漏れ出さずにグルグルまわることをGDP(国内総生産)といいます。内需を拡大させて成長させることが経済発展の基本中の基本です。ですが、今の日本はなぜか、この基本的なことを政府もマスコミも主流の学者も言いませんし、昔は普通に使われていた「内需拡大」という言葉さえ、封じられているように思えます。

※あわせて、通貨発行権の重要性も伝えないために、日本には“円”という自国立て通貨があるにもかかわらず、「国の借金」という誤った表現が普通に使われたりしています。株式会社日本銀行が、政府の連結子会社だとするならば、国民が苦しいときはお金を刷ればよいのです。デフレギャップの範囲内なら破綻することもありませんし、そもそも日本はこの20年以上デフレです。問題があるとすれば、お金が海外に漏れ出していることが常態化していることと、利子がつくということです。

※実は海外でも同じ疑問に気付いた地域があり、対策を実践したところがあります。アメリカで人口5万人のイサカ市です。イサカ市に住む住民が、アメリカの連邦準備制度が発行する“ドル”を使えば使うほど一部の資本家に利益を吸いとられ、地域にとって何の役にも立たないということを見抜き、住民で組織をつくり、地域通貨「イサカアワー」を発行しました。個人だけでなく、企業も400社が参加し、地元の銀行である「オルタナティブ・クレジット・ユニオン銀行」も窓口で積極的にこの地域通貨を取り扱いました。この地域紙幣は、みんなが日常生活でさっさと使い切るので、すぐに手元にもどってきます。

通貨発行の条件は次のとおりです。
①新しくメンバーが増えたとき
②メンバーがローンを申請したとき
③メンバーが非営利団体に寄付したとき

通貨には利子がつかないので絶えず循環して、たった800万円発行しただけでも、2億円以上の経済的効果がありました。これにより、行政も「地域通貨は地域経済を支えるもの」と認識しました。
また、地域には安全な有機野菜が自慢の「ナローブリッジ農場」があり、イサカアワーでの出資を受け入れ、住民が農家に先払いするというサポートシステムを構築し、農場経営を支えるとともに、余計な農薬や遺伝子組み換えの影響を受けていない農作物を得ることができるため、生きていく上で一番大切な食の安全と自らの健康を守っています。
シンプルな生活で上質な人生。一人一人の大切な時間が搾取されることなく、毎日楽しく豊かに暮らせる社会。これが持続可能な社会であり、自然環境の上に経済が乗って循環する“地域循環共生圏”の根幹です。

さて、日本に話を戻すと、1970年以降、日本の消費活動は、その価値観をガラッと変えました。

どう変わったか、まだ産まれてなかった人にはピンと来ないかもしれませんが、そのあたりにあった「ある国際的なイベント」に起因していると思われます。それは、東京オリンピック、大阪万博。

このビッグな国際イベントは、世界の一員として、「これから日本は世界でやっていきます。頑張りますのでよろしくお願いします!」という決意表明の意味合いもありますし、同時にそれは「世界のみなさんを日本にお迎えし、“お・も・て・な・し”します!」と表明したことになります。つまり、「これから日本を世界のみなさんの経済活動の場として提供します」ということでもあるのです。

すると、すぐに入ってきました。ハンバーガーショップの日本1号店やフライドチキン屋さん。みんな珍しいので飛び付きました。それを煽ったのは何でしょう。テレビのコマーシャルです。娯楽の少なかった時代。テレビや新聞の影響力は絶大でした。
ただ、日本の技術力や生産供給能力は圧倒的で、海外のどの製品よりも優良なものを作り上げることに長け、少々、外から企業が来たくらいでは揺らぎませんでした。ですが、時は経ち、日本企業がグローバルを合言葉に、日本にあった生産拠点まで海外に移すことが加速すると、GDPの「生産」部分が海外に漏れ出し、日本は弱っていきます。これまで築き上げてきた日本人の“総中流階級社会”は崩れ去ります。
そして、ふと気付くのです。「今のコマーシャル。いつの間にか外資系ばかりになっている」ことを。さらに、1970年までは国内で生産されたものを買うのが普通で、しかも近所で作られたものや近所で採れたものを日常的に買っていたのに、今では世界各国からの輸入品ばかりを買っています。遠方から買えば買うほど、お金は地域から流出し、あわせて車や船、飛行機などで燃料を燃やしながら輸送するので、地球環境を悪化させます。食糧調達でよくいわれるフードマイレージです。

一般的にテレビや新聞は「報道」と「広告」は切り離されていると思われがちですが、必ずしもそうではありません。広告収入や株主からの投資があって、ようやく運営が成り立っているのです。なので、スポンサーや大株主に不都合なことは伝えにくいでしょうし、逆にスポンサーに都合の良いニュースは積極的に伝えます。「報道の自由」とよく言いますが、その中には「報道しない自由」も含まれます。“事実”を積み重ねることが、必ずしも“真実”ではないのです。つまり提示する事実(エビデンス)を選ぶだけで、世論や消費者を誘導することも可能であり、大株主やスポンサーからのお金次第ともいえるでしょう。

最近では、「広告」とは無縁と思われる日本の国営放送でさえ、2009年あたりから民放との横並びがきつくなっています。記者クラブに加盟している報道機関は「特オチ」(特ダネの逆で、横並びで報道するような事件事故を一社だけ報道しなかったこと)を一番恐れますし、その「恐れ」とは、結局、大株主やスポンサー組織からの圧力なのでしょう。
アメリカでは、昔は50社あったメディアが買収と統合が繰り返され、10年くらい前には、実質5社程度になっています。これに“垂直統合”という企業のグループ化がなされ、金融・生産・流通・宣伝・販売が強固なものになっています。さらに企業関係者が、議員や政府、地方自治体の職員、諮問会議の委員等になって入り込めば、内部からも企業に都合の良い規制緩和を進めることも可能です。
これは日本も例外ではありません。グローバルの波に乗る形で、M&Aが積極的に行われ、ホールディング化されているのも事実です。

これだけ情報が溢れていると、自分で取捨選択するのは大変ですし、ついつい新聞やテレビのニュースが提示する情報だけを鵜呑みにしがちです。ですが、今と昔は違うということを認識して、惑わされることなく、「日本の未来のため」せめて地域のためにお金を使いましょう。