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争いがない世界にするには。人はどうしたら本心で生きられるのか?

こんばんは!今日は、これからの新しい社会では自分はどう生きたいのか?自分自身が本心で自由に生きるための社会それを支配者の手によって新たに作られないために、個人個人がしっかり考える必要があるので皆さんも一緒に考えていただければと思います。

まずは今までの社会の中においての、人間の心理から紐といて行くことも重要です。こんな社会にしたい!などの前向きな部分というのは想像しやすいのですが、自分自身で新しい社会のあり方や人間の心理を考えていたところ、もっと人間の根幹的な重要な意識の部分に目を向けていくことも必要なのでは思ったのでした。人間の心理を改めて知っていくということ。心理の根本と向き合ってみましょう( ^ω^ ) 心理の記事ですから、読んでて飽きるかもしれませんが、重要なことなので気分が乗ったときにでも読んでみてください。


自分や家族が本心で生きられる社会にするにはどういう考え方を持っていたら良いのか。考え方は一人一人魂も性格も違いますし、何が幸せなのかも全員違うと思いますから、この記事を読みつつ各々がこうありたいという社会を想像してみてください。


前回の記事で「時代を乗り越えるために、自分に何ができるのか?」というテーマでコミュニティの形についてお話ししました。下の記事ですね!

せっかく地球の転換期でひっくり返るなら、この際だからそういった人間の概念もガラっと変えてみたら良いのではないでしょうか?と思うのです。もう争いの社会、人生に勝手に偏差値がつくような、査定される世の中は終わりにしたいじゃないですか( ^ω^ ) 表面的なことだけで判断されてはたまりません(⌒-⌒; )

以前、金星の改革についての記事も書きました。何度かリンクを貼ったのですが、地球上で前例がないことが起きようとしている今、金星がいかにして立ち直ったのか、他の星はどうだったのか?を、今こそ知ってみても良いと思うので、再度貼っておきます。

もし、お金も何もない状態で自分たちの願う幸せな暮らしを再スタートをすることになったら、どうやって展開していくのだろうか?という記事も書いてますので、参考にしてみてください。お金のいらない暮らしってどういう感じなのか。

縄文回帰することを考えた場合、どういった社会の構成にしていったら良いのか?ということも重要になります。イメージの概略は下の記事にも書きましたので参考にどうぞ☆


本編に入る前に予習的な感じで色々記事を貼りました。この先の未来を想像してみた上で、更に人間の心理について深掘りしたかったのです( ´∀`)



人が本心で生きるために、まずは理解しておくこと。

正義とは

地球上では、小さな争いから大きな争い、戦争までたくさん経験してきました。争うというのはお互いの正義がぶつかることで起きます

そもそもどちらが正しい、間違っているという概念は、人間の概念が作り出したもの。正義というのは、立場によって違うものなので、意見が違って当然のことなのは皆わかっていると思うのですが、それを忘れているか、もしくは立場の違いから自分や自分の大切な人を守るために誰かを責めてしまったりしているといっても良いでしょう。


争いのない世界にするには

争いがないという状況は「人と人との間柄」の関係性が安定するということです。

現状の世界では、人と仲良くありたいと思いながらも、「悪いことをしたら責められたり、罰せられたりするのは当然だ」としていることに何の矛盾も感じていないのです。

人を責めたり、罰したり、紛争、貧困や差別、優越感、劣等感などは心地よい状態ではないですよね。

そもそも、誰もが望む心地よい人間関係であれば、紛争や貧困などは起こらないと思います。 現状は、自分が本来望んでいる人間関係を押し殺している状態だと思って良いでしょう。(と書きましたが、そうだっけ?という感覚だと思います(^・^))

人が争う原因とは、「人が人を動かそうとしたり、やらせたり、やめさせたりなどの強制や束縛が原因」です。

そして、多くの人が、義務や罰則がないと社会が無秩序で混乱して成り立たないと思っているということ。強制や束縛がないのは自由だけども、社会の秩序を守るためには義務や罰則が必要だと思っている(そう言われると心当たりがありませんか?)

どうして、人にやらせたり、やめさせたりするのでしょうか

人間も動物的な性質で、攻撃をされたら逃げたり、攻撃し返す習性があります。自分の身を守るために常に警戒している状態です。

現在は、叱ったり、命令したり、精神的な力を使っているのが「教育」や「しつけ」だと言われています。そして、一般的には、躾や教育、規則、約束などを教えるだけでなく、その通りにやらなければ意味がないとされているから、その通りに「やらせる・やめさせる」という力が必要になってきています。

そういった子供の頃からの心理的圧迫の積み重ねがあって、段々と大人になってきても、表面化しない内面で、精神状態や、心の豊かさ、人格形成に大きく影響していきます。もはやそれが当たり前の世界だったと言ってもいいですね。

心理的圧迫の中で育ってきた人々は、常に強迫観念が付き纏っています。強迫観念とは、圧迫がない状態でも、不快や不安な気持ちを持ち続けていると言うこと。例えば、やらなければならないと思っていたり、やらないと責められると思っていたり、人が人に対して無防備でいられない状態が継続している感じです。

「人間は人間を警戒して、身構えるべき存在だと思っている。」と言うことをまず知らなければならないということ。というか皆さんそんなことは気付いているのだけど、なぜそうなのか?までは、考えつかなかったと思います。

そうして「やりなさい、やらなければならない」と言われ続けてやってきたことも、実は自分の中で「やらなければならない」という認識ができてくるので、「自分の意思」でやるようになりますその気持ちは強迫観念がベースになってできた自発的服従というものです

自分でも思いますが、暮らしや、学校時代の規則、どこにいっても規則の中で暮らすことに慣れていて、自発的服従という状態はなんとなくわかります。皆さんも、本当に本心のまま暮らしているか?と思えばそうでもないのかも?とは想像つくと思うのですがいかがでしょうか(^.^)

どうしても今までの社会の環境の中で暮らしていくには「やらなければならない」が身について順応してしまうものです。自発的であるが故に「やらなければならない」と服従している認識が無いのです。もちろんそれは、自分を守るために順応したわけですが、本当にそれが自分の本心であるかをこうやって考えてみると別のところにあるような気がしませんか?

そもそもそういったルールに強いられてきた暮らしの中で、本当に自分の意思でやっているのか?という疑問すら出てきます。

人に対して「やらなければならない」ということを強要するのは、自分に対しても、「やらなければならない」を強いている人です。そして、「やらない人」に対して危険だと思っているということ。例えばマスクもそうですね!このご時世、マスクをしない人は危険だと思っているということ。それも社会的な心理圧迫によって発生したものですよね(^。^) 感染予防のためにマスクをするかしないかは本来自由なはずなのですが、マスク警察なるものが出てきたりするのは強迫観念から来る自分を守るためという大義だと思います。そう考えると「自分を守るために」人に強いる状況も生まれているということはよくわかると思います。


自分を守るための攻撃

自分を守るために、腹を立てたり、威張ったり、責めたり、咎めたり、批難したり、命令したりすることで自分を正当化することは「危険 守る 攻撃」の要素で出来上がっています。人によっては被害を受けている側という認識が強いので攻撃している自覚が無い場合もあります。


そこから、守り合いの攻撃に発展

その「やらなければならない、やってはいけない」と社会的環境に強いられている状況で、順応出来なくなった場合どうなるのか?といえば、自分を守るために逃げるか攻撃するしかないわけです。

そして、攻撃されたら、その人に対して危険を感じるので、義務や責任を強制して、反発する人を取り締まろうとします。

お互いに「危険 守る 攻撃する」が発動して繰り返してしまいます。これが極端になると、戦争という形になるでしょう。

なぜ人が攻撃をするのかと考えると、思い通りにならないから自分が侵されていると感じている。不愉快な感情が元になっているから、やらせたり、やめさせようとしたりすることで自分を守ります。

変革時期の初期段階において、はい!意識を切り替えましょう!というのは難しいと思います。安心した暮らしを組み立てていく中で、意識が自然と切り変われると良いのだろうと思います。


社会においての主従関係

現状では、社会でも、会社でも、互いの立場に上下関係をつけて「人を使う」とか「やらせる」シーンが多いですよね。立場に上下があることで、命令や、もしくはやらせる状況を作ってコントロールしようとすることが多々あると思います。

でも本来、人間には意思や欲求があるので、その欲求からの行動が、仕事や社会や組織の役に立てることがベストだと思います。

これだけ読んでも、じゃあいったいどうやったらそんな社会が作れるの?!という感覚は拭えない感じです。そういう時は縄文時代の暮らしについて思い浮かべてみると良いかもしれません。


資するということ

そもそも、家庭でお母さんが炊事や洗濯をするのは、誰かから何かを得るためではないですよね?「より良く暮らししたい」「家族と協力したい」という、自分の意思と愛と欲求からくる自発的な行動です。

人は生まれた時は何もできないのですから、人からの行為(愛)を受けて育ちます。赤ちゃんに対する意思や想いは、決して何かを得るために感じているものではないはずです。

現状では「ものを得るための行為」や「必要な事柄をこなす行為」という感覚が当たり前になっていて、「人に資する行為(役に立つ・貢献する)」ということを忘れている場合が多いです。行動に心が伴わないというのでしょうか。

私たちは生まれてから、周りの人からの資する行為(愛)を受けて育っています。その行為(愛)を受けることで「幸せ」な感覚を知るのだから、こうしたもらえてたらいいなぁ等の「人に求める」欲求がでてきます。

誰かが何かをしてくれることを知らないのであれば、そもそも人には求めないでしょうから、やはり、周りからの行為を受けて育ってきたというのが欲求に出ているということになります。

そしてその子供の頃に、受けた行為(愛)で心が満たされていると、誰かに貢献したくなるもので、与える側になりたくなるもの。そう考えると、心が満たされた状態で育つことはとても重要だと気付きますよね!(愛を与え合うの連鎖が起きます)

人は物質があれば、肉体的に成長することができます。でもそれだけでは人としては成長しないし、そこにはしっかりとした意志が伴った行為(愛)を受けることが必要になるでしょう。

義務や責任や損得勘定に縛られたような行為を受けていては、人としての成長はおぼつかないことになります。心当たりがありませんか?学校の教育はどんな感じでしょうか? もちろん愛を持って頑張って資する先生もいらっしゃると思うのですが、結局組織の中で「やらなければならない」「やめさせる」が当たり前になっている状況ではないでしょうか。 本来子供は大人の都合は関係ないですよね。子供と言わず大人にも愛は足りているでしょうか?

今を考えると、子供も大人も、社会に順応するために、自発的服従してしまう状態でしょう。

自発的服従、この言葉すごく私自身も考えさせられます、いつの間にかよくわからないルールを受け入れている自分。そういうの、皆さんもどこかに感じると思うのです。もちろん、人を傷つける行為を受けたら、逃げるか攻撃したくなりますが、それ以外でも社会的ルールの中で自然と自発的服従をして暮らしてきたこと、不本意ながらやらざるを得ない状況というのは多々あるのではと思います。

さて、ではどうしたら、本心で生きられるでしょうか

人に求めるに対して、応える欲求というものもあります。見返りで満たされるのではなくて、応えることそのもので満たされる「喜び」と言いますでしょうか。

「人に応える欲求」と「人に資する欲求」は対になっている

これは、誰の欲求とか関係なく、この欲求が満たされるのは相手を選ばないのです。自分が人の役に立つことが喜びになり満たされるのですから。

現状、自分の欲求というのは、誰かに求めにくいものです。大人になると精神的な欲求を自分で満たそうとすることが多いと思います。無意識に諦めているというか、自分で制約を作って、子供じゃないからと思って遠慮していること、なんとなく想像がつきませんか?欲求すらしにくい状況になっているということ。

本心で言えば、本当は、人に認めてもらいたい、共感してもらいたい、愛してもらいたい・・・って思ったりするものですが、そういった、自分の本心の欲求を自発的に抑えてしまっているということに気づけるのではと思います。

やはりそういった欲求を解消するには、協力してもらったり、応援してくれて一緒に歩んでくれる存在があって、初めて満たされるもの。

心身ともに満たされた安心の上で、自分を生かす欲求が初めてできることになります。

争わないために知ることが大事

普段は人と人は意見が違うのは当たり前だってわかっているつもりでいるのですが、一つコトが起きると忘れてしまいがち。

規則や法律も人間が考えたもの、誰かに起きた事実や、隣の人が見たこと、昨日聞いた話も、「人が考えていること」なのです。(かといって、法律なくそう、と言う極端な話ではありません。)

なぜ争うのかというと、自分が思うこととは違うことをいう人を受け入れられない「頑固さ」に問題があり、批判したり、非難したり、叱ったりするのは、相手の考え方や行動をなぜそうなのか?と知ろうとせず、行動を受け入れないで、自分の思いを通そうとしていることが多いからです。これが基本的な争いの原因です。

自分の考えが正しい、自分の捉えたことが事実は間違いない!という想いが、他人を受け入れられない「頑固さ」として出てくるわけです。これは、幼い頃から培われてきた「強迫観念」であり、間違った考えや想いを受けれてしまったら大変💦という「強迫観念」です。

人の間違いや過ちを、捌いたり、敵視したり、攻撃したりするのは「頑固さ」の象徴

責めたり罰したりしなかったらどうなってしまうんだろうというのは「強迫観念」

だからこそ、この「人を知ろう」とすることがとても大事で、「人間が考えること」「自分の考えること」「他人が考えること」「実際起きていること」「現れたもの」「そのもの」が何なのかを一つずつ立場を変えた視点で解ろうとすることが大事になります。いくつもの視点で考えられた時、人格が育つのだそうです。

自分、他人、人生、社会、本質、自然・・・に耳を傾ける、傾けようと努力をする、聞く耳を持つ。視点を持つ。

たくさんの視点を持つことによって、怒りや争いがなくなるのは当然のことで、人の言動を否定したり意思を妨げることがなくなります。これは、あらゆる視点で物事を理解するので、たくさんの立場を俯瞰して見れるからです。

皆さんはTwitterで誰かを批判をしていませんか? 意見は違って当然なのに、間違った方向にいくのが心配で批判したくなったりしませんか?

例えば家庭内でルールを決めると、家事の担当の日にあれやってないとか責めることがあります。でもできない状況や、やりたくないという本人の気持ちもあるわけで、そこに小競り合いができるわけです。でも本来最初にルールをあえて決めないことで、お互いできるときに気づいた方がやるという自然な流れができるはずです。少なくとも私の家はそうですから、やってないから責めるということはありません。あまりにもやらない時は、なぜやらないのか?という話し合いに突入です。


例えばですが🙂、家に帰ったらこんなふうに猫ちゃんが粒々だらけになってしまった。

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どうしてこうなった???という状況ですが、枕のビーズを破いたから怒るのか?部屋を盛大に散らかしたから怒るのか?猫ちゃんが何をしようとしたのか理解しようとするのか?なぜ枕を引きちぎったのかを考えるのか?こうなった状況を猫ちゃんはどう思っているのかを考えるのか?猫ちゃんの状態がどうなのかを考えるのか?あらゆる視点で考えると、状況を把握できるので、しょうがないか〜〜と笑うしかない感じになりますよね?

これを一瞬で考えると、怒りが湧かないのではないでしょうか、むしろ、おもしろくてしょうがないと思ったりするでしょうね!



まとめ

知らぬ間に自発的服従をしている自分にまず気づくこと。これってすごく自分らしく生きるための気づきだと思いました。わたしも社会の規則に自発的服従をしていたことに衝撃です笑 毎回こういう思想を考えるときに、今までの考え方が紛れ込んできてしまい、暮らしの中の刷り込みの強さを感じます。なので思っている以上に、皆さんも社会の形が変わるのをきっかけに、「意識を変えていこう」と意識を変えることになるのではと思います。

新たに作るコミュニティ内で「資する」と「求める」のバランスがとれた場合を想像してみてください。マズローの欲求段階の、生理的欲求、安全欲求が満たされたコミュニティができたとき、コミュニティ内で人を取り締まるような罰則は本当に必要になるでしょうか? 


最後に

今日は争いのない世界にするには人がどう言った心理状態であれば良いのか?について書いてみました。この時代の境目で、新たにスタートできるという恵まれた環境にいるのですから、今まで何故うまくいかなかったのか?の理由を考えない理由もないと思うのです。むしろこれから同じ繰り返しをしないように、率先して考えて各々が自分と向き合う時だと思います。

そもそもこの金融改革から始まる全体の立て直しは、正しいお金の使い方をすること、支配をやめることです。予定ではいずれ別地球への移住のことも視野にありますし、移住後のために新しい地球のコミュニティのシステムをそのまま持ち込むことになるはずなので、できれば、コミュニティ社会の精神性が5次元、6次元の世界を作れたらという想いで記事を書きました(*^_^*)

新しいコミュニティではルールが必要というより、こうした核となる意識のようなものや理念が重要

だと思いました。これから地域コミュニティができていく中で、こう言った心理状態を皆が理解してることで、お付き合いも円滑に回るのではないでしょうか。行き詰まった時こそ、今回の記事を皆で共有して考えてみてください( ´ ▽ ` )



今日も最後までお読みいただきありがとうございました♪😊


参考にした本

今回この本を参考にさせていただいたのは、宇宙規格的、yap的、な暮らし方を目指す中で、ベースの思考すら変えていかないと、本心で暮らせるような新しい社会は作れないと思ったからです。

このシリーズは、人の心理についてとても詳しく研究された内容で書かれています。思想の研究だけでなく実際20年間コミュニティを運営してきた中で、実践的に学んだことが書かれているのでとても参考になります! コミュニティを立ち上げて、心地よい人間関係を築きたい方は、ぜひ読んでみてくださいね!今まで当たり前だと思っていた日常の小さなことから、心理を読み解き教えてくれます( ^ω^ )

文章だとイメージがわかない方はこちらの動画がおすすめです!



今日も最後までお読みいただきありがとうございました!m(_ _)m

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