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共同創造

以前、バイロン・ケイティについて書いたことがあるのですが

この時からどうしても理解できないというか、納得できないというか、そういうことがありまして。

彼女は言います。

目の前に起きた出来事に対して「ストーリー」を自分で作り出し、そのストーリーが自分を苦しめている。

起きた出来事に対してありのまま受け入れたら、世界はこんなにも平和で慈愛と慈悲に溢れている。

自分の世界を自分で創っている自覚がある場合、この考えを受け入れることができるかもしれません。
実際、この本を読んだ後でかなりひどい目にあいましたが、自分で起こしたことなんだなって、ちょっと時間はかかったけどなんとか受け入ることができました。
まぁ簡単じゃなかったし、ここでの学びは何か?とにかく乗り越えるのに必死だったなぁ。

でも、疑問はやっぱり残っているわけです。
もし理不尽な目にあったとして、それって私だけの意思で起こしているわけじゃないよね?
という考えがなくなりません。
悪いのはアイツだ!って糾弾してとっちめてやりたい気持ちがずっと残ったままでした。
でもこれを本当にやってしまうと私の世界は批判、ジャッジ、被害者と加害者、善と悪になってしまう。
そういう世界を創りたいわけじゃない。

私が自分の意思で自分の世界を創っているように、誰かもそうしているわけです。
なら、自分と他人の境界線てなんだろう?
どこまでが自分の世界で起きたことで、どこからが他人の世界で起きたことなんだろう?
理不尽な出来事ってもしかして巻き込み事故みたいなもの?(て思いたかった(笑))

数か月前からお世話になっているフォロワーさんで、凄腕チャネラーさんがいらっしゃるので、ちょっと質問してみようかなぁ。

質問を書いている時点ですでに答えはわかっていましたが、答え合わせをしたかったというのもあります。

私たちは常に自分以外の誰かと関わって生きています。
お互いの間に起こることは全て打合せ済み、お互いの了解のもとで起きています。
それがたとえ心身ともに苦痛を伴うものであってもです。
そうやって他人と共同創造しながら生きています。
ただこの考えを受け入れるには準備がいりますね。

私の質問に対してとても真摯に答えてくださいました。
無料部分で私の質問に対して答えてくださっていますのでどなたでも読めますよ。

私の思っていた答えよりさらに深いものが返ってきました。
あのね、私個人としてはカンニングさせてもらった感じです。
あと数年かけて答えにたどり着く道程をショートカットさせてもらいました。
さやかさん、アシュタールさんありがとう。

私は質問であまりにも過酷で救いがないと言いましたが、アシュタールさんの回答で逆に凄く救われたなぁ。
お互いに学びがあること、受け止めようとチャレンジする、そのための共同創造だと思ったらワークできるよね。

私の質問は暴力についてでしたが、これはどんなことでも当てはまります。
セクハラ、パワハラ、いじめ、親ガチャ、性暴力、傷害、自○、他○、etc…
ちょっと受け入れがたいですか?
そうですよね。こんなこと自分で起こしてるわけないじゃん!て思うかもしれないけど、お互いの合意の下に起きている現象で、これを認めない限り同じようなことが繰り返し起こります。

しんどいですか?しんどいですよね。
私もすっごくしんどかったです。
自分の中に湧き上がってくる感情を認め、許し、解放し、でもそれは自分だけのものなので誰かに表現するべきではないもので。

共同創造した現象をどう対処するかは人それぞれです。
正しい答えというのはありませんし、常に乗り越える必要はありません。「逃げる」がテーマの場合もあるので逃げていいんですよ。
途中でリタイアしてもいいんです。
相手と同じ答えじゃなくてもいいんですよ。

今回の質問は、私はある程度自分の中で昇華できていた中で一つだけ残った疑問に対するワークでした。
現在進行形の方に光として届けばいいなと思っています。
私がかつて通った道ですが、どう自分の気持ちを整えるか、ヒントとして置いていければいいな。

最近は自分の出している周波数を気にかけるようにしています。
あ、今周波数が低いな、と思ったら、その低い周波数を手放しするようにして、できるだけ高い周波数で共振するようにイメージしています。

せっかくの共同創造ですもの。
楽しいものにしたいですよね。


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