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アシュタールさんに聞いた暴力と子どものおやつと収監する意識の力

アシュタールさん、ご質問を頂いています。

アシュタールさんに質問です。
私たちは他人や家族と関わって生きてますよね?
私が見ている他人はすべて私だけが作り出してるのかな。
それともお互いに打ち合わせた姿を見てるの?
例えば理不尽な暴力にあったとして、本人はそれを望むはずはないでしょ?
なら何故そんな目に遭ってしまうのかな。
それすらも自分が作り出していると言われると、あまりにも過酷で救いがないように思えるの。
受け止められる人にしかそんな出来事はおきない?
全部自分で作り出してるのなら、他人に暴力をさせてしまったのは私だと自分を責めることになってしまう。
どう考えればいいのかな。

「はい、こんにちは。いつも私たちのことに興味を持っていただいてありがとうございます。
 あなた方はお互いに打ち合わせて世界を創造しています。暴力を振るわれる人、ふるう人、お互いの合意のもとにその現実が出来上がっています。

そしてあなたには到底受け入れがたいこととは思いますが、理不尽な暴力というものはありません。暴力にはすべて、正当なお互いの合意のもとの理由があります。暴力に限らずあなたがた人間間で起こる出来事、というのは、すべてそうなんですよ。お互いの合意のものと起こるべくして起こります。

’’本人はそれを望むはずないでしょ?’’とあなた方がお考えになるのはよくわかります。が、実のところ同意が行われていないことは起こり得ません。
それは交通事故の被害者と加害者ですら、そうです。

そして、受け止められる人にしかそんな出来事はおきないというよりは、受け止めようとチャレンジする人にしかそんな出来事はおきません。
’’全部自分で作り出してるのなら、他人に暴力をさせてしまったのは私’’だとご自覚なさるのはいいと思います。自分を責める必要はありません。
 学ぶべきことを学んでしまえば、その課題からは卒業です。

さぁ、暴力を受けている方はそのワークから何を学ぼうとしているのでしょうか?暴力をふるってしまう方はそのワークから何を学ぼうとしているのでしょうか?
 彼らはお互いに立場を入れ替えて学んでいるケースが多いのですが、どちらかが卒業してしまえば、ペアがいなくなりますね。新しいペアを見つけても良いですが、残された片方も卒業への道をたどることもできます。
 先にワークを仕上げて卒業してあげるのは、相方への親切になるかもしれませんね。

 イメージしてください。キャッチボールです。あなたがミットを構えてなければ投げようがないのです。暴力を受けるかもしれない、というビクビクとした波動は、暴力を振るいたい人をひきつけてしまいます。
 また自分は暴力を受けるに値する、という低いセルフイメージも暴力を振るいたい人をひきつけてしまいます。
 幸福な人には暴力をふるいようがないのです。
今回の機会に自分の発している周波数に敏感になることにトライするのも良いかもしれませんね。」

次の質問お願いします。

YouTubeに関してうちの子も大好きなので聞けて良かったです😆✨
お菓子食べたいとか幼稚園行きたくないとか、可能な限り子供の希望にそうほうが良いんですかね?もっと私の気持ちを話したりと会話するように心がけようと思いました😊

「はい、子どもたちを尊重してください。子どもたちの自主性にまかせてください。と、同時に彼らを保護してください。
 お菓子を食べたいと言われたときに、食べるお菓子の種類を選んであげるのは保護の一種です。幼稚園に行きたくないという発信の背景に何があるのか、を考えてあげるのも保護の一種です。
 やりたいようにやらせてあげること、と、保護することは両立が可能です。」

だ、そうです。
追加のご質問などあれば、コメント欄へどうぞー。

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直接通話でアシュタールさんとお話してみたい方がいたら通訳いたします。電話番号と希望の日時をいくつか(第三希望くらいまで)書いて4980円/30分のサポートしてください。折り返し返信後ご希望の日時に教えていただいたお電話番号にお電話させていただきます。悩み事相談から雑談まで。