近況①

最近、オードリー若林正恭のエッセイ集を読むのにハマっている。まず最初に読んだのが『ナナメの夕暮れ』、そして今はキューバ旅行記『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を読んでいる。
私の読書スピードはものすごく遅いので、毎日結構こまめに読んでいるのに、ナナメの夕暮れ1冊だけで10日かかってしまった。でもいつもの読書に伴う苦痛はほとんどなかった。気がついたら文字しか追えておらず、2ページほど記憶がない、とかいう現象はいつも通りだったけど、それでも内容がずっと面白くて、何よりきっかけ→感情→言動の流れをひたすら追うのは楽しくて仕方がない。(余談だが、文字だけ追ってストーリーが入ってこない現象、若林さんも全く同じらしい。初めて同じことを言っている人を見たのですごく嬉しい。)

私は人の思考回路や行動原理を知るのが好きすぎるあまり、友達を増やしまくる習性があるので、1人にフォーカスしてこれを追い続けられるのはなかなか至福である。『窓際のトットちゃん』読破をきっかけに、もしかして私はエッセイに興味があるのかも!と推測していたが大正解だった。

正直、1人の著者による本をこれだけ積極的に読むのは初めてだ。今までオススメされて読んできた森見登美彦、森絵都、有川浩や万城目学など、、どれもそりゃ面白くはあったけど、1冊読むだけでも修行のようなのに、別のシリーズをまた新たに読むのはさながら拷問であった。小説って読み始めから読み終わりまでなんかずっと辛いんだよなぁ。いいから結末を知りたい、とか超絶野暮なことを考えてしまうのである。

なぜ小説がこんなにもダメなのだろう。最初の説明の段階から、この先キャラクターによる想定外の言動によってストーリーがかき乱されること、そしてそれがほとんど予想できないことがストレスフルだからだろうか。オチが読める作品であれば、多少はストレスが緩和されている気がするが、とはいえその経過を追っていくのはやはり辛い。まだこんなに先があるのかと思うと本当に億劫になる。いいからはやく読み終わらせてくれと。そんなことだから、一度読んだ本を改めて読み返すことなどまあ滅多にない。読書を続けるなぞさながら無限地獄である。

とはいえ、私の周りといえば、読書が好きで好きで仕方がない人たちばかり。おまけにその成果もあって含蓄がある。これがまた悔しい。
読書をするたび、他の媒体とは比較にならないほど得られる情報量が多いなと実感するので、読書家の皆さんは私よりもずっと進んだ、高尚な人生を歩んでいる気がしてくるのだ。
そんなことはないよ、とか言われるけども、少なくとも私の憧れる人間というのは、読書で積み上げた知識と圧倒的な語彙力で、諸問題や解決策、また言いたいことを端的に言語化できる人たちだ。なんだかこの説明ひとつとっても私の語彙力や文章力のなさが顕著な気がして悲しい。そういや先日の投稿を彼に見せたら『文才ないね』と一蹴されたのを思い出した。どうやら彼は文体が微妙という理由で、エッセイ自体好きではないらしい。なるべく名著と呼ばれる文書本を読むのが好きだとかなんとか。仕方ないとはいえ、少しは凹む。

いいもん!私は理系だもん!とか言い訳をしてみるけども、高3まで数Ⅲ物理を学んだ末に文転する道を選んだのは、残念ながらこの私だ、、

本当は他にも書きたいことがあるけど、時間がないので今日はここまで。

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