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小山田咲子さんのブログを読んで

『えいやっ!と飛び出すあの一瞬を愛してる』
あっという間に読み終えてしまった。

↓読み始めた経緯

最初は、傲慢にも『私も似たようなこと書けそうだけどな〜』とか思いながら読んでたけど、着々と文章がうまくなっていっている印象を受けた。終盤とか、なかなかハッとさせられる発言を沢山していた。

何より、社会問題に堂々切り込んで、ちゃんと自分の言葉で持論を述べているのが格好良かった。その内容も徐々に説得力を増していた。日々よくよく物事を考えて生きてたんだろうな。
あと、日常的に本当に積極的に人に会いに行く人だなと思った。経験も沢山積もうという気概が感じられて素敵だなと思ったし、どこにでも飛び込んでいく様はちょっと私と似ているなとか思った。(摂取している内容の質は私より遥かに高そうだけども)
人に会ったり、いろんな経験を積んだりすることが必ずしも好きなのかどうかはわからないけど、それでもちゃんと自ら向き合おうという意志が感じられて尊敬できるなと思った。

私はと言えば、何を学ぶにも、何かを決めるにも、とにかく人の意見に振り回されてばかり。もっとインプットとアウトプットの質を高めていかなくてはと気が引き締まる思いだ。

なんか、知的好奇心の向かう先が旅行だったり、音楽だったり、歴史・文化だったり、社会問題だったりするあたり、なんとなく自分のコミュニティと近い気がしている。
申し訳無いけど、親近感こそあっても『本当に凄い!読んでめちゃくちゃ感銘を受けた!』みたいな感想は持てなかった。
私の感受性や読み取り方に問題があるのかな、、思ったほどの感動は正直なくてちょっと悲しい。

多分文章はうまいんだろうけど、、そもそも文章の上手い下手が分かる人間ではないしな、私。

それにしても、彼女は何を思ってアルゼンチンへ行ったのだろう。2005年に入ってからの彼女の日記は、空白の期間も多く、仕事をしつつ学生をやっていた、という最低限の情報しかないので不明点が多い。考えていることなんかはちょこちょこ書いてあるものの、日々どんな心持ちで生きてたんだろうか、、とかは読み取れる内容が少なかった。
ただ、死にたいとか思ったことはない、とのことだったし、その他の文脈を見ていても、アルゼンチンからも当たり前に帰ってきて、当たり前にその先の人生が続いていくと思っていたんだろうな、という感じがある。

突然途切れてしまった日記。読み取りきれない彼女の思い。当然その続きが生み出されることは永遠にない。読んでいる自分からしても、なんとも言えないもやっとした感覚だけが残る。

人が亡くなる時、突然意識の連続性がなくなるときってってこんな感じなのかな、とか思う。


うーん、、なんだかこれ以上の感想が湧いてこない。考えていたはずのこともうまく文章化できない。
最近アウトプットが続いたせいか、私の脳みそは空っぽだ。こんなに頭の中が良く言えばクリアな状態は珍しいので、ある意味貴重かもしれない。ちょっと休みつつ、新しい他の本とか読んでいこうかな。

↓その後追記した感想

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