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安価なときめき

 小学生の頃、母親に『ちゃおデラックス』を買ってもらって、同じ号を何度も何度も繰り返し読んでいた。
 毎月、ふつうの『ちゃお』を買ってもらうことができなかったから分厚い『ちゃおデラックス』を選んで、なんかちょっと得した気分になった。
 内容は多分、ふつうの『ちゃお』よりちょっと面白くなかったと思う。だからどんな漫画が載ってたとかはあんまり覚えていない。

 「安易に摂取できるときめきは好きじゃないんです」。
 1年ほど前、少女漫画が好きな知人と話していた時に言われた言葉である。

 なるほど。たしかに、わたしはこれまで本当に沢山の少女漫画を読んで来たけれど、その7割くらいはときめきへの最短距離を辿って描かれる、浮かれた男女の恋愛模様だった。
 恥ずかしくて見ていられないという人もいるだろう。安直だ、内容が薄いと感じる人もいる。
 わたしもよく「いやそんなことあるかいな」とツッコミを入れながら読むことがある。

 だけどわたしは案外、その「安易に摂取できるときめき」が嫌いじゃない。
 わたしがいちばん恋に憧れていた時代、かの偉大なケータイ小説サイト『魔法のiらんど』が全盛期だったのを思い出して、だからかもなあ、とちょっと思った。

 地味な主人公がなぜか暴走族の総長に気に入られてしまったり、好きになった人が突然不治の病を患ってしまったり、開始3ページでどこかの御曹司に1億円で買われるなんて展開になったり。
 いわゆる「おもしれー女」的なあらすじを、ネタツイとかではなく素でやっていた時代だった。これぞまさに「安易に摂取できるときめき」である。

 いざ文字に起こしてみると打っていて思わず笑ってしまうような物語の数々。
 茶々を入れずにはいられない部分が死ぬほどあるんだけど、わたしはこの安価なときめきが結構好きだ。

 たしかに、内容はない。読み終わった後、得られるものも何もない。
 だけど時々そうやって何も考えずに、現実からあまりにもかけ離れすぎた理想に頭までずぶずぶに浸かって、酔って、馬鹿みたいな気持ちになりたくなる。
 どうしようもなく心が空っぽな時、内容のない、得られるものもない、そういう馬鹿みたいなものでしか満たされない部分があったりするのだ。

 漫画を読んだり、小説を読んだり、フィクションを食べながら生きている限り、わたしたちはどうしても無意識に、そこから何かを得ようとしてしまう。
 それらしい考察だとか、教訓だとか。他人にアピールするためのレビューみたいなものとか。

 子供の頃に観たり読んだりしたものが、数年後に観てみると全然違う作品に感じたりするのも多分それに近い。
 観たものを直接心に流し込むのではなくて、一度脳みそを通過して、それから飲み込めるようになったって、すごく大きな進歩。

 でも「考えなくちゃ」って考えるのが面倒になったり、疲れてしまう時が往々にしてあるから。ぜーんぶどうでも良い。考えたくない。そういう時には寄り道したり、休憩したりして、心をリセットする。
 そうすると心のキャパがちょっとだけ増えて、もっと色んなものを受け止められるようになる。

 少女漫画が好き。安っぽいキスシーンも、狭すぎる人間関係も、恋愛に酔って浮かれることしかできない主人公たちも、全部が好き。
 少女漫画は、窮屈なわたしの心を馬鹿にしてくれる。"男のロマン"というものがもし本当にあるのだとすれば、少女漫画とは"女のロマン"であると言わせてもらいたい。

 わたしはもう少女じゃないけれど、これからもずっと少女漫画を読む。
 安価なときめきで、時々、わたしのことを馬鹿にして。


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