見出し画像

ストリップショーに行った話

 お腹で呼吸をしている。白い肌が上下に動いて、酸素を吸ったり吐いたりするから、思わず息を止めた。
 背中から汗が滴っているのが見えて、目の前で踊るひとが生きているのだということを生々しく感じる。
 するりとほどいた下着の紐を、片足に括り付けて踊る彼女たちの表情が目に焼き付いていて、わたしはあの劇場の中で性別を失った。

 『彼女は夢で踊る』という、広島に実在するストリップ劇場を舞台にした映画を観てから、いつかショーを観てみたいと思っていた。
 素晴らしい作品だった。女性の体を介して、その心の美しさや生き様を描いた物語に、心を奪われてならなかったのだ。
 一緒に行ってくれそうな友人に声をかけて、都内の劇場に足を運んでみたのだけど、行ってよかったなあとこれから先、何度も思うだろう。
 大人になると、いろんな世界を見にいくことができる。大人最高!と改めて思った。

 チケットを購入し急勾配の階段を下って劇場に入ると、既にショーが始まっていた。
 ステージの上では、ツインテールに髪を結いたダンサーがK-POPらしき音楽でダンスを踊っている。高いハイヒールが印象的で、妙な色気を醸し出していた。
 観客は60〜70代くらいの男性がほとんどで、女性は思っていたよりも少なく、わたしと友人を入れて3人ほどであった。

 真ん中の方で呆気に取られたようにステージを見つめていた最中、髪を振り乱しながら踊る彼女に指を差され、ウインクされた時にはもう、何もかも手遅れだった。しばらく麻痺したように動けなくなって、体温が一気に上がっていくのを感じた。
 彼女は劇場の中でも人気のダンサーだったようで、その場にいた全員が彼女に見惚れていた。彼女の指先が動けば、誘導されたようにそれを目で追ってしまう。
 心地よい敗北感がそこにはあって、それに身を委ねることしかできなかった。

 ショーを見ながら、彼女たちは一体これまでにどんな人を愛し、どんなに人に愛されてきたのだろうかと、そんなことを思った。
 多くの経験を重ね、いろんな感情を抱えて、それと闘い、時に負けたり、もしくは打ち勝ってきた、そんな豊かな人間にしか踊れないダンスだったからだ。
 これまでに観たどんなパフォーマンスよりも、根拠のある絶対的な表現力を持っていて、例えわたしがストリップダンサーになれる切符を持っていたとしても、到底できないと思った。
 だってわたしは、そんな深い経験を持ち合わせていない。そう思うほどに美しい時間だった。

 おそらくもう、当分ショーに行くことはないだろうし、彼女たちの顔も名前もすぐに忘れてしまうだろう。
 それでもきっと、ふとした時にこの日のことを思い出して、頑張って生きようと思える風景の一部になるような気がしている。
 きっとわたしも、彼女たちに似たこころを持っている。飾り物を取っ払ったわたしにも、どうか価値を感じてくれるひとがいますように。愛してもらえますように。そう祈りながら踊るのだ。

 美しいひとでありたい。丁寧に生きられなくても、喜びも悲しみもすべて抱えて、笑えるひとでありたい。
 ひとはお腹で呼吸をするのだということを、初めて目の当たりにした日のことだった。



この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?