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東北旅行3日目 〜青森駅と時々土偶〜


はじめに

朝5時に目を覚ます。普通だったら寝てる時間だ。ルームメイトを起こさないように存在を消して部屋を出る。寒い。めちゃくちゃ寒い。
盛岡は最低気温マイナス8℃とか出るらしいよ。
今はマイナス2℃だって。そりゃマイナス8℃よりはマシだけど、体験してない以上、今が1番寒いんだから事前情報は何の安らぎにもならない。

そんな事を考えながら東北旅行最後の地、青森に向かった。
1時間弱新幹線に乗る必要があるので、岩手といったら『宮沢賢治』を読まなければ始まらないよな。という事で銀河鉄道の夜を読んだものの、文章が読めない。
全然頭に入ってこない。まじか。と唸った。

作家の相性とかもあるよなぁと悲しく思い、画面を閉じた。
諦めて音楽を聴きながら、新幹線の窓から外を眺める。

新青森駅に着いた後、乗換で在来線に乗るのだが東京を思わせる満員電車を味わえた。
電車の本数も車両数も違うから、人数で言ったら少ないのだけど、密度は同じくらいだ。

しかも青森駅のホームに着いたら走ってる人までいて。
こんな東北の地で?生き急ぐ人いるの!?と少し驚いてしまった。
宮城と岩手とは少し違う空気を感じた瞬間でもある。
もしかして、月曜日だったからかな?

三内丸山遺跡へ

青森駅周辺の観光地を探していると、三内丸山遺跡がヒットした。
本当は十和田湖とか、白神山地に行きたかったんだけど冬の交通の便が致命的すぎる。

歴史に余り興味がない私だが、一度も知識として入れていないものを知るというものはとても魅力的である。
ここに行くしかない。

遺跡へのバスに乗り、30分ほど揺られる。
雪の多さは青森が一番である。白い景色を眺め、地元の新潟に少し似ているなぁとぼんやりと地元を思い出す。
1年帰っていないなぁ。祖母に会えていない。
それだけが心残りでもある。というか地元にはそれしかない。
どこかで祖母に会いに行く計画を立てなければいけない。

そうこうしていると遺跡前に着いた。
さっそく三内丸山遺跡のチケットを購入し歩き始める。


周りを見渡すと私以外にお客は数人しかいない。
お客とは別に、入口付近で声を出しているご高齢の方がいる。
耳を傾けるとボランティアガイドの人であった。

ボランティアガイドの人がお客に声をかけている。
案内しますよ~。と言う声が聞こえる。
しかし全敗の様子だ。誰もボランティアガイドの人に付いていこうとしない。

9時15分からガイドしますと看板には書いてあるが、20分を過ぎていた。これはもうガイドしてもらえないか。

そう思って足を進めると、私の前にもボランティアガイドの人がナンパしてきた。
「もしよければ、無料で案内します。飽きたら途中で帰ってもいいんですけど、どうですか?」
「ぜひおねがいします」
私は食い気味にナンパに乗った。私はおばあちゃん子だったので、それはもうご高齢の人と話せるのも嬉しいし、ガイドも嬉しい。ナンパをされて(違う)嬉しいと思った事なんて初めてだ。

毎週歌舞伎町を歩いていると、キャッチかよくわからない男性にしかナンパされない。ボーイズバーもホストも興味がない。
しかしこの前はめずらしく女性の人に声かけられたことを思いだした。
ついに!ついに私も女性にナンパされる時代がきたか!!と心を躍らせたのに、一緒に相席屋行きませんか?と言われて一瞬にしてトキメキが終わった。
何が悲しくて男性と相席しなければいけないんだ。だったら私と二人きりで飲めよ。と怒りが沸いたので、レズなんで相席屋は興味ないですね。と言って断った。
色々な人が居る町だよね、歌舞伎町って。
相席屋って一人で入れないん?システムしらないんだけど。一人で待ってなよ。食べ飲み放題なんでしょ?

はっ。せっかく青森まで来て東京の思い出は必要ない。忘れよう。

私はボランティアガイドの人と遺跡デートなのだ。
集中しなければいけない。

これから1時間、遺跡について説明を聞くこととなった。


盛土について

盛土の写真?撮り忘れたよ

縄文時代の人は盛土、と呼ばれる場所にゴミと呼んでいいのかあいまいだが、土器や土偶、ヒスイを捨てていたらしい。

そして、捨てた後その上に土をかぶせる、同じことを繰り返し、何重にも重なる層が出来上がっていた。
なぜ、ここに捨てるのか。なぜ土器など決まったものしか捨てないのか。
現代で言う燃えるゴミ、燃えないゴミなどの分別が出来ていたということなのだろうか。

ボランティアガイドの人の説明を聞かなければ絶対にここまで知ろうとしなかったので本当にありがたい。おもしろいね。

竪穴建物について

小型竪穴建物?撮り忘れたよ

縄文人が住んだとされる6畳ほどの建物に入った。
といっても復元されているもので、穴しか見付けられていないものを想定で作っているらしいので、正解ではないそうだ。
一番栄えていた時代は、この竪穴建物は同時期に100棟はあったとされ550棟の存在を確認しているとの事。

この建物1つに大体4人家族が住んでいたと言われていて、縄文時代の寿命が約30歳なんだって。
私が縄文時代に生きていたらもう死んでいる。

むしろ、大人になるまで育つことの方が希少だったので、沢山の子供を作っては亡くす、という事の繰り返しだったのではないかと言われた。
そのため、子供の墓と大人の墓は分かれて埋葬されている。
子供の亡骸はかならず土器に入れられ、小さな石と一緒に保管されていた。
これが何を意味するのか、考古学者の色々な説があるそうだ。
石をおもちゃとして子供のために一緒に埋葬した、墓石のようなものだった、などなど。
想定でしか語れない。物は残っていても、縄文人の精神世界は再現できないからだ。

そして、大人の亡骸は集落の入り口の道に埋葬されるという決まりがあったそうで。
集落を守る番人として、道を挟んで向かい合うように配置されていたのではないかと言われている。
縄文時代の決まり事というか、何を意味していたのか今はもう誰も知ることは出来ない。けれども少ない情報を知っていけば知っていくほどに興味が沸く。時代は違えど、思想は出来上がっているんだろうなぁ。

縄文人の知恵と指揮について

犬と子供が可愛かったので撮りました

三内丸山遺跡は今から4200~5900年前の集落跡と言われていて、発掘調査で斧には普通の石ではなく、硬度の高い黒曜石を用いていて、青森では手に入らないため、別の県から取り寄せたり
石や木、植物などの特性を理解し、よりよい生活を発展させようとしていた形跡があるとのことだった。

復元したこの木材はロシアから取り寄せたらしいよ

例えば、この大きい建物(復元のため創造の建物)の木は栗の木らしいが、ここまで大きく、そしてまっすぐ伸ばすには相当の年数と技術が必要だったと言われている。そうなると、寿命30年の縄文人はどうやって後世に残していったのか。集落の長の指揮、知恵が長けていたとしても、絶対に同じスキルを持った人は生まれないのではないか。もちろん、特性を生かして人の職業?は決められていたようなので、効率よく発展は出来ていたと思われるが、教育力が飛びぬけて凄かったのだろうか。私にも教えて欲しい。。。教育。。。

道具もよく出来ているので縄文時代に誰かタイムリープしたんじゃないですかね??食べたら不味い植物を糖化させてお酒作ったりしているし。
誰か今世の知識長けてる人、縄文時代にタイムリープしてますよね???

なんてボランティアガイドの人と色々冗談を言ったり、真剣な話をしたり。
とても良い時間だった。
ねぶたの時期にもぜひ来てね~その時は家泊まる~?なんて、度重なるナンパに心が動き、ぜひお願いします。というものの、連絡先は交換しなかった。
本気か冗談かわからなかったのだ。ちょっと惜しいことをした。

お昼ご飯にはのっけ丼を

青森駅に戻り、近くの市場でのっけ丼を嗜む。
2000円で12枚のチケットを購入し、チケットと魚のネタを交換するというシステムを導入している市場である。
有名らしい。
ちなみに、ボランティアガイドの人に伝えたら美味しくないよって言われて意気消沈していた。きちんとボランティアガイドの人の言うことを聞いておけばよかったのだが、つい、つい行ってしまった。

正直な話、青森にも関わらずそこまでおいしくなかった。
先日の江の島の海鮮丼の方が美味しかった。
綺麗なレディとご飯だったから余計に美味しかったのかもしれないが。

しかしまぁ、チケットで好きなネタを選ぶ楽しさを考えたらアトラクションみたいなものか。と納得できたので受け入れていこうと思う。


ウニが1番好きです

なんか魚全然入ってない。中とろだけだ。青魚ほしかったな。
牡蠣は別料金で買いました。

旅の最後は温泉で

旅行と言えば温泉。なのに一度も入っていない。
締めは温泉でしょ。ということで。青森まちなかおんせんに。

スーパー銭湯ですね。良いんです。温泉だし。

ついでにサウナで2セット決めて、整えたし良いんです。

若い女性が居なくて残念なんて、そんな変態な事思ってないですって。

さいごに

これで47都道府県制覇したわけなんですけど
なにかの隠しスキルが使えるようになったわけでも、レベルが上がったわけでもなく。
変わらず明日を紡いでいくだけです。

せめて、一昨日より、昨日より、深い人間になれていたら良いもんなんですけどね。

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